放課後。(草野たき/梨屋アリエ/深沢美潮/川上亮/中島京子/折原みと)
中島京子の読んでない小説は何かないかなーと探してみたら、このアンソロジーがあったので借りてきてみた。
中島京子の「ゴセイト」を最初に読んで、あと、てっぺんから残りの短編も読んでみた。
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中島京子の「ゴセイト」を最初に読んで、あと、てっぺんから残りの短編も読んでみた。
思春期ってタイヘンである。
とくに草野たきが書いた「ランチタイム」、これがスゴイ。
秋田の、町のどこを歩いても畑や田んぼが目に入るようなところにうまれた、五人きょうだいの一番上の、中2の「私」の思春期的モウソウのような話である。
この「私」、パリ風とかロンドン風とか北欧風に生きようと、小遣いも総動員して涙ぐましい日々を送っている。まず朝は早起きして弁当づくりである。(「私」からすると、弁当と言うな!ランチと言え!の世界)
早起きしての"ランチ"づくりに、制服がよごれないように前かけをする。(「私」からすると、前かけなんていうダサい言い方は許さない!これはカフェエプロンだ!の世界)
そして、"カフェエプロン"を腰にキュッと巻くことで目覚める「私」がつくる"ランチ"は、「私の憧れを満たしてくれる重要なアイテム」なのである。
メニューはサンドイッチかパスタか果物と決めている。(この時点でもうぶっ飛びである)
そんでもって、サンドイッチのパンは食パンじゃなくて絶対に"バゲット"で、それをまな板ならぬ"キッチンクロス"の上でざくざく切るのが「私」のこだわりで、バターとブルーベリージャムをたっぷり挟んだやつをラップやアルミホイルじゃなくて"ワックスペーパー"で包むのが「私」のこだわりである。(もうここまで読んだだけで疲れる)
パスタや果物を"ランチ"に持っていくにも容器や盛りつけに「私」のこだわりがありまくりで、さらにそうやって作った"ランチ"を持っていくバッグにまたまた「私」のこだわりがある。"マルシェカゴ"というものに入れていくんだそうで、もう私には何のことやらわからんよ。
(今ネットで検索してみたら、マルシェカゴというのは、麦わら帽子をひっくり返して持ち手をつけたようなカゴであった。)
ここまで気合いの入った"ランチ"なのだから、当然「私」が学校に行くときの一番の楽しみはランチタイムである。
しかし!学校には、「私」が納得できるようなランチ場所がない!
ランチは、「私」が生活のすべてを参考にしようとしているパリとロンドンと北欧の人たちの日常生活をうつした「写真集」に出てくるような素敵な公園で食べねばならない!でもそんな公園へ昼休みに行って戻るヒマはないので、な、な、なんと「私」は、放課後に学校から歩いて30分もかかる公園へ行って"ランチ"を食べるのである。(おなか減るやん、だいじょうぶなのか)
公園のベンチに座ると「私」は自分に暗示をかける。
「ここはパリ。私はランチを楽しむパリジェンヌ」
ほんで、ランチを食べたあとは、大好きな「写真集」を眺める。
そんな「私」のモウソウ時間をぶちやぶるのは、はらってもはらっても「あそぼう」と寄ってくる幼なじみたちである。
自分の周りのすべてを「ありえない、ありえない、ありえない」と思わなければならない、そんな「私」、ヨーロッパに生まれたかったよぉとか、お母ちゃんからではなくてフランス人から生まれたかったよぉとまで言う娘に、そのお母ちゃんはええことを言う。
「お母ちゃんももっと美人さんに生まれたかった、背が高く生まれたかった、頭のいい子に生まれたかったって、思ったことあるよ」
「お母ちゃんも昔は自分と仲良しになれなかったの。自分のことキライだったことあるんだよ」
「自分と仲良しになろう」と言うお母ちゃんの言葉に、「私」はちょっと変わる。
あと、深沢美潮の「放課後の約束」も印象に残った。「つきあっている(はずの)相手」からのメールや電話を待ちすぎて、携帯から離れられず、何度も何度も何度も携帯を開け閉めするようなことになってしまっている沙耶。あー、ありそうありそうと思いながら私は読んだけど、そもそもこのアンソロジーはどのあたりを読者として想定してるのであろうか、と思う。
ジャイブのピュアフル文庫はYA方面だった気がするが疾風怒濤のど真ん中の人たちが読んだら、この話、どんな風に読むんやろ?と、ちょっと思った。
とくに草野たきが書いた「ランチタイム」、これがスゴイ。
秋田の、町のどこを歩いても畑や田んぼが目に入るようなところにうまれた、五人きょうだいの一番上の、中2の「私」の思春期的モウソウのような話である。
この「私」、パリ風とかロンドン風とか北欧風に生きようと、小遣いも総動員して涙ぐましい日々を送っている。まず朝は早起きして弁当づくりである。(「私」からすると、弁当と言うな!ランチと言え!の世界)
早起きしての"ランチ"づくりに、制服がよごれないように前かけをする。(「私」からすると、前かけなんていうダサい言い方は許さない!これはカフェエプロンだ!の世界)
そして、"カフェエプロン"を腰にキュッと巻くことで目覚める「私」がつくる"ランチ"は、「私の憧れを満たしてくれる重要なアイテム」なのである。
メニューはサンドイッチかパスタか果物と決めている。(この時点でもうぶっ飛びである)
そんでもって、サンドイッチのパンは食パンじゃなくて絶対に"バゲット"で、それをまな板ならぬ"キッチンクロス"の上でざくざく切るのが「私」のこだわりで、バターとブルーベリージャムをたっぷり挟んだやつをラップやアルミホイルじゃなくて"ワックスペーパー"で包むのが「私」のこだわりである。(もうここまで読んだだけで疲れる)
パスタや果物を"ランチ"に持っていくにも容器や盛りつけに「私」のこだわりがありまくりで、さらにそうやって作った"ランチ"を持っていくバッグにまたまた「私」のこだわりがある。"マルシェカゴ"というものに入れていくんだそうで、もう私には何のことやらわからんよ。
(今ネットで検索してみたら、マルシェカゴというのは、麦わら帽子をひっくり返して持ち手をつけたようなカゴであった。)
ここまで気合いの入った"ランチ"なのだから、当然「私」が学校に行くときの一番の楽しみはランチタイムである。
しかし!学校には、「私」が納得できるようなランチ場所がない!
ランチは、「私」が生活のすべてを参考にしようとしているパリとロンドンと北欧の人たちの日常生活をうつした「写真集」に出てくるような素敵な公園で食べねばならない!でもそんな公園へ昼休みに行って戻るヒマはないので、な、な、なんと「私」は、放課後に学校から歩いて30分もかかる公園へ行って"ランチ"を食べるのである。(おなか減るやん、だいじょうぶなのか)
公園のベンチに座ると「私」は自分に暗示をかける。
「ここはパリ。私はランチを楽しむパリジェンヌ」
ほんで、ランチを食べたあとは、大好きな「写真集」を眺める。
そんな「私」のモウソウ時間をぶちやぶるのは、はらってもはらっても「あそぼう」と寄ってくる幼なじみたちである。
自分の周りのすべてを「ありえない、ありえない、ありえない」と思わなければならない、そんな「私」、ヨーロッパに生まれたかったよぉとか、お母ちゃんからではなくてフランス人から生まれたかったよぉとまで言う娘に、そのお母ちゃんはええことを言う。
「お母ちゃんももっと美人さんに生まれたかった、背が高く生まれたかった、頭のいい子に生まれたかったって、思ったことあるよ」
「お母ちゃんも昔は自分と仲良しになれなかったの。自分のことキライだったことあるんだよ」
「自分と仲良しになろう」と言うお母ちゃんの言葉に、「私」はちょっと変わる。
あと、深沢美潮の「放課後の約束」も印象に残った。「つきあっている(はずの)相手」からのメールや電話を待ちすぎて、携帯から離れられず、何度も何度も何度も携帯を開け閉めするようなことになってしまっている沙耶。あー、ありそうありそうと思いながら私は読んだけど、そもそもこのアンソロジーはどのあたりを読者として想定してるのであろうか、と思う。
ジャイブのピュアフル文庫はYA方面だった気がするが疾風怒濤のど真ん中の人たちが読んだら、この話、どんな風に読むんやろ?と、ちょっと思った。
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