子ども万華鏡 CINEMA ESSAY (武田秀夫)
『We』160号で、満田康子さんがこの武田さんの本を紹介していた。
武田秀夫さん。かつて『We』で「シネマの魔」とか、映画のことを連載してはった人である(たぶんこの連載は同名の本『シネマの魔』になったのだと思う)。
![]() | 子ども万華鏡 ―CINEMA ESSAY (2009/04) 武田 秀夫 商品詳細を見る |
武田秀夫さん。かつて『We』で「シネマの魔」とか、映画のことを連載してはった人である(たぶんこの連載は同名の本『シネマの魔』になったのだと思う)。
ただ、私は武田さんの連載を、タイトルのほかはほとんどまったくおぼえていない。ちゃんと読んでなかったかもしれない。
いまから20年くらい前、いっときずいぶん映画を見ていた。毎週のように何か見ていた頃があった。それも、一時期のことで、私はまた本ばっかり人間になってしまった。いまも、映画は年にせいぜい2、3本、ウチでたまにビデオを見たとしても、数本である。
新聞や雑誌に載る書評や、そんなのを集めた本はちょろちょろと読むくせに、映画評の本は読むことがなかった。書評は、自分がもう読んだ本のことをまれに見つけることはあっても、だいたいは自分がまだ読んでない本のことが書いてある。映画評だって同じことのはずだが、書評本に手はのびても、映画評本には手をのばしてこなかった。
でもこの本は読んでみたくなって、図書館でリクエストして借りてきた。
読んでいてきもちのいい本だった。ほっと一息ついた時に読み、寝る前にちょっと読み、数日かけて読みおえた。
しまいまで読んでみて、あらためて巻末の映画タイトルの一覧も見てみるが、この本でとりあげられている映画はどれも見たことがなかった。いやもしかしたら何かのときに1本や2本くらいは見ているかもしれないが、映画タイトルを見ても何も思いだせないのだから、見てないのも同じである。
それと、私は本を書いた人のことはけっこうおぼえていられるのだが、映画に出てきた役者の顔や名前はほとんどおぼえられない。だから、武田さんがこの本で、ナントカいう役者がどうの、かつての名子役がどうのと書いていることも、私にはぜんぜんわからない。
そういう、私にはわからないことだらけの本だったけれど、読んでいておもしろかった。映画をこんな風に見てる人がおるんやなあと思い、それぞれの映画は見たこともなくてぜんぜんわからないなりに、武田さんが切り取ってみせる「映画」、その紹介がうまいんやなあと思った。
かなり映画を見ているであろう満田さんが、武田さんの紹介を読んで、えー、あれはこんな映画だったっけと書いている。その「海を飛ぶ夢」という映画の紹介文は、この映画を見たことがない私にも印象に残るものだった。
その次に書かれている「疚しさの根」という映画のことも、強く印象に残った。
▼おそらく、ひとは、疚しさをかかえつづけ意識しつづけていくことは苦しいから忘れようとしその記憶を抑圧しようとし、時に反転して攻撃的になり疚しさをもたらすものに刃向かおうとする。そしてその疚しさをもたらすものは歴史的社会的なものから個人的なものまでさまざまのレベルに根を持っているだろう。その疚しさの根と誠実に人が向き合うこと、それをこの映画は求めている。そしてその時、ひとは、自分を見つめるカメラの眼を内にというか外にというべきか保持し、それが写しとったビデオテープを自らに不断に送りつづけること、それが求められるのだろう。(pp.273-274)
おもしろかったなあ。
映画も、たまには見てみよう。古い『We』の、武田さんの連載も読みなおしてみよう。
武田さんは私の母と同じ生まれ年で、その年は、石川一雄さんの生まれ年でもある。
いまから20年くらい前、いっときずいぶん映画を見ていた。毎週のように何か見ていた頃があった。それも、一時期のことで、私はまた本ばっかり人間になってしまった。いまも、映画は年にせいぜい2、3本、ウチでたまにビデオを見たとしても、数本である。
新聞や雑誌に載る書評や、そんなのを集めた本はちょろちょろと読むくせに、映画評の本は読むことがなかった。書評は、自分がもう読んだ本のことをまれに見つけることはあっても、だいたいは自分がまだ読んでない本のことが書いてある。映画評だって同じことのはずだが、書評本に手はのびても、映画評本には手をのばしてこなかった。
でもこの本は読んでみたくなって、図書館でリクエストして借りてきた。
読んでいてきもちのいい本だった。ほっと一息ついた時に読み、寝る前にちょっと読み、数日かけて読みおえた。
しまいまで読んでみて、あらためて巻末の映画タイトルの一覧も見てみるが、この本でとりあげられている映画はどれも見たことがなかった。いやもしかしたら何かのときに1本や2本くらいは見ているかもしれないが、映画タイトルを見ても何も思いだせないのだから、見てないのも同じである。
それと、私は本を書いた人のことはけっこうおぼえていられるのだが、映画に出てきた役者の顔や名前はほとんどおぼえられない。だから、武田さんがこの本で、ナントカいう役者がどうの、かつての名子役がどうのと書いていることも、私にはぜんぜんわからない。
そういう、私にはわからないことだらけの本だったけれど、読んでいておもしろかった。映画をこんな風に見てる人がおるんやなあと思い、それぞれの映画は見たこともなくてぜんぜんわからないなりに、武田さんが切り取ってみせる「映画」、その紹介がうまいんやなあと思った。
かなり映画を見ているであろう満田さんが、武田さんの紹介を読んで、えー、あれはこんな映画だったっけと書いている。その「海を飛ぶ夢」という映画の紹介文は、この映画を見たことがない私にも印象に残るものだった。
その次に書かれている「疚しさの根」という映画のことも、強く印象に残った。
▼おそらく、ひとは、疚しさをかかえつづけ意識しつづけていくことは苦しいから忘れようとしその記憶を抑圧しようとし、時に反転して攻撃的になり疚しさをもたらすものに刃向かおうとする。そしてその疚しさをもたらすものは歴史的社会的なものから個人的なものまでさまざまのレベルに根を持っているだろう。その疚しさの根と誠実に人が向き合うこと、それをこの映画は求めている。そしてその時、ひとは、自分を見つめるカメラの眼を内にというか外にというべきか保持し、それが写しとったビデオテープを自らに不断に送りつづけること、それが求められるのだろう。(pp.273-274)
おもしろかったなあ。
映画も、たまには見てみよう。古い『We』の、武田さんの連載も読みなおしてみよう。
武田さんは私の母と同じ生まれ年で、その年は、石川一雄さんの生まれ年でもある。
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