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逆立ち日本論


逆立ち日本論
養老孟司
内田樹
\1,260
新潮選書
2007年

「脳内がでんぐりがえる」などとカバーに刷ってある、養老と内田の対談本。これも昨日読んでしまった。

▽内田 信号は、人間が安全に横断するためにある装置ですから、安全に横断できるということがわかっている状況で信号に従う必要はない。その装置や制度はそもそも何のためにあるのかを問わないといけないです。

 養老 人間のためにあるのだからね。
 
 内田 ルールは、人間のためにあるので、ルールのために人間がいるのではないんです。だから、ぼくが赤信号で横断歩道を渡るのを怒る人は、逆に青信号なら車を見もしないで渡り始める。自分はルールを守っていて車にはねられたのだから、悪いのは相手だという言い分が通ると思っているから、周囲の状況を見ない人がいる。「ルールを守らないおまえが悪い」って言える保証があれば、かなり危険な運転もする。ほんとにいるんですよ、自分の方が優先通行権があるからって、交差点に加速しながら突っ込んでくるやつ。法規は人間の安全のために人間が作ったものなんだから、まず人間が自分の安全に配慮しないと。

 養老 法定速度を守って走っています、という人がいちばん迷惑なのですけどね。(p.149、第四章 溶けていく世界:無駄なもの)

▽内田 思想は正しいけれど、実践的局面で、「それって、おっしゃってることと違うんじゃないですか」という方向に行ってしまう人たちがいますね。多文化共生論者に向かって、「多文化共生論って、ちょっとおかしいですよ」と言うと怒るでしょ。自分の意見と違う意見に振れると怒り出す人のどこが「多文化共生」なんだよって思いますけど。

 養老 なんにしても、主張して怒り出す人はダメですね。

 内田 「政治的に正しい」ことを言う人はみんな怒りっぽいですね。ぼくは怒りっぽい人が苦手なのです。怒りっぽい人は相手をするのがめんどくさいんです。エゴをなでてあげないとこっちの話、聴いてくれないから。

 養老 具体的なことに怒りっぽい人は構わないのですよ。「お茶がぬるい!」とか。具体的な解決策がありますから。

 内田 そうか。怒りっぽい人は具体的なことには怒らないんだ。初めて気がつきました。そういえば、お茶は温めればすみますもんね(笑)。(pp.159-160、第五章 蒟蒻問答主義:怒りっぽい人)

▽内田 世界の深さは、すべては世界を読む人の深さにかかっている。浅く読む人間の目に世界は浅く見え、深く読む人間の目には深く見える。どこにも一般的真理など存在しないというのは、究極の反原理主義ですよね。(p.178、第五章 蒟蒻問答主義:蒟蒻問答)

▽内田 おおまじめにフィクションをやっているのだという認識がないとダメなんだ。

 養老 それをいまさら「メディアは嘘をつく」とか「メディアはいい加減だ」とかいってもしょうがない。

 内田 嘘をつくのが仕事なのにね。

 養老 「メディアは嘘をつく」というのは、「芝居は芝居だ」と言っているのと同じですよ。メディア側も「私は給料をもらって報道をしています」と言えばいいことなのに。

 内田 文章を書くときに「カギかっこに入れる」というのと同じですね。「憲法改正」という単語をそのままかっこをつけないで書くと、文字通り「憲法を正しく改める」ということになりますが、憲法「改正」と書くと「あなたは改正とおっしゃるが、はたして正しいといえるかどうか。このあたりのことについてはさらに議論の余地があるのではないですかな」というオープンクエスチョンに持ち込めますからね。「憲法」も「改正」も、それぞれの単語の語義は少しも変えないままに、ただそれにフレームをつけるだけで、問題を論じる自由な視座が確保されて、ものの見え方がずっと開放的になる。「劇場」というフレームをつけるのと同じですね。(pp.232-233、第八章 随処に主となる:「対偶」の考え方)

▽内田 翻訳するとき、原著を日本語のぼくの言語感覚に落とし込めるものもありますけれど、とても手持ちの語彙や語法では手も足も出ないものもある。レヴィナスの翻訳の場合がそうでしたけれど、これはもう新しく別の言語体系を身につけるしかない。…

 …先方の頭の中にお邪魔する。「コンコン」とノックして、鉛筆と原稿用紙を持ち込んで、レヴィナスの頭の中にはいって、そこで仕事をする。自分の日本語での思考そのものをレヴィナスのリズムや息づかいに合わせて拡げてゆく。それを何週間も何ヶ月も続けてやっていると、とりあえず句読点の打ち方の癖みたいなものがわかってくる。…ですから、自分の言語体系を改鋳するというか、拡大するというか、そのためには翻訳というのはほんとうに有効な手段だと思います。

 試験で、英文和訳がありますね。あれは知力を見る上で適切な試験だとぼくは思います。短いものですけれど、翻訳というのは、他人の思考回路や感覚や息づかいに同調する訓練なわけだから、それができるということは、かなり汎用性の高い知的能力が備わっているということがわかると思うんです。(pp.235-236、第八章 随処に主となる:翻訳は裸でするもの)
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第66回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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