読んだり、書いたり、編んだり 

貝のうた(沢村貞子)

sawamura_kai.jpg貝のうた
(1983/03)
沢村貞子

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おていちゃんの弟・加東大介の『南の島に雪が降る』には、おていちゃんの「後記」がついていて、この弟の本を読んだら、姉ちゃんの本もまた読みたくなって、本棚から古いのを出してきて読む。ずっと前から持ってて、何度か読んでる本で、この前に読んだのは2009年の暮れのこと。

私の記憶にしかと残っていなかっただけで、おていちゃんは、もちろん弟のことも、弟の出征のことも書いていた。母は陰膳をそなえ、妻である義妹ともども「生きて帰るという望み」を捨てずに待っていた。

8月15日、「終わったのよ、終わったのよ、私の旦那さまが帰ってくるのよ」(p.245)と言う義妹とおていちゃんは、手を握って家の中をぐるぐる踊りまわったそうである。

戦争中、弟はニューギニアで芝居をしていた。姉は、兄(沢村国太郎)の劇団に加わって旅から旅へと芝居を続け、ゆく先ざきで皇軍慰問をしていた。そのときに、口に出して言えなかった思いを、おていちゃんは書いている。
▼兵舎の仮り舞台で慰問の芝居が終わると、座員一同、兄の音頭で、いっせいに、
「大日本帝国万歳! 大東亜戦争万歳!」
 両手をあげて異口同音に叫んだ。興奮した兵隊たちも、大声でそれに和した。
 私には、それがいえなかった…どうしても。深く頭を下げて、勝利を祈るような形をとり、心の中で、
〈一日も早く、この戦争が終わりますように…〉ほんとうに、そう祈った。
「私はこんな戦争に反対です」
 と、ひとりで叫ぶ勇気は、もうなかった。それを、自分で恥ずかしいと思った。(pp.239-240)

おていちゃんの生い立ちが記されたこの本を読むたび、女は女というだけで、あきらめることやできないことがいくつもあったことをつくづく感じるが、弟の本を読んだあとだけに、弟のことを書いた部分や、芝居のことを書いた部分、そして言論の縛られていった時代、戦争の時代にどんな経験をしたのかという部分が、とりわけ印象に残った。

たとえば、女子大に通うおていちゃんにこどもたちの家庭教師を頼んだ沢村宗之助さん。「これからの役者は学問をしなければいけない。新しい風を入れなければ、やがて歌舞伎はほろびてゆくだろう」(p.56)というのが持論であったというこの役者は、ある日突然倒れて亡くなった。死因は高血圧で、若い名優の死は痛惜されたという。

▼役者というものは、その死とともにすべてが失われる。書いた本も、描いた絵も残らない。そのからだ一つが資本であり、会社も工場もその肉体のなかにあるのだから、子孫にゆずりわたす何ものもない。(p.57)

あるいは、「働く人たちがみんなしあわせになるための運動は、人間としてしなければいけないことだと思います。悪いことをしたとは思いません。できれば、またやりたいと思います」(p.146)とキッパリ言い、拷問に耐えて、若い1年を刑務所ですわっていた、まじめすぎるほど真っ直ぐなおていちゃんの姿。

最後の章のタイトルにもつけられている「一生懸命生きてみたい」というその思いが、胸に迫る。

(3/28了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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