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コーランを知っていますか(阿刀田 高)

コーランを知っていますかコーランを知っていますか
(2003/08/28)
阿刀田 高

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最近は、なにか事件や事故があると「テロか?」「イスラムか?」みたいな反応が少なからずあり、そのたびにバランスをとるかのように「本来のイスラムの教えでは…」という記事も出たりする。

ここでイスラムの教えのことをもうちょっと知りたいと思い、図書館にあった本のなかから、阿刀田高の『コーランを知っていますか』を読んでみた。「イスラムへの理解は21世紀の大きな課題」(p.284)という立場で書かれたエッセイである。

こういうタイトルの本を、むかし母の本棚で見たような…と思ったら、阿刀田高は『~を知っていますか』シリーズとして、旧約聖書、新約聖書、ギリシア神話、イソップ物語、源氏物語…などを書いているらしい。出版年からすると、母の本棚にあったのは、聖書かギリシア神話であろう。

さて、「コーランには私たちの常識では割り切れない部分がある」(p.7)と話を始めた著者は、まずはユダヤ教、キリスト教とイスラム教の関係を語る。いまでは「ムハンマド」と書かれるが、この本では「マホメット」。私が習った教科書や資料集も「マホメット」だった気がする。この響きがなつかしい。

▼ユダヤ教もキリスト用も同じ唯一神を仰ぎ、これまでにも神の言葉を伝える聖典〔ユダヤ教の聖典や旧・新約聖書〕がくだされ、数多くの預言者〔モーセやイエスなど〕がこの世に送られて来たが、人々の胸にまだ充分に神の教えが届いたとは言えない。いよいよ最後にマホメットが現われ、もっとも充実した教典であるコーランがつかわされた、と、これがイスラム教側の見方である。(p.16)

阿刀田流にいえば「アラーはすべてをお見通し」。もともとは同じ神様の教えであって、だからコーランの話には、当然、聖書と似たところもある。
著者は、コーランと、それに先立つ旧約聖書と新約聖書について、私見としてこんな風にいう。
 ・旧約聖書=古代ユダヤ王国の建国史
 ・新約聖書=イエス・キリストの伝記
 ・コーラン=親父の説教

率直すぎて笑ってしまうが、論述の方法が親父の説教のようだと、後になって(親父の言ってたこと、正しかったなあ)と感銘するようなものだと。

▼だが、そういう偉い親父でも、説教というものはあまり論理的ではない。いきなりドカンと降って来る。事実の誤認もあるし、牽強付会もある。断片的な言いようが多いから、前後の事情を知らないとわかりにくい。…(略)…
 そして、もっとも顕著な特色は、親父の説教は、つねに、くどい。同じことを何度も言う。(p.27)

そういう、いまいち論理的でないところもあって分かりづらく、しかも繰り返しが多い、というのが、阿刀田流につかみとった「コーラン」。親父の説教に喩えるなど、アラーの神には不敬であろうが、「読み進みながら親父の説教をふと思い出さずにはいられない。何度くり返して言われても、それに従わない愚かさに思いを馳せてしまう」(p.28)というのだ。筆者によれば、「アラーの教えは旧約聖書ほどストーリー性に富んでいない」(p.26)のである

コーランは、「アラビア語で詠唱されるのが正しい」(p.285)そうで、翻訳はお目こぼしのような存在だという(本の扉には「本来、外国語に翻訳することは不可能である」とも書いてある)。そういうわけではあるが、エッセイの中で縷々引用されているコーランは、「日本語訳として一定の権威を持つ〈聖クルアーン〉(日本ムスリム協会発行・第七刷)」を典拠とし、ほかに井筒俊彦訳の『コーラン』や、世界の名著シリーズの『コーラン』を利用し、ところどころは英語訳も参照したとのこと。

マホメットが生きた時代のこと、その生涯がどんなものであったか、マホメットの死後の跡目争いにから現代のイスラムの派閥のこと、そしてイスラム系の国家の数々。広く浸透したイスラム文化と各地で興亡したイスラム王朝のことを読んでいると、世界史の教科書であれこれと出てきた何とか朝(アッバース朝とかウマイヤ朝とか)がぼんやりとよみがえる。

著者のコーランやイスラム社会への素朴なツッコミも含め、門外漢にもなんとなく分かるような仕立てだった。イスラム社会はものすごく広いし、同じイスラム国家といってもいろんな国があるし(たとえば、禁酒の国もあれば、お酒が飲める国もある)、でも、あまり知らないがために「イスラム教=○○だ」みたいなキメツケや短絡した思い込みになりやすいのかも…と思った。

筆者は、アラビア語によるコーランの朗誦を聞いたことがあるそうだ。私もそういうのを聞いてみたいなあと思ったのは、筆者がアラビア語を母国語とする人から「第36章は詩歌としてすばらしいんです」と教えられたと書いているから。

▼コーランは詩歌であり、神の音楽でもある。朗誦されて、快く響くこと、それが一つの価値であることはつとに力説されている。…(略)…
 詩歌的な響きにおいて優れている、と言われれば、私たちは〔わからないなりに〕その力を軽視してはなるまい、と思う。…(略)… 極論をすれば、詩歌として美しくない神の言葉は、神の言葉として認めにくい、とまで言ってよい、と私は思う。(p.110)

「神」というものに対する態度という点では似ているのであろうから、こんどは阿刀田流の聖書の話を読んでみたい。

(3/24了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第42回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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