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置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)

置かれた場所で咲きなさい置かれた場所で咲きなさい
(2012/04/25)
渡辺和子

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クリスチャンの人から貸してもらった本。ものすごく売れている本だということと、この著者が、二・二六事件で父親の渡辺錠太郎を目の前で射殺された経験をもっていることは知っていた。

事件当日、父と床を並べて寝[やす]んでいた著者は、「死の間際に父がしてくれたこと、それは銃弾の飛び交う中、傍で寝ていた私を、壁に立てかけてあった座卓の陰に隠してくれたことでした」(p.130)と記す。その父が、外国駐在武官として、第一次大戦後にはドイツやオランダに駐在して身をもって語っていたのは「勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ、したがって、軍隊は強くてもいいが、戦争だけはしてはいけない」(p.129)ということだった。

著者は、30歳間際で修道院に入り、修練の後に、岡山のノートルダム清心女子大に派遣される。その翌年、前学長の急逝をうけて、36歳にして次期学長に任命され、以来こんにちまで学園でつとめている。

本の冒頭に「修道院というのは、無茶と思えることでも、目上の命令に逆らうことは許されないこところでしたから」(p.11)と書いてあり、へぇー修道院という場所はそんなところなのかと思う。東小雪が書いていた宝塚音楽学校の凄まじい上下関係の話をちょっと思い出す。
著者の説く、現実が変わらないなら自分の心の持ちようを変えてみる、というのは生活の知恵かなあと思いながらも、それは現状維持のままになるんじゃないのか、現実を変えることも考えたほうがいいんとちゃうのか?と思ったりもして、読みながら、納得できるところもありつつ、うーん、うーんと悩んでしまった。

"別の視点から考える"と言われると、それはそれで腑に落ちるのだが、"心の持ちようを変えてみる"と言われると、私はなんか引っかかる。

著者の言葉で印象にのこった一つ。

▼子どもは親や教師の「いう通り」にならないが、「する通り」になる。(p.52)

なってほしい姿を、自らも示す努力をする。それは、子どもに対する大人だけではなくて、職場とかそういうところでも同じやろうなーと思った。そして、"子どもが起こす事件"は、まさに大人の「する通り」という気がする。

修道院に入り、神に仕える生活を送っているからといって、"できた人"であるわけではないことを、著者は自身の経験から記す。"くれない族"であった自分、仕事に追われ、ちょっとお話したくて…という学生を「何の用」と迎えてしまった自分、そして、そこから変わっていった自分。

▼咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう。(p.3)

この言葉も心にのこった。

(2/23了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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