読んだり、書いたり、編んだり 

おさがしの本は(門井慶喜)

おさがしの本はおさがしの本は
(2011/11/10)
門井慶喜

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タイトルが気になって読んでみる。主人公は図書館のレファレンス・カウンターを担当する和久山隆彦。図書館によっては「調査相談」とか「しらべもの」という札がかかっているこのレファレンスという職務は、「調べもののお手伝い」をする。私は調べたり探したりはあまり苦にならないが、自分の調べでは限界と思うときや、違う切り口で探してほしいと思ったときには図書館でお願いする。

へぇぇ、そんな本があるんですか!と思うときもあるし、どうやって調べていったのか時間がゆるすなら詳しく伺いたいと思うときもある(図書館のカウンターは忙しそうなので、なかなかそういう機会はないが)。

私はこれまで住んできた自治体あるいは通勤通学先の自治体、さらには通ってきた学校の図書館、図書室、さかのぼれば近所のおばちゃんがやっていた文庫まで、ずーっと図書館の類に入り浸ってきたので、こういう図書館モノの小説を読むと、自分の経験に照らしてあれこれと思う。

「ほんの一部の人々しか貸出サービスを利用しない」(p.23)とか、「レファレンス・カウンターなどは存在しないに等しい」(p.24)などと読むと、これは話の展開に必要な場面設定なのだろうが、この図書館は朝から晩までどんな感じなのか、書架の高さはどれくらいで、どういう向きに並んでるのか、カウンターはどんな風かと想像するのだった。

主人公の和久山は、大学で司書資格をとり、公務員試験に通って、N市立図書館に入職して6年目。「しょせん図書館など知の宝庫ではない。単なる無料貸本屋か、そうでなければコーヒーを出さない喫茶店にすぎないのだ。少なくとも市民の目にはそうなのだ」(p.25)という諦めのような境地に至っている。
この著者の本を読むのは初めてだが、推理小説の新人賞をとってデビューした人だそうで、この小説も図書館を舞台に、主人公の担うレファレンス業務のところで謎解きをからめたつくりになっている。

人口に膾炙した作者名とよく似た名の別の作者の本が出てきたり、よく知られた版元名の勘違いだろうと思っていたら実はそれが人物名だったり、レファレンス・カウンターに持ち込まれた案件に対応する和久山自身が、当初想定して探したのとは違った資料にたどりつく経緯がおもしろい。著者はいったい、どこでどうやってこういうおもしろいネタを考えついたのか、どこかで思いがけず見つけた本や資料があったのかと、そこが知りたくなる。

和久山が少ないながらも利用者からのレファレンスに応えているN市では、財政難による図書館廃止がもちあがる。こういう事態はどこの自治体でもありうる現状だけに、廃止派の理屈と存続派の主張の、どちらが市議や市民を説得できるだろうかと思いながら読んだ。

和久山の勤める図書館に、廃止派の館長・潟田が送りこまれてきて、その最初のあいさつで「図書館というのは、はたしてN市にほんとうに必要なのだろうか」(p.116)と話し始めたのである。

▼自分(潟田)はこれまで秘書室の副室長の職にあり、大所高所から市の仕事を見わたす機会をたびたび持ったが、率直なところ、現在のN市はあまりにお金の使いどころを誤っていると言わざるを得ない。救急センターも未整備だし、市営住宅も老朽化しているし、ごみ処理施設も拡充しなければならないというのに、図書館などという腹の足しにもならぬ文化施設に少なからぬ予算をぶちこむとは本末転倒もはなはだしい、分不相応この上ない。
 むろん諸君(職員)としては不満だろう。腹の足しにもならぬと頭ごなしに決めつけられたのでは。しかしこのなかで誰かひとりでも胸を張って言うことができるか? この図書館が、図書館でなければ果たせない機能をしっかり果たしていると。貸出の実績を見ても、購入図書の一覧を見ても、事実上、無料貸本屋ではないか。そんな仕事ならわざわざ自治体が手をわずらわせることはない、書店なり新古書店なり大手チェーンを誘致するほうがいいだろう。レンタルショップを併設させれば視聴覚資料もまかなえる。市民の生活の文化度はそこなわれないし、市は新たな税収が期待できる。これを一石二鳥と呼ばずして何と呼ぶ。(p.117)

図書館が無料貸本屋だという批判は、本の著者や版元、本屋からも出たりする。図書館が本をぐるぐると貸し出すせいで、100人に読まれても、売れるのは図書館の買う数冊だけ、商売あがったりだという具合に。

それとともに、自治体がやるべき仕事は何なのか、官か民かという話。自治体が設置するものの、運営はいわゆる「民」に任せる指定管理や業務委託というかたちは、ますます増えている。

ハコモノだけではなくて、最近では住民票の写しをコンビニで出せるとか、税金や保険料の納入をコンビニでできるとか、いったいそのデータを扱う責任はどこでだれが負っているのかよく分からない仕事もある。

郵便だって昔は公務員が集めて公務員が仕分けして公務員が配っていた。「公務」って何やろうと思う。仕事のあり方も、働き方も、社会のあれこれの変化につれて変わっていってるのは事実だが、「自治体が手をわずらわせることはない」という理屈に対して、何が言えるかなあと思う。

さて、そういう図書館廃止派の館長がやってきた図書館で、やはりレファレンス対応をしながら、和久山はひょんなことから、市議会の文教常任委員会で存続派として意見を述べることになる。同じ委員会で、廃止派が立てる弁士は館長の潟田だという。まだ態度を決めていない中立の委員がいる、その委員に向けて説得してほしいと、存続派の市議・増川から頼まれたのだ。

和久山が最初に用意した原稿は、増川に却下された。

▼「君はこういうことを言いたいのだろう。読書はおよそ少年の情操をやしない、青年の教養を深め、壮年の知識の泉となり、かつ老人のいわゆる生涯学習にも資するものである。だからN市が図書館を廃止し、市民から読書の習慣を遠ざけるのは文化的な暴挙というほかない。断固反対」(p.239)

ありきたりとまでは言わないが、むやみと常識的でむやみと様子がいいだけだと増川は言い、「こんな演説を耳にしたら、委員の心がますます図書館廃止のほうへ向かうのは避けられない。君や私のこころざしは逆の結果を招く」(p.239)と断じた。

文化的な暴挙だ、というだけでは説得できないやろうなと私も思う。それで説得できるくらいなら、こんな廃止論はハナから起こらないだろう。といって、増川も、どう書いたらよいかは分からない。分からないからこそ、図書館で実務を担う和久山に白羽の矢を立てたのである。

それから悩み、増川にダメ出しされながら草稿を4度書きなおし、同僚にも相談して、最後は徹夜して迎えた委員会の日、和久山は語った。

近代日本は法治国家であり、それは大事なことはみな広い意味で文書によって提供されるテキスト国家であって、こうした社会において文字を読むことは近代的生存のために必須、その文字を読む能力をもっとも大規模かつ組織的に養ってくれるのは書物以外にないと述べたあとに、和久山は、その支援に自治体が公金を投じる意味についてこう続ける。

▼考えてみれば、市民の九割は救急センターを使いません。それほどの身体的な危機におちいることがないからです。同様に市民の九割は─もちろん数字は正確ではありませんが─市営住宅の世話にはならない。何とか自分でやりくりして住まいを買ったり借りたりできるからです。つまり行政が手をさしのべる対象はたった一割というわけですが、これはこれでいい。というより、むしろ対象がそういう特殊な少数、わけありの少数であるところにこそ、公金を投じる意義も理由もあるわけです。
 ならば図書館も同じでしょう。図書館もつまるところは処置を必要とする人のために存在する。書店にない本が読みたいとか、何冊もの事典や辞書をいっぺんに見くらべる羽目になったとか、あるいは自分の主題に見あう本がどれなのか見当もつかないとか、そういう非常の─けれども案外よくある─状態におちいった人間のために存在するのです。繰り返しますが文字を読むのは近代の人間に必須の能力。すなわち図書館は、その必須のおびやかされる機においてこそ真面目をあらわすのです。(pp282-283)

付け加えて、もちろん理想と現実は違い、ただひまつぶしとか、買うためのお金がもったいないという理由の利用もあるけれど、だからといって、そういう人たちのために図書館の価値が傷つけられることはないと和久山は述べる。「ちょっとした病気やケガでむやみと救急車を呼びつける人はたしかに迷惑だけれども、だからといって私たちは救急車を走らせないわけにはいかないのだから」(p.283)と。

私はこの和久山の話にものすごく説得された感じはしないけれど(N市では議員や職員に大変評判がよかった、という話になっている)、"文化を破壊する暴挙だ"論よりは、廃止派とわたりあえる可能性は高いやろうなと思った。

この和久山の演説よりも、私には印象深かったのは、「結局仕事をするのは人なのだ」という話。あの委員会での演説草稿をつくった際に君が参照した資料をぜひ教えてほしいという市長からのレファレンス依頼に対し、和久山は、ただの一冊も本の助けを借りていませんと答えたうえで、市長にこう言った。

▼「レファレンス・カウンターは調査を助ける存在です。調査そのものは相談者自身がしなければならない。それと同様、書物というのは、ただ人間を助けるだけの存在なのです。最終的な問題の解決はあくまでも人間自身がおこなわなければならない」(p.323)

私も図書室で働いていたころに「情報相談」という名目で、調べたり探したりをしたことがある。そのときによく、これは対応する人が違えば、ときにはかなり違う資料の紹介になるやろうなと思った。誰が対応しても"同じサービス"というわけにはいかないのを、それでいいものかと当時はよく思ったが、やっぱり違う人が"同じサービス"は無理やんなーと、かつての仕事のことを考えた。

著者の名は「かどいよしのぶ」と読む。江戸幕府の最後の将軍と同じ名である。

(2/1了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第40回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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