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大震災’95 (小松左京)

大震災’95大震災’95
(2012/02/04)
小松左京

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阪神大震災を大阪の箕面市で経験した小松左京。この本は、毎日新聞で震災後の4月から1年にわたって小松が連載したものに、単行本では未収録の「阪神大震災の日 わが覚書」「自作を語る」をあわせて収めたもの。

本文は、「あの日から七十五日」というタイトルから始まっている。震災が襲った1994年度が明け、1995年度の始まった4月1日が「あの日から七十五日」であること、その日数は人のうわさも…と言われるように、すべては移ろいゆくという無常観を表したものだろうと指摘しながら、小松はこう続ける。

▼だが、私は逆に、この大震災発生以後二ヵ月余あたりから、この「巨大な災害」が、私たちの社会と生活にもたらしたショックと影響の「全貌」をとらえる作業にとりかかるべきだと思う。─なぜなら、あの時不意に、阪神間の足もとから牙をむいて襲いかかってきた、私たちにとっても、社会にとっても、まったく「未知の体験」だったあの大災厄のもたらした、衝撃と、どこまで広がるかわからなかった多元的な混乱も、このあたりでやっと鎮静化にむかい、それにつれて、この災厄の複雑な「全貌」と性格も、ようやくぼんやりと把握できるようになってきたからである。…(略)…

 いずれにしても、近隣周辺を含めて、この災厄に対する「記憶の痛みと疼き」の生々しいうちに、「総合的な記録」の試みをスタートさせなければならない、と思う。そして、その記録の集積を行う主体は、「市民」と、マスコミを含む「民間企業」の協同体が中心になったものでなければならないと思う。もちろん、市民、国民、営利法人の「税金」で賄われている「官」のシステムには、全面的な協力を要求する権利が、この主体にはあるが、決してその収集を、官に委ねてはならないと思う。(pp.10-11)

小松は、くりかえし「この大震災が噴き上げた、膨大多岐にわたる「情報」の収集と記録は、私たちみんなの手でやらなければならない」(p.12)と訴え、当事者一人一人がそれぞれ「自分の記録」をとろうと呼びかけた。
その小松が、自分が生まれ育った阪神間を「たった10秒間」で破壊した震災について、精力的に調べ歩いて書き、対談している。

とくに印象に残ったのは、緊急補給ラインとしても避難所としても「海」のことが忘れられていたという箇所、そして、小松自身も体験した縦揺れのすごさ、上下動エネルギーの破壊的な強さについて地震計の記録によって示した箇所だ。

阪神間は海と山が近い。とりわけ、小松が育った西宮市の夙川あたりは海岸線が山に迫っているところである。その近かった「海」と阪神間の市民生活が隔てられ始めたのは「戦争」以来のことだと小松は記す。そして戦後は、生活排水や産業廃液によって沿岸の海は汚染され、「かつて、夏の日の一日を海に戯れ、砂浜で憩い、潮干狩りや投げ釣りを楽しんだ海」(pp.234-235)は次々と遊泳禁止となっていく。さらには広大な埋め立て地によって、海岸線は遠くなった。

▼江戸中期から海岸地帯に形成されてきた灘五郷、明治初期、大輪田泊を避けて神戸に開かれた居留地と開港場、異国の船や、貿易商が、関西における「文明開化」のセンターを形成し、その背後に世界へ通ずる「海」があった。
 すでに述べたように、神戸、阪神間の市民の心と海とを決定的に隔てたのは60年代から70年代へかけての高度成長期だった。埋め立て地は、汀線をはるか沖合に遠のけ、高速道路、湾岸道路の高架や、沿岸、埋め立て地の高層ビルは、水平線までかくしてしまった。--防災、避難として、山はよく使われた(たとえば空襲の時に)。しかし、海と海岸線もまた、まさかの時は避難所と、特に緊急補給ラインとして、山よりもはるかに役に立つのに--そして事実、海上保安庁の船だけでなく、海自の護衛艦、補給艦が強力なロジスティック・ラインをひいたのに、市民も行政も、そこに「太いパイプをつなぐ」ことを、すぐには思いつかなかったようである。埋め立て地の未来都市のような居住区は、橋が落ち、ポートライナーが止まると「陸の孤島」となった。(p.237)

そして、「上下動がすごいのに、建築屋さんとか耐震工学の人たちは、免震、制震は全部横揺れで考えている。神戸で倒れた四階建てのビルは最初の揺れで基礎が抜けている。そこへ横揺れがきたから、横へ飛んだのです」(p.209)という話。

民間設置のものも含め、小松が入手した地震計の「加速度記録」のなかでも、激しい上下加速度が多くの地域で記録されている。小松自身が謎に思っていた「中途階の挫屈」つまり、中高層の建築物の真ん中の階がぐしゃっとつぶれる現象がどうして起こるのかを調べ続けたなかで、大阪市立大学工学部建築学科助手(当時)の那谷晴一郎さんの論文で「層インピーダンス」概念に出会ったところが興味ぶかい。

▼那谷氏の計算によると、建築では柱の鉛直方向の剛性の方が、柱を曲げようとする水平剛性より、形状にもよるが、36倍も大きい、という。同じ大きさの加速度が上下方向に作用したとすると、ゆっくり揺れる水平方向より6倍速く力が伝わり、そのときに鉛直方向には「力積効果」がある衝撃性の存在が示唆される、という。…(略)…
 つまり、上下動は「衝撃」だけが先行して柱を伝わっていき、水平動のようにゆさゆさと揺れることはない、というのだ。(pp.341-342)

当時すでにあった免震装置や制震装置の仕掛けがすべて「横揺れ」を前提にしておこなわれていることを小松は調べていたから、那谷氏の層インピーダンスの概念に出会って、なぜ建物の中途の階がぐしゃっとつぶれたのか、そして記録された上下加速度があれだけ大きかった理由を説明してくれるものだと記している。

▼上下動エネルギーの入力は建物の柱を通じて上部階へ伝わっていく。建物自体の重量はがっちり柱を押さえつけ、横揺れのように建物が左右にしなり、構造体の持つ慣性や復原力では、そのエネルギーを逃がすことができない。短時間に柱内の通過で急増大された衝撃エネルギーは、柱が負担する荷重の大きさ、柱の太さなどの構造や材料の特性によって定められる伝播抵抗(層インピーダンス)に応じ大きなたまりを起こす。こうして全階の柱を通じて層インピーダンスが大きくなる。鉛直方向のある場所に大きな破壊をもたらすというのである。
 これは、はっきりいって「創見」である。

最初に収録されている対談は、神戸新聞の論説委員であった三木康弘さんと語った「記録者の目」というもの(pp.36-42)。震災から20年で昔のテキストがネットにいろいろと出ていた中で、この三木さんが震災3日後に書いた社説「被災者になって分かったこと」※を読んだところだったので、あれを書いた人かと思いながら読んだ。

神戸新聞は、災害時の相互援助協定を結んでいた京都新聞の力を借りて、1月17日の夕刊から出した。三木さんは、「新聞は小松さんが言われるように、まず記録ですね。いかに被災者がふるまって、何を思って、何を考えて、何に困っているか、それをまず伝えることが記録になりますね。」(p.40)と語り、「被災地が読者のエリアなので、社説は震災以後、東京の地下鉄サリン事件が起こるまで、ほかのテーマは無視して、毎日、震災関係で押してきた」(p.40)と振り返る。

その三木さんが書きつづけた社説やコラムは、『震災報道いまはじまる―被災者として論説記者として一年』という本にまとめられているそうだ。地元紙が伝えたものを記したこの本も読んでみたい。

(1/28了)

※社説 被災者になって分かったこと(神戸新聞、1995年1月20日)
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/01/rensai/199501/0005491602.shtml
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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