読んだり、書いたり、編んだり 

近所の犬(姫野カオルコ)

近所の犬近所の犬
(2014/09/18)
姫野カオルコ

商品詳細を見る

「はじめに」で著者は、「自伝的要素の強い小説」と「私小説」の違いを、事実の占める度合いとカメラ(視点)の位置によるものと述べている。

▼「私小説」のほうが、事実度が大きく、カメラ位置も語り手の目に固定されている。よって読み手にすれば、「私小説」は随筆[エッセイ]を読むスタンスでページを進めてゆける。(p.9)

この『近所の犬』は、こう書いている「はじめに」も含めて「私小説」である、という。この小説は、著者の借飼[しゃくし]、つまりは自分では飼うことのできない犬や猫を見て、飼い主の了解を得て触わって…という話をあれこれ書いたようなものだった。エッセイのようだと言えばそうも言える。

私はところどころで、ぐっはっはと笑いながら読んだ。とくに、直木賞をとったあとの話はおもしろかった。

章の扉には、その章で主に語られる犬(もしくは猫)と同種の犬のイラストが入っていて、その犬(もしくは猫)の名が書かれている。黒ラブラドール・レトリバーが描かれた章は、「うニ」

「う」がひらがなで、「ニ」がカタカナとは、変わった名の犬よのう~と思ったら、それは「ラニ」だった。(同居人に扉を示して、どう読めるか尋ねてみたら、私と同じく「うニ」と言うのだった。)
▼…小さいころに本人が望まぬレッスンや教育をほどこされた、という人が時々いる。私の場合は、小さいころに、「自分を嫌いなさい」というレッスンをほどこされた。
 両親は大正生まれであった。大正時代は、自分を嫌うこと、自分の欠点だけを見つめることがマナーだったのだろうか。両親には両親の信念があったのだろうが、このレッスンがプラスに働いているようには、どうも私には思われない。(p.235)

この箇所は、自伝的要素の強い小説である『昭和の犬』をちょっと思い出すものがあった。※

「私」は、犬をよくよく見て、できることなら触りたいために、飼い主に声をかけ、まず犬の名を尋ね、触ってよいかと訊いて了解が得られた場合になでなでとする。「私」に話しかけられる側の飼い主の心情を慮る場面で、著者はこんなことを書いたりもする。

▼若くない女は商品価値がない。これが世の中の事実だ。しかし言っておく。金のない男は商品価値がない。これも事実だ。で、かかる世の海を漕ぎゆくうち、「商品価値」と「己にとっての価値」とのちがいがわかることが、大人になる楽しさである。(pp.216-217、【】は本文では傍点)

最新号の『考える人』(特集:家族ってなんだ?)に載っていた平松洋子の連載で「栃尾のあぶらげ」がとりあげられていて、そのウマそうな写真を堪能したあとだったので、著者が「本棚は栃尾のあぶらあげの色のような色をしている」(p.99)と色の喩えに使っているところが印象に残るのだった。

犬の毛色の喩えも、凝ってるなーと思った。

(1/12了)

『昭和の犬』のことは、「乱読大魔王日記」のラスト1つ前、We187号で書いた。
 
Comment
 
 






(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
 
Trackback
 
 
http://we23randoku.blog.fc2.com/tb.php/5182-af751794
 
 
プロフィール
 
 

乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
    乱読ブログバナー
本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

amazonへリンク

 
 
最新記事
 
 
 
 
最新コメント
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
Google検索
 
 


WWW検索
ブログ内検索
Google
 
 
本棚
 
 
 
 
リンク
 
 
 
 
カウンター
 
 
 
 
RSSリンク
 
 
 
 
月別アーカイブ