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ナタリーってこうなってたのか(大山卓也)

ナタリーってこうなってたのかナタリーってこうなってたのか
(2014/08/20)
大山卓也

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何かで知って(何で知ったのだったかちょっと思い出せず)、図書館にちょうどあったので借りてみた。「ナタリー」とは、ポップカルチャーの情報サイトで、著者はそのサイトを立ち上げて運営してる人。

もとは音楽ニュースサイトとして生まれ、そこからマンガやお笑いの分野にフィールドを広げていったというサイトで、「マンションの一室ではじめたサイトが、いつのまにか毎月2000本以上のニュース記事を配信し、月刊3000万を超えるPV(ページビュー=閲覧数)を獲得するまでに育ってきた」(p.4)そうである。

子どもの頃から好きになったものを「もっと知りたい」というキモチが強く、自分が欲しいサイトがなかったから作ってしまった、という感覚の著者が、自分の想像を超えて育った「ナタリー」について書いてみたのがこの本。

私は、「ナタリー」というサイトを全く見たこともないままこの本を読んだが、メディアとか、何をどう伝えるか、仕事としてやっていくこととお金…そういう点でいろいろとおもしろかった。本を読みおわってから、初めて「ナタリー」を見た。ふうううん。

「ナタリー」 → http://natalie.mu/
たとえば、「ナタリー」を始め、毎日朝から夜中までひたすら原稿を書きながら、何かがおかしい、と気づいたときの話。

▼…あるとき気が付いた。そもそもナタリーを始めるにあたって、自分はなんのビジネスモデルも用意していなかったのだ。サイトをどうやって収益化していくかについてのアイデアを一切持たないまま、とにかく作ってみただけ。今考えるとボンクラすぎる話だが、いいサービスを作りさえすれば結果はついてくるものだと、当時の自分は楽観的に考えていた。
 モノを作る人間は、時としてそのクオリティを高めることに意識を集中させすぎて、作ったものをどう広めてどう売るかという発想が抜け落ちてしまうときがある。ナタリー初期の自分はまさにそういう感じだった。(p.48)

"いいサービスを作りさえすれば結果はついてくる"てなことは、そう簡単に起こらない。イマドキだと、フェイスブックで「いいね!」が沢山ついたからといって、それがばかすか売れるということもない。作ったモノを売るのは、本当に難しい。本や雑誌は、すごくよかった!からといって、一人が何度も何冊も買うものではないし(まれに奇特な人が、大量に買って、周囲に撒くという例はあるが)。

「ナタリー」の記事をどういうスタンスで書いているか、という話も私にはおもしろかった。「記事を作るにあたって「書き手の思いはどうでもいい」というのが、ナタリーの一貫したスタンス」(p.66)で、「文章の内容も、取り上げる題材も、偏りや主張を極力排除して記事にするのが、"ナタリー的"なやり方」(p.69)だという。

▼これは旧来の雑誌媒体が作り上げてきた方法論とは明らかに異なるものだ。雑誌の時代は偏りこそが重要だった。限られた誌面の中で何を取り上げ、何を取り上げないか。そこにその媒体の編集方針が反映され、送り手の意志が見えてくる。そうやって雑誌は自らをブランディングし、固定読者を獲得してきた。…(略)…
 だが、そうした雑誌のあり方を「メディアの理想像」としてそのままウェブサイトに適用するのは、今やなかなか難しいように思う。(p.70)

こんなあたりを読みながら、わざわざ購入して読もうという紙媒体の雑誌(誌面には限りがある)と、移動や休憩の時間に目を引く記事を見つけたらなんとなく読みはじめ、少しでもつまらなかったり読みづらかったりしたら離脱してしまうウェブ媒体(そこには膨大なスペースがある)との違い、読者との距離感やつながり方の違いを、しばし考えた。

そして、オフィスを構え、スタッフ全員が顔をつきあわせて作業するという「ナタリー」の仕事環境の話も、5年ほどほとんど一人で在宅勤務をしてきた私には興味深かった。

「ナタリー」の記者のあいだでは、このサイトに何が載っているべきかについて了解があるという。その了解があるから、特段の編集会議は要らず、記者スタッフは共有の「ナタリーネタ帳」から阿吽の呼吸で記事を作っていくという。

▼ネタ帳にある数百件のネタのうち、何を記事にするか。それは「ナタリーに何が載っているべきか」という基準のもとに決まっていく。「好きだから」とか「書きたいから」ではない。個人の好き嫌いはどうでもいい。いくら好きなアーティストの話題でも書くべきでないものは書かないし、逆に記者個人として興味がなくても「この情報は世に出すべきだ」と思えば即記事にする。(pp.78-79)

この「阿吽の呼吸」を維持するために、「我々はオフィスを構えて毎日出勤しているのだと思う」(p.80)と著者は書く。「効率だけを考えれば馬鹿みたいな話だが、その非効率なやり方こそがナタリーの価値を生んでいるのだと思っている」(p.80)と。

著者の「みっともないことはやらない」という心にも打たれた。「ナタリー」というサイト自体は、ちょっと私の興味関心とはズレがあるようで、毎日毎日ぜひチェックしようとは思わないのだが、このメディアはこんな心意気でつくられているのだなというのがよく分かる本だった。

巻末に、著者・大山卓也について、津田大介(「ナタリ-」のニュースを他サイトに売ろう!と提案して収益化の道をつくった人)と、唐木元(コミックナタリーとナタリーストアの編集長)が対談したのが収録されている。

「しょうもないメディアしかない死屍累々の日本のネット状況」(p,177、津田)のなかで、ネットメディア全体の底上げをやるべきかと思うときがあると唐木がしゃべっている。ここがすごくおもしろかった。

▼今はキュレーションメディア流行りでしょ。あれって要するに見かけのいいバケツじゃん、皆さん、バケツばかり作って、どこで水を汲むんですか?って思う。一方、我々はその水が湧いてくる井戸をやってる。本来はそれがメディアというものでしょう。中身を作り出すということについて、本当は我々が少数派になってはいけないんだよ。(pp.177-178、唐木)

(10/16了)
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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