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日本の雇用と中高年(濱口桂一郎)

日本の雇用と中高年日本の雇用と中高年
(2014/05/07)
濱口桂一郎

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たしか、新聞の書評でみかけて読んでみたいと思い、近所の本屋にあるかと見にいったら、ちくま新書の並びの中でこのタイトルは抜けていて(どなたかが購入されたのか)、それでちょっと待って図書館で借りて読む。

さいごのほうに、わずかばかり「中高年女性の居場所」という小見出しがたてられている。この小見出し部分に女性の話は尽きていて、この本でずーっと出てくる「若者と中高年」というのは、基本的に若いあんちゃんたちとおっさんたちの話なんやなーと思う。

まあ、それはそうとして、構造的な視点が必要だ、という著者の話は、なかなかおもしろかった。"日本型の雇用のあり方"はおっさんたちばかりが既得権で得をして、若いもんは損をしてるという…という類いの話は不毛であると。

この損得問題は、著者に言わせればこういうことだ。
▼…日本型雇用システムとは、スキルの乏しい若者にとって有利である半面、長年働いてきた中高年にとって大変厳しい仕組みです。不況になるたびに中高年をターゲットにしたリストラが繰り返され、いったん離職した中高年の再就職はきわめて困難です。しかしながら、その中高年いじめをもたらしているのは、年齢に基づいて昇進昇格するために中高年ほど人件費がかさんでいってしまう年功序列型処遇制度であり、その中にとどまっている限り、中高年ほど得をしているように見えてしまうのです。(p.171)

著者は、「若者(正確には「若い中高年」)にしても中高年にしても、運悪くこぼれ落ちた者が著しく不利益を蒙ってしまうような構造自体に着目し、その人々の再挑戦がやりやすくなるためには何をどのようにしていったらいいのか、という構造的な観点が不可欠です」(p.17)と述べる。

序章の14~19ページが、この本のダイジェストになっていて、とりあえずここを読めば著者の主張のキモは「わかる」のだけど、いったいどういう時代に何がどうなって、今こうなってるのか、というのは、やはり全体を読んだほうがおもしろい。

たとえば、経営側が「職務給」(職務に応じた賃金)を唱道し、政府も職務給の導入を方針としていたが、1960年代後半に、事態はまったく逆の方向に=「職能給」に変わっていったというところ。その転換を明確に宣言したのが『能力主義管理 その理論と実践』という報告書で、著者はこれを「「能力」を体力、適性、知識、経験、性格、意欲からなるものとして、極めて属人的に考えている点において、明確にそれまでの職務中心主義を捨てたと見てよいでしょう」(p.47)と指摘する。

「仕事」に注目していた職務給から、「人」に焦点をあてた「職能給」への転換。
▼職務遂行能力はあくまでも潜在能力の評価であって、実際に従事している職務とは切り離されているので、企業が労働者をどんな職務につける場合でも障害にはなりません。逆にいえば、賃金制度が職能給という形に落ち着いたことで、職務の限定なき雇用契約という在り方が確立したともいえます。(pp.47-48)

そして、能力なのだ、知的熟練なのだ、労働力の価値が高いのだと言うようになって、問題意識が消えていった、という話がまた興味深いものだった。

経営側や政府が「職務給」を言うのに対し、働く側は「それでは生活できない」と反論してきた。年功賃金は、(おっさん一人の稼ぎで妻子を養える、という意味での)生計をたてられる賃金=生活給の色合いが濃いものだったはずだ。ところが、1970年代以降、日本型雇用ブラボーの時代がやってきて、それが、"生計費をまかなう生活給"という年功賃金の原点を隠していくことになった。

▼1970年代以降に労働経済学で主流となっていった知的熟練論では、そもそも中高年が高賃金となっているのは生計費をまかなうためなどという外在的理由ではなく、労働力そのものが高度化し、高い価値のものになっているからだと、正当か理由が入れ替わってしまっていたのです。(中略)しかし、好況期にはそのロジックを信じている振りをしている企業であっても、いざ不況期になれば、「変化や異常に対処する知的熟練という面倒な技能を身につけ」たはずの中高年労働者が真っ先にリストラの矛先になるのが現実でした。(中略)企業からそれだけの値打ちがないと放擲されてしまった中高年労働者は、本人の能力が低かったからそういう目に遭うのだという形で問題が個人化されてしまい、生計費がかかる中高年労働者の共通の問題としてそれを訴える道筋が奪われてしまうという結果になってしまうのです。(pp.232-233)

著者のみるところ、それはアカデミズム、ひいては政策にも影響を与えた。
▼こうした流れは、アカデミズムにも大きな影響を与えました。現役労働者の生活保障はすべて企業内で解決されるべき「労働問題」であるとされてしまったことが、それまで存在していた広義の「社会政策」という問題意識自体を希薄にしたのです。(中略)近年、社会政策分野で福祉と労働のリンケージが問題になりつつあるのは、この状況を反映しています。(p.238)

「中高年女性の居場所」で述べられている、「女性正社員は会社にとってどんな存在だったか」のところを読んで、母たちの世代で裁判を起こした人などはこういう女性観と闘ってきたのやなーと思った。とくに、女子の結婚退職制などを正当化してきた企業の主張が、あらためて読むとスゴイ。そこのところを、著者がコンパクトにまとめている。

▼…男女差別的労務管理を疑うことなき前提とし、にもかかわらず「男女同一賃金の原則に徹し」!「成績査定により生ずる差を除けば、年齢を問わず男女同一の賃金を支給してきた」ために、長期金属の女子職員の方が男子職員よりも高給となってしまうという「不合理」が生じてしまうことのないよう、結婚退職制を導入したというわけです。男女差別的労務管理と男女同一年功同一賃金を組み合わせると、こういう論理的帰結に至るという典型例とも言えます。(pp.217-218)

本題としては、著者は欧米風の「ジョブ型労働社会」、つまりは、職務に応じた賃金というタイプの評価や処遇をやっていくほうがよいんじゃないかと主張している。それが「中高年問題」への処方箋だろうと。本文を読んでいると、なんとなーく分かったような、そうかなあという気にもなる。だが、これとても、どうかすると、かつて均等法導入後に広がったコース別人事のように、「ジョブ型」と「これまでどおり年功型」がどこかの線で切り分けられて、「はずれた人コース」と「あたりの人コース」みたいにならんともかぎらんのちゃうかと思ったりもした。

そして、中高年女性は、この本を読んでいても、どこか「飛び地」感があって、「ジョブ型」になったとして、どうかなーと考えた。とりあえず、この著者の本はもう一冊くらい読んでみたい。

(8/27了)
 
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2014.09.07 Sun 01:41 keiko murai  #-
「新しい労働社会」(岩波新書)9刷いっています。おすすめします。
  [URL][Edit]
2014.09.07 Sun 01:39 keiko murai  #-
『新しい労働社会』(岩波新書)がおすすめですよー。2009年に刊行されてもう9刷いっているのに日本自体がちっとも変われないことといったら!。つまりはEUや北欧やイギリスのように変わっていけばよい。根本的に女性も男性も近代的個人として労働市場に参加できるし、報酬や職階が日本よりずっと公平。社会保障、税制も発達している。ワークライフバランスもある。
対して日本はまだまだ前近代に沈んでいる。女性への身分差別のような労働差別があるのが全く許せん。個々の企業に任せていては無理だから、立法機関や政権、つまりは政治が改革を率先してやるべきだが、レベルがいつまでもいつまでも低くおそまつこの上ないったら。 WWNを20年続けてきての感想です。
日本型雇用慣行の弊害をずっと考えています  [URL][Edit]






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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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