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明るい原田病日記―私の体の中で内戦が起こった(森まゆみ)

明るい原田病日記―私の体の中で内戦が起こった明るい原田病日記
―私の体の中で内戦が起こった

(2010/09/30)
森まゆみ

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単行本が出たころに読んでみたいと思っていたのに、読みそびれたまま、もう文庫本も出ていたのだった。図書室で単行本をみかけて借りてきて読む。原田病を発症してからの著者の日記をまとめたもののうしろに、ちょっと変わったお医者さんとの対談が2本ついていた(この変わった医者との対話のところが、よかった)。

原田病は、名前だけはぼんやり知っていたけど、詳しいことはほとんど知らなかった。自己免疫疾患の一種で、メラニン色素が攻撃対象になるので、色素の多い目の症状が一番強く出やすく、おおむね眼科の病気と思われているそうだ。が、発症してからの不調その他が綴られた日記を読んでいると、原田病→眼科というような「縦割り」で病気を見るばっかりなのは、どうなのだろうと思った(そこのところが、巻末の対談でいろいろ語られている)。
発症してから「見え方」がぐにゃっと歪んで、それまでと変わってしまった著者。ステロイド治療を受けたあと、視力としては回復したものの、「視力1.2」といっても、「見え方」が発症前と同じわけではなく、いろいろな不具合を感じている。頭痛や耳鳴りなどの不快な症状も頻発。

「見え方」は視力だけではないことを、巻末対談「見えるということ」で、若倉雅登さんという「神経眼科」のお医者さん(こんな専門があることを初めて知った)と著者が話し合っている。
若倉 …もうひとつ付け加えたいのは、視力は0.3や0.4あっても、見え方というのは視力がすべてではないということですね。
 森 そうなんです。視力は私も依然と同じように、1.2あって、それはありがたいのですが、やはり見え方が全然違うんです。
 若倉 視力というのは見え方の質は評価していないわけです。視力はじっとまっすぐに見た状態で5メートル先にある検査表のCという文字の方向を識別するだけですから。視覚機能のほんの一部しか反映していません。(p.233)

今までそんな風に言ってくれる医者はいなかった、という著者に、若倉さんは「視力検査で、Cという形の上下左右、開いている方向は認識できても、それは見え方の質とは別の話です。しかもそれは視野全体の真ん中だけのことですからね。全体を反映しているわけではない」(p.234)と言い、視野のあちこちに感度の悪いところがあるのだろう、視野全体の感度検査ならもう少しそういうことも分かるのだが、ただ視力検査をするだけでは、医者には実感として「どれだけ森さんがつらいのか」分からないだろうと説明してくれる。

若倉 網膜の感度検査の機械はどこにもありますが、結局、医者は患者がどんなに見にくいのかということに、患者の実感に関心がないんですよ。視力が1.2出ているので、それでいいというわけ。もうひとつの理由はおそらく、感度検査をしたって治らないと思っているからです。でもそんなことをいったら、そういう検査はほかにもありますよね。たとえばMRIで小さな脳梗塞を見つけて、治るのかといわれれば治らない。つまり医者は今ここにいる患者さんの実態を把握して、これを患者さんと共有するという姿勢が欠けているんです。
  私は原田病というのは全身病だと思っているんです。
 若倉 その通りです。全身病です。
  それまでになかった、頭痛、耳鳴り、めまいがけっこうひどいんです。(p.239)

眼科へ行って眼底や視力を調べても「特に異常なし」。だから、ちょっと頭痛が…と言えば「脳神経科へ」と言われ、ちょっと耳鳴りが…と言えば「耳鼻科へ」と言われ、それで脳神経科や耳鼻科で検査をしてみても「とくに変わったところはない」と言われておしまい。そんな著者の経験を聞いて、若倉さんはこんなふうに言う。

いまの医学では「治せない」かもしれない、「ただ、医者にいちばん欠けているのは、患者のそういった気持ちを実感としてわかろうとする姿勢なんです」(p.238)と。

もうひとつの対談、津田篤太郎さんという、京大医学部で学んだあとに北里大学で東洋医学(漢方)を勉強し、西洋医学と東洋医学を併用して治療にあたっているお医者さんとの話も、おもしろかった。津田さんが最後にこう言っているところは、慢性病と診断されていろいろな制限のある生活をしていたことがある私には、すごくしっくりきた。

▼重いとか軽いとかは、人によっても違いますから、慢性病を得たときに、僕は病気になる前に戻るという考え方よりも、病気になったことをスタートとして、未来をどうしていくのか、そのことを考えるのが治療だと思っているんですよ。(pp.217-218)

日記のなかには、「その日が来てしまった」と、肺がんを患っていた父親が亡くなったときのことも書かれている。タクシーに飛びのって病院へ駆けつけるも、「父はもう死んでいた。息はなかった。(略)誰も死に目に会えなかった、とガッカリする。」(p.98) ここを読んで、寝ている間に死んでしまった母の死に目にも、誰も会えなかったなーと思い出したりした。

その後の葬儀についての日記を読むと、死んだことをどこまで誰に知らせるか、というのは結構大事。「知らされた方々も知れば来ないわけにはいかない」(pp.99-100)のだから。母が死んだとき、母の住所録に名前のあった方には(どういう関係なのかは本人が死んでいるのだから、こちらには十分わからず)「お知らせだけ」と言いながら、あちこち電話をかけた。あのときは、あれでよかったのかなーと今更思う。

目の見え方がすっかり変わって、長いこと見たり、集中するのが難しくなったらしい著者にとって、ゲラを見るのは大変だったんやろうなーと思うくらい、あちこちに誤字やら余り字があった。それがまた、病気になったことの一面をあらわしているようにも思ったが、編集側でのチェックをもう少しできなかったのだろうかとも思った(文庫では直っているのかなと思ったり)。

(8/13了)

文庫は、ちくまから。
明るい原田病日記―私の体の中で内戦が起こった
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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