ラモーナとおかあさん(ベバリイ・クリアリー作、アラン・ティーグリーン絵)
![]() | ラモーナとおかあさん (2001/12) ベバリイ・クリアリー作、アラン・ティーグリーン絵 商品詳細を見る |
『ラモーナとおとうさん』に続き、『ラモーナとおかあさん』。前作で失業中だったおとうさんは、マーケットの仕事を見つけた。
ラモーナは「7歳半」、なんだか中途半端な年齢で、もうあかちゃんじゃないけど、ビーザスみたいな若いおとなでもない。おかあさんにミシンを使わせてもらうも、なかなかうまくいかず、おかあさんは「何かもっとやさしいものを縫ったらどうなの」と言うけど、「だって、あたし、むずかしいことをやりたいんだもん」!!!
そんな7歳半のラモーナは、まわりの言動から(だれも、あたしのこと、すきじゃないんだ)と思ってしまったり、あれこれ気がかりがあったり、かとおもうと、うれしくてはちきれそうだったり、こうしたらきっとおもしろいとわくわくしたり、実際にやってみたり(それで失敗したり)。気持ちがふくらんだりしぼんだりするのが少々激しいのは、ラモーナの想像力がゆたかだということか。
とくにおもしろかったのは「一大髪の毛論争」。思春期にはいった姉のビーザスが、髪の毛を家で切ってもらうんじゃなくて、美容師さんに切ってもらいたいと言いだして、クラスでこんなのあたしだけ、そんなことないでしょう、そのもじゃもじゃ頭はどうするのと、ビーザスとおかあさんが言いあう。
ビーザスは、いい子ちゃんでいるのにあきあきしたと言う。「あたし、もうききわけのいい、おりこうさんでいるのにあきあきしたの。」「ラモーナは、なんだってすきなようにするのに、あたしはそうじゃない。何一つしたいようにしたことないんだもの。ビーザスは、いつもいつもききわけのよい、いい子でいなきゃならないのよ。」(p.146)
これにはラモーナもだまっていられない。「そんなことないよ!」「あたし、なんだってすきなようにしたことなんか、いっぺんもないもん。」(p.146)
しばらくの沈黙のあとに、口を開いたのはおかあさん。「そうねえ、おかあさんも、いいおかあさんでいるのにあきあきしたわ。いつもものわかりがよくて、やさしくて。「たまには、おかあさんも、何かばかなことをしてみたいわ。」(p.147)
二人の娘はぎょっとして、びっくりして、「たとえばどんな?」とおかあさんに訊く。表紙のイラストは、おかあさんがたまにはしてみたいという「ばかなこと」なのだ。
▼「お日さまの照っているところで、クッションの上にすわって、タンポポの綿毛をフッてふきとばしたりってことかしらね。」(pp.147-148)
ラモーナは、自分もおかあさんと一緒にクッションにすわって、タンポポの種をふきとばしたいと思った。ふわふわした綿毛を青い空にふきとばすことができたら!おかあさんにすりよって、からだをもたせかけたら、おかあさんはラモーナをぎゅっとしてくれた。
ビーザスが口をはさんで、現実にひきもどす。タンポポをふいちゃいけない、種がとんで芝生におちたら、タンポポは根が深いから抜けない、おかあさんはいつもそう言ってたじゃないと。
「ええ、わかってるわ」「おかあさんは、そんなばかなことはしないってことよね。」おかあさんがそう言って、ビーザスとおかあさんは冷戦状態に入る。ラモーナは、最初はほんの少しだけ、おかあさんがビーザスに腹を立てているのが、うれしいと思っていた。でもすぐに、だれかの髪の毛のことで、家の中ががたがたするなんて、すこしもうれしくないと思った。
おとうさんが失業してからフルタイムで働くようになったお母さんは、仕事は好きで楽しいけれどお疲れ気味でもあって、そこに子どもたちがびーびー言うし、言うことをきかないしで、「いいおかあさん」をちょっと降りてみたくなったんだろう。
でも、いくら威勢のいいことを言って、こうするんだ!とがんばってみても、子どもは思いがけない結果にしょんぼりしてしまったり(お小遣いを貯めて美容専門学校の学生に髪を切ってもらったビーザスもそう)、自分の思い込みにしばられてどうにも動けなくなってしまったりする。
ラモーナが中心の話ではあるけど、おとうさんやおかあさんの側からも読めて、かならずしも完全ではない親の姿やその事情も垣間見えて、そこがこのシリーズのおもしろいところだと思う。
(6/16了)
これにはラモーナもだまっていられない。「そんなことないよ!」「あたし、なんだってすきなようにしたことなんか、いっぺんもないもん。」(p.146)
しばらくの沈黙のあとに、口を開いたのはおかあさん。「そうねえ、おかあさんも、いいおかあさんでいるのにあきあきしたわ。いつもものわかりがよくて、やさしくて。「たまには、おかあさんも、何かばかなことをしてみたいわ。」(p.147)
二人の娘はぎょっとして、びっくりして、「たとえばどんな?」とおかあさんに訊く。表紙のイラストは、おかあさんがたまにはしてみたいという「ばかなこと」なのだ。
▼「お日さまの照っているところで、クッションの上にすわって、タンポポの綿毛をフッてふきとばしたりってことかしらね。」(pp.147-148)
ラモーナは、自分もおかあさんと一緒にクッションにすわって、タンポポの種をふきとばしたいと思った。ふわふわした綿毛を青い空にふきとばすことができたら!おかあさんにすりよって、からだをもたせかけたら、おかあさんはラモーナをぎゅっとしてくれた。
ビーザスが口をはさんで、現実にひきもどす。タンポポをふいちゃいけない、種がとんで芝生におちたら、タンポポは根が深いから抜けない、おかあさんはいつもそう言ってたじゃないと。
「ええ、わかってるわ」「おかあさんは、そんなばかなことはしないってことよね。」おかあさんがそう言って、ビーザスとおかあさんは冷戦状態に入る。ラモーナは、最初はほんの少しだけ、おかあさんがビーザスに腹を立てているのが、うれしいと思っていた。でもすぐに、だれかの髪の毛のことで、家の中ががたがたするなんて、すこしもうれしくないと思った。
おとうさんが失業してからフルタイムで働くようになったお母さんは、仕事は好きで楽しいけれどお疲れ気味でもあって、そこに子どもたちがびーびー言うし、言うことをきかないしで、「いいおかあさん」をちょっと降りてみたくなったんだろう。
でも、いくら威勢のいいことを言って、こうするんだ!とがんばってみても、子どもは思いがけない結果にしょんぼりしてしまったり(お小遣いを貯めて美容専門学校の学生に髪を切ってもらったビーザスもそう)、自分の思い込みにしばられてどうにも動けなくなってしまったりする。
ラモーナが中心の話ではあるけど、おとうさんやおかあさんの側からも読めて、かならずしも完全ではない親の姿やその事情も垣間見えて、そこがこのシリーズのおもしろいところだと思う。
(6/16了)
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