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ぼくの沖縄〈復帰後〉史(新城和博)

ぼくの沖縄〈復帰後〉史(新城和博)ぼくの沖縄〈復帰後〉史
(2014/02)
新城和博

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著者は1963年うまれ(ということは、『みぞれふる空』のサーちゃんと同い年だ)、アメリカ統治下の沖縄で育ち、1972年5月15日の日本復帰を小学生で迎えた。

復帰から40年の節目にあわせ、沖縄タイムスの文化面で隔週連載された「沖縄復帰後史 我らが時代のフォークロア」をまとめたものがこの本で、著者は〈復帰後〉の40年にあった出来事の中から沖縄タイムスの担当者に「お題」を与えられて、自分の記憶から蘇る場面を描いたという。

1970年代、1980年代、1990年代、2000年代以降という区切りのなかで取り上げられたできごとについて書かれているのは、著者の個人的な体験だが、それは「誰かの物語と重なるかもしれない」(p.6)ものなのだろうと思えた。

▼数え年四〇の間に沖縄で起こった事を挙げればきりがない。 (略) 沖縄戦を体験していない世代の僕でも、復帰から四〇年も経てば、ひとつの歴史として沖縄を思い返すことができるかもしれない。戦後史ならぬ、「沖縄〈復帰後〉史」とでも名付けてみよう。(pp.5-6)
ドルから円へと通貨が変わり(1972年)、米軍統治のもとで右側交通になっていた沖縄が左側交通に変わり(1976年)、それまで使い慣れていた1セントと比べてあまりに軽い1円玉になじめなかったことや、バスの向かう方向が逆になり、バスの乗車口が変わり、乗るべきバス停が逆になったという「同じに見えて一か所だけ決定的に違う風景」(p.30)の記憶が書かれている。

沖縄の右側交通が続いていた6年間、日本は「一国二制度」で、それを沖縄が変えるかたちで制度は揃ったのだが、「逆の立場になって考えてみて、「なぜ沖縄の方を変えないといけないの」という、きわめてもやっとした疑問も、あるにはある」(p.27)というところには、はっとした。

80年代半ばの「日の丸・君が代問題」、これが復帰後の沖縄で"問題"になったのは1986年3月の県立高校の卒業式からだろうか、と著者は書く。それまで「日の丸・君が代」の実施がほぼゼロだった沖縄県に対し、前年9月に文部省から実施せよとの通達があり、それを受けて沖縄県教育庁は日の丸掲揚と君が代斉唱を各高校に"指導"、実施をめざす学校長と反対する高教組や現場教職員、そして卒業式当日には多くの学校で"強行"されたのだという。1985年は、昭和でいうと60年、この"問題"は昭和天皇在位60年とたぶん関係があるのだろう。

86年だったかどうかは記憶がはっきりしないが、私が通っていた大阪の高校でも、日の丸・君が代を実施しようとする校長と教職員組合のあいだで悶着があったことは聞いた(組合員だった先生が、授業のときか何かのときに話をしたのだった)。私の記憶では、そのときは組合が実施を阻止したのだった。組合の組織率がまだ高かった頃だと思う。

この「日の丸・君が代問題」の頁では、著者の母が、沖縄にもある「君が代のような唄」を、出身地の島に住む自分の母に「いつもこんな風に言い換えて葉書に書いて送っていたよぉ」と教えてくれた、その唄が書かれている。

▼んなとぅちびぬ石ぬ
 大瀬なるまでぃん
 うかきぶせみしょり
 わん親がなし (p.58)

母の思いを込めた意味として、これを著者が意訳したものは「んなとぅちび(地名)の小石が 大きな石になるまで 元気で過ごせますように 私の大切なお母さん」(p.58)。こちらの石の唄が自分にはしっくりくると著者はいう。

1995年、「戦後50年」の年に起こった、米軍人による少女暴行事件と、それに対する抗議は全県に拡がり、「事件を糾弾し日米地位協定の見直しを要求する」ことを目的とした10・21県民総決起大会となった。大会参加者は8万5千人で、復帰後最大の抗議運動と言われたそうだ。

▼あれから18年もたったなんて嘘みたいだ。何がかというと、沖縄の米軍基地問題が何も進展していないということがだ。あの日、何かが起こると予感した心のざわめきは、なんだったんだろう。
 僕は当時こう考えていた。今この国で沖縄の人々が声をそろえて「米軍基地の整理・縮小、そして撤去」を打ち出すことは、一種の独立宣言じゃないかな…。(p.93)

そして、2007年の、「教科書検定撤回9・29県民大会」。沖縄戦における住民のいわゆる「集団自決」に関して、高校日本史の教科書で「日本軍の強制」を示す記述が削除されたことに抗議し、検定意見の撤回を要求する大会は、95年の参加者数を上回って、またしても復帰後最大規模と言われたそうだ。

この頁には、著者の母が渡嘉敷の集団自決の生き残りで、「天国に行って学校に行きなさいね」という親戚の一言に「死んでから学校があるかっ」(p.145)と子どもながら怒って叫んだ話と、戦争当時中学生だった著者の父は、座間味村慶良間島でやはり集団自決の現場にいた当事者であることが記されている。著者は、沖縄戦の写真集に載っている当時の父の写真を見ながら、集団自決を目の当たりにした少年の心情を想像する。

「生き残り」という言葉に、私は、もしその生死が違っていたら、著者は生まれていないし、この本もないのだなあと思った。

そんなふうに記された〈復帰後〉のエピソードのあと、巻末の「付録 〈復帰四〇年〉の後に考えたこと」の末尾で、著者はこの本をまとめるように沖縄イメージの変遷を書いている。

▼沖縄イメージの変遷は、復帰後から振り返ってみると、「沖縄戦のビジュアル資料の衝撃」、「亜熱帯・無国籍的リゾート」、「琉球王朝文化の再現(レプリカ)と沖縄ポップの登場」、「長寿、癒やしのウェルネスな島」、「バーチャル・リアリティとしての沖縄の自然」、「消費行動の郊外化」と変遷してきた。さて現在の沖縄イメージはなんだろうかと、もやもやした気分でいたのだが、「沖縄文化のレビュー化」という言葉で、個人的には腑に落ちたのである。
 「レビュー」には「批評・評論」という意味があるが、今後「批評的視覚化」という表現が、沖縄から立ち上がってくるのか、ちょっとだけ期待したいところである。(p.194)

私には未踏の沖縄、そのイメージは…と考えてみる。この本を読みながら、40年という年月は、生まれた子どもがいいオバハンやオッサンになる歳月でもあって、その中で変わったことと変わらないこととは何だろうと思った。それは、たとえば大阪の40年と比べてどうなのかとも思う。

『ウシがゆく』をまた読んでみようと思う。

(6/15了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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