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第九軍団のワシ(ローズマリ・サトクリフ)

第九軍団のワシ第九軍団のワシ
(2007/04/17)
ローズマリ・サトクリフ

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上橋菜穂子さんの話をまとめた『物語ること、生きること』を読んで、このサトクリフ作品を読んでみたいと思っていた。こないだの「ブックマーク」81号でも紹介されていた。

舞台は紀元2世紀のブリテン。ローマ帝国の辺境、属州であったこの地で、ローマの軍人マーカスが、かつて自分の父が率いていた第九軍団の消息を探す旅に出る物語。原著は1954年。

そもそも、第九軍団は、ローマ帝国がこの北方(カレドニア)の先住民族たちを平定しようと進軍していたのだったが、その後、消息不明となる。ローマ軍団の象徴である《ワシ》も消えた。軍団は戦って殲滅されたという噂があり、失われた《ワシ》はずっと北の方、どこかの氏族の神殿で神としてあがめられているという話もあった。

父なき後、長じて軍人となったマーカスは、司令官として赴いた辺境の砦で、ブリトン人の襲撃をうける。その戦いで、マーカスは敵の戦車から御者をひきずりおろしたものの、車輪の下敷きとなって足を負傷する。軍団で生きていく人生はあきらめねばならなかった。
軍団を退き、ブリテンに住む叔父のやっかいになったマーカスは、ある日、円形闘技場でサーカスの見せ物、奴隷の剣闘士の戦いを見る。奴隷の印として傷のある耳をもつ男は、ローマ軍との戦いに敗れ、捕虜となったらしかった。見せ物の戦いで敗れたその奴隷を、マーカスは買い取る。

「なぜ私を買われたのです?」と問う奴隷に、「「身のまわりの世話をする奴隷がいるからだ」「おれはかわった奴隷がほしかったのでね」「生まれおちるとからずっと奴隷だった、というような男じゃないのをね─それだけだ」(p.111)とマーカスは答える。

奴隷になってからまだ二年だという男の名はエスカ。青い楯をもつブリガンテスの部族クノーバルの息子、つまりブリトン人だった。支配するローマ人のマーカス、支配されたブリトン人であるエスカ。この二人が、マーカスの父が率いた第九軍団の消息を探す旅に出る。

失われた《ワシ》が敵の手にわたっているとしたら、ふたたび北方で問題が起こったときに、その《ワシ》がローマに刃向かう力となることも考えられた。敵の軍団の神である《ワシ》があれば、各氏族たちの心に反抗の火を燃やし、ふるいたたせることができる。だが、《ワシ》が真実どこにあるかは、噂でしかなかった。

風の噂だけで、探索隊をさしむけるようなことをすれば、戦争を誘発する。軍団を出すわけにはいかない。だが、北の氏族をよく知り、自由に往来してあやしまれず、《ワシ》の運命に深い関心がある、そんな男がもしいればわしは出発の命令を下す、と叔父を訪ねてきた司令官は言った。

「わたしをやってください」とマーカスは言い、北方とのあいだの防壁がある辺りでうまれたエスカが一緒であれば、司令官の条件は満たせると説得した。《ワシ》を持ち帰ることはできなくとも、噂の真偽だけは確かめられるだろうと。

マーカスは、エスカに解放証書を渡し、自由にどこへでも行けると告げた。そして、第九軍団の消息を探す危険な仕事に一緒に行ってくれと、奴隷に頼むことはできないが、友達になら頼むことができる、とエスカの顔を見た。

マーカスは、ブリトン人の服を着て薬箱を持ち、にわか目医者に扮した。エスカは自分の氏族の服装に戻ってその連れとなった。そこからは、過酷な旅の日々が描かれる。二人は、噂通り、神としてまつられていた《ワシ》を見つけ、それを持ち出すことには成功するが、ほどなく北の氏族たちに追われ、まさに命からがらの帰還をする。

マーカスとエスカ、ローマ人とブリトン人の二人の間には越えがたい壁もあるけれど、この厳しい旅を共にするなかで、二人は関係を培い、友情を育んでいく。この物語は、そういう冒険譚とか成長譚としても読める。

一方で、「危険に満ちた北の辺境へ向かい、野蛮人からローマ帝国の象徴である《ワシ》を奪い返す」という物語を、辺境といわれた側から、野蛮人と名指された側からみたらどうか?とも思う。そこが「辺境」なのは、ローマ中心に見た場合のことなのだ。

マーカスが、エスカに「ローマが与えたものは、いいものではなかったのかい?」「正義、秩序、それによい道路、みんなもつ価値のあるものばかりじゃないか?」(p.145)と尋ねる場面がある。エスカは、それはいいものだが、代償は大きかった、自由のほかにも自分自身の国の精神や生き方を忘れてしまうことになったと答える。

エスカは、自分のもつ楯に刻まれている生命ある曲線、水が水から流れ出、風が風から吹き出てくるような流動的な曲線と、マーカスのもつ短剣のさやに彫ってある形式にかなった整然とした模様とを比べて語る。

▼「…あなた方の正義は、わたしたちのよりも確かなものです。そしてわたしたちが反抗して立ちあがると、こちらの軍勢はあなた方の訓練された軍隊にやぶられてしまいます。ちょうど岩にくだける波のようにね。わたしたちにはわかりません。こういうことすべては、規則正しい模様なのです。わたしたちにとっては楯の飾りの自由な流れだけが真実のものと思われるのですから。わたしたちにはあなた方のやり方はわかりません。あなた方の世界を理解しはじめると、わたしたち自身の世界のことがわからなくなることがしばしばなのです」(pp.146-147)

わたしたちにはわたしたちの流儀があるというエスカの話に、マーカスは耳をかたむける。自分の世界と、エスカの世界、ふたつの異なる世界をへだてるはかりしれない距離のことを考え、それでも、自分とエスカ、あるいはコティアという人間どうしの間なら、このへだたりはせばめることができると思う。

物語は、どちらかというとマーカス側から書かれているが、エスカや北の氏族たちの言動に注意してもう一度はじめから読みなおしてみると、ローマという大きな帝国が、辺境のまつろわぬ者たちを武力をもって従えようとした面が見えてくる。

上橋さんは、作者のサトクリフは物語のなかで「互いの壁を越える難しさをきちんと描いたうえで、異なる文化や背景を持つ人間と人間が向き合ったときの関係を、しっかりと見つめようとした」という。読みなおしていくと、「異なる文化や背景を持つ人間と人間が向き合ったときの関係」が、一読目よりもくっきりと見えてくる気がした。

5/12の午後に、辛淑玉さんの講演を聞き、その夜には、辛さんと関西沖縄文庫の金城馨さんの話を聞いたあとのタイミングで読んだせいもあるのか、「辺境」とか「野蛮」は、誰がそう名指しているのだろうと思えるのだった。

(5/16了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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