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ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件―〈ヘイトクライム〉に抗して(中村一成)

ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件―〈ヘイトクライム〉に抗してルポ 京都朝鮮学校襲撃事件
―〈ヘイトクライム〉に抗して

(2014/02/26)
中村 一成

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もう閉校になってしまったが、私が1年生に入学して5年生の終わりまで通った小学校は、もともと隣り合う2つの校区の小学校の児童数が増えたことによってできた"調整校"で、敷地の都合もあったのだろう、運動場と校舎は道路をまたいで住所が違い、道路をみおろす陸橋で行き来するという変わったつくりだった。

初めて小学校に入った子どもは自分の目の前の経験しか知らないから、学校とはそういうものだと思っていた。今振り返ると、あれはほんとに珍しかった。

『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』で在特会の襲撃を受けた京都第一初級学校の様子を読みながら、自分の通った小学校でもしこのようなことがあったとしたら…と想像した。
学校のある時間に、運動場にしろ、校舎にしろ、ものすごい大音量で罵詈雑言をまきちらす大人のデモ隊が押しかけて、1時間もそれが続いたとしたら…。しかもその悪罵の内容は、学校の存在を否定し、そこに通う子どもまでも攻撃するものなのだ。

もし自分の通った小学校でこのようなことがあったとしたら…子どもたちはどんなにか身がすくんだことだろう。小学校のすぐ隣の保育園も無傷ではありえない。先生たちはどんな対応をしただろう。親たちや近隣の大人たちは駆けつけただろうか。学校のすぐ近くの駅には交番があったが、あそこから誰かがやってきただろうか。

大人だって大音量の罵詈雑言を1時間も浴びると壊れかねない。私はネットの動画を十数分見るだけでも、胃がぎゅーっとなってくる。どこで行われようとヘイトデモのひどさは堪らないものだけれど、小学校が襲撃され、その後も二度にわたって学校へのデモが繰り返されたという事実を前に、胸がつまる。差別煽動の衝撃は、その場限りのものではないのだ。

警察と在特会の見分けがつかなかったのが恐ろしかったと、駆けつけた保護者は語る。自分たちは街宣許可を得ていると強弁する在特会を前に(許可を得ているというのはハッタリだった)、警察はただその言動を傍観していたという。

京都第一初級学校の前身である朝連七条国民学院は、1946年4月に京都市との交渉で京都市立陶化小学校の校舎4教室と職員室を借用するかたちで始まり、翌年京都朝連第一初等学院と改名された。場所は、京都府内最大の朝鮮人集住地域である東九条。

だが、ほどなく、建物の使用と教授の方法が明らかに教育基本法違反だと京都軍政部の「注意」を受け、京都府は「朝鮮人学童生徒の教育に関する覚書」を覆し、1949年の10月末に朝鮮学校は陶化小学校を追われる。

この60年あまり前の事態を、著者はこう記す。
▼日本の国策によって民族性を否定されてきた朝鮮人が、交渉の結果として学校校舎を使い、民族性を回復する教育をしていたことをまるで「特権」のごとくに言いつのり、強引きわまる法解釈を駆使して「違法」を連発する。まるで在特会の論法である。(p.33)

陶化小を追われてから、アパートや朝連の支部事務所、同胞宅などを転々としながら、在日一世たちは民族教育を守り、子どもたちの学びは続いた。そして手にいれたのが、東九条の真南にあった勧進橋の土地である。正式な開校は1960年1月。

学校は、地域の同胞たちが集まれる場所だった。卒業生らは、地域同胞が集う「マダン(広場)」の役割を語る。学校に縁があろうとなかろうと、近所の同胞が歩いてこれる場所。「「ウリハッキョ」のそのような機能を自覚していたからこそ一世たちは、老若男女が寄り集まれる集住地域に学校があることにこだわった」(p.39)。

そうして開校した朝鮮初級学校が、在特会の襲撃を受けた。2009年12月4日の午後。

在特会(在日特権を許さない市民の会)の主張する「在日特権」は、『ネットと愛国―在特会の闇を追いかけて』でも書かれているように「従来の制度を思いっきり拡大解釈したうえで、彼ら独自の見解や根拠の怪しいデータを付け加えた」ものだ。

第一初級学校を襲撃した者たちの主張は、学校が長年勧進橋公園を運動場として使用してきたことが「50年あまりの不法占拠」だというのだった。

だが、公園使用は、1963年に運動場のない学校が京都市と地元自治体の三者合意を取り付けて続けてきたことだった。京都市では、当時グラウンドのない学校が近くの公園を運動場として使うのは珍しいことではなく、2009年の段階でも、京都市立の中学校4校と小学校1校が公園を運動場として使っていた。

地域と共生する学校を、保護者たちも目指してきた。
▼地域社会とは他者同士が寄り集まって暮らす場所に他ならない。小さなトラブルがあるのは当然で、その都度話し合い、互いへの理解を深めていくのが「共生」であり、人間関係、社会の「発展」ではないか? しかし、こと朝鮮学校については小さなトラブルが学校存在への反感に膨張していくのはなぜなのか? 「人として当たり前のことをやって、お互いを受け入れることを積み重ねる。普通の日常を積み重ねて、もっと地域に理解を広げ、地域の風景に溶け込み、地域と共生する学校を目指そう」。オモニたちの確認事項だった。(pp.52-53)

学校と保護者は、このヘイト・デモに対し告訴を考え、しかし躊躇した。「刑事告訴とは、相手が有罪となるか、さもなくば行為は「合法」だと刑事司法の場で認定されてしまうという二者択一に自分たちを追い込むことをも意味していた」(p.85)からだ。

法学者であり子どもを第一初級に通わせる保護者でアボジ会の副会長でもある金尚均さんはものすごく悩んだ。刑事告訴しても不起訴にされる可能性が怖かった。仮に襲撃者たちが逮捕されて起訴されても、無罪になる恐れもあった。「法的応戦をすることで逆に、彼らの行動を是としてしまうかもしれない危険性」(p.85)を考えると、刑事告訴はためらわれた。

それだけではない。名誉毀損をかちとるためにもやらなあかんと保護者会で他の親たちを説得しながらも、金尚均さんの胸の中には「いい子チャン」のぼくと「困ったチャン」のぼくが同居していて、「今までずっと黙ってきたんやから、今回も黙ってても死なんやろ」という考えがすーっとよぎるのだった。

「どんな裁判をやっても最後は権力に負ける」(p.106)という経験がそれだけしみついている。最近であれば、在日朝鮮人の障害者、高齢者の無年金訴訟。「裁判所は我々に対する『差別』にお墨付きを与えてしまう」(p.106)ということがあまりにも繰り返されてきて、司法への不信感はぬぐいがたいものがあった。

裁判では、支援者から「いいマイノリティ」になろうとすることへの懸念も指摘された。

朝鮮学校での教育も論点となった裁判で、被告側(=在特会側)は、"日本人拉致事件を起こした北朝鮮との関係"を理由とした政府の敵視政策に自分たちの主張を重ねあわせ、朝鮮学校ではカルト宗教の洗脳のごとき教育がおこなわれているとアピールしようとした。

それに対して、原告側(=朝鮮学校側)が、教科書の内容がいかに日本の学校に近いかを裁判所に説明したり、証人尋問で弁護人が「反日教育などしてませんよね?」と質問したことについて、傍聴していた若い支援者が違和感を述べた。

▼「『いいマイノリティ』を強調し過ぎるのは、レイシズムの論理に絡め取られる危険性を胚胎していないか? では『反日教育』なら権利はないのか? 昔のままの政治色の強い教育なら、その価値観は毀損されるのか?」と。受け入れられるマイノリティとそうでないマイノリティを線引きする差別の論理につながっていかないかとの指摘だった。(pp.199-200)

こうした線引きはふとしたときに出てくる。雇い止めの問題で、「あんなイイ人が、こんな不当な目にあうなんて…」と言う人がいたとき、私は「イイ人じゃなくても、権利はある」と思い、でも、イイ人でないと権利は認められにくいんやなあと実感した。「いいマイノリティ」の強調は裁判を進めるうえでの戦略だったのかもしれないけれど、そのことに違和感を抱いた人の気持ちに共感する。

教育の場で、朝鮮学校への差別は続いている。安倍政権が高校無償化対象から朝鮮学校を除外することに踏み切ったとき、神奈川新聞の社説はこう批判している。

▼「アメリカンスクールで原爆投下はどう教えられ、中華学校の教科書に南京大虐殺はどう記されているか。それらが問われないのは、価値観や歴史観が異なるからといって、教育内容に政治的干渉をすべきでないとの大前提があるからだ。朝鮮学校に対してのみ扱いが異なる現状のいびつさは、どれだけ自覚されているだろう」(『神奈川新聞』2013年2月2日社説「明白な朝鮮学校差別だ」、p.149に引用)

著者は、「朝鮮人が朝鮮人として生きる「異化」の権利を主張してきた場が朝鮮学校だ。その存在は、常に朝鮮人が「同化」を強いられてきたことの裏返しでもある」(p.25)と書く。

その学校を支えてきた教師たち、保護者たちが、ヘイト・デモとそれらへの対応、子どもらの安全を守るための努力に時間も気持ちもとられ、どれほど消耗し、へとへとになっていったかがこの本には書かれている。ヘイト「スピーチ」と言うけれど、それは表現の自由とかそんなものじゃないのだと思う。

「死ね、殺せ」と向けられることの怖さ、そうした主張が何の規制もされずにおおっぴらにおこなわれ、あるいはネット上でばらまかれ、相当数の「賛同」が寄せられていることの怖さ。そういう相手に、"いいマイノリティ"として向き合うことのキツさ。

どうやったら、「死ね、殺せ」と主張する人たちに、ことばが届くのだろうと思う。この本は、そういう人たちにはほとんど読まれないだろうから、なおさら。

(5/9了)

この本で私が初めて知ったのは、「京都を代表する伝統産業である西陣織の少なからぬ部分を在日が担っていた事実…西陣織は、腕さえあれば差別があっても食べていける「在日産業」としての側面があった」(p.29)ということ。いわゆる"伝統"と在日朝鮮人との関係をもうすこし知りたい。それと、弁護士の遠藤比呂通さんのことももうすこし知りたい。
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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