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母という病(岡田尊司)

母という病母という病
(2012/11/02)
岡田尊司

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「ブックマーク」81号で紹介されていた本を図書室で見かけて借りてみる。「母という病」のネーミングは、びみょうなところだと思う。子どもの育ちにアタッチメント(愛着)形成が大切だということは分かるし、それが「母」を対象とするケースが多いことも理解するけれど、「母という病」「母」「母」「母」をしつこくしつこくくりかえす意味は、私にはよくわからなかった。

著者が依拠しているのは、ボウルビィのアタッチメントセオリー(愛着理論)にいろいろくっついたようなものだと思われる。子どもがまともに育っていくには、2~3歳くらいまでの乳幼児期のあいだ、特定の大人と親密な関係を築くことが大切で、そうやって育つことで、人間関係や社会関係をうまくやっていけるようになる、といった話(だったはず)。

この「特定の」というところがキモで、それは必ずしも産みの親、母親に限らない、子どもに一貫して愛情をそそぐ特定の存在であればよいのだという研究だったと記憶する。その特定の大人との間で愛着関係をもった子どもは、ありのままの自分の存在に不安がなく、基本的信頼感をもって世界にふみだすことができるが、こうした特定の大人の存在が不安定だったり、あるいはそういう大人がいなかった場合には、子どもは存在の根っこをゆるがされ、大人になってもちょっとしたことで不安に陥りやすい、といわれる。

著者の書いているところを引けば、こういうことだ。
▼安心感とは、単に不安を感じるか、感じないかということではない。もっと自分の存在の根底にかかわるものだ。安心感の乏しい人は、ちょっと拒絶されたり、否定されたと思うだけで、もう自分がすっかり無価値な人間になってしまったように感じてしまうのだ。
 その人の心の根底に具わった安心感は、「基本的安心感」と呼ばれる。愛され、肯定されて育った人は、この基本的安心感にしっかりと支えられている。だから、どんなときも、「自分は大丈夫だ」「どうにかなる」と思うことができる。
 自分は大丈夫だという安心感は、自分の力に対する自信からだけではなく、困ったときはきっと誰かが助けてくれるという周囲に対する信頼感からもきている。
 周囲が味方になってくれると信じることができる感覚を「基本的信頼感」という。実際に、人が味方になってくれるかどうかよりも、そう信じることができることがその人を守っている。(p.56)

『永山則夫』で明らかにされた永山則夫の育ちや、『ルポ 虐待』で書かれていた芽衣さんの育ちは、こうした安心感や信頼感が乏しかったのだろう。永山の場合、母にはさわってももらえなかったが、セツ姉さんが愛情をそそいだ。精神鑑定をした石川医師が、もし…とセツ姉の発病や入院があと何年かずれていたら、全く違う人生になったのではないかと惜しんだのは、まさにセツ姉が永山にとっての特定の大人だったからだろう。

そういう話はわかるのだけれど、それを「母という病」とネーミングしてしまうのは、時代が何十年か巻き戻されたような気分になった。「3歳までは母の手で」にするっと接続してしまうことが、もしかして著者の意図なのだろうか?とも思った。そして、この本が十数万部も売れているというのだが、「母という病」がどう読まれているか、かなり気になる。

愛着は相互的な現象だ、というところは、親もしくはそれに代わる人とのあいだに安定した愛着を築けなかった人にとって、乗り越え、回復していく一つの方法として有効だろうと思う。

▼愛着は相互的な現象だ。自分が親に愛されず、親が安定した愛着を育んでくれなくても、自分が誰かを愛し、その存在と安定した愛着を育むことができれば、自分が抱えている愛着の傷を癒し、不安定な愛着の問題を乗り越えることができる。(p.262)

『死刑の基準』で書かれていた永山則夫と獄中結婚した和美さんのケースは、それぞれ親には与えられなかった愛着を、お互いに育もうとしたものだと思う。それまでもたくさんの手紙を交わした2人は、和美さんが日本に来てから20~30分の短い面会時間ながら毎日のように会い、話しきれないことは手紙で毎日のように送りあったという。

和美さんが日本に来て一週間後の手紙で、永山は「ミミ[和美さん]からの手紙を読んだ後、事件のことを忘れるくらい幸福感がありました。オレにも人としての感情があるのだなと強く思わせてくれました」(p.156、『死刑の基準』)と書いている。「思想を残して死ぬ」と言い続けてきた永山だったが、和美さんと関係を築いていくなかで、生きることを考えはじめるのだ。それは、和美さん自身にとっても、自分を育てなおすような時間だったことがうかがえる。

本は7章まであるが、半分をすぎると、同じことがしつこく繰りかえされてるなーという感じだった。著名人を誰かれと引いて「あの人も母という病」式の話もしつこいほどだった。この内容を書くのであれば半分か3分の2くらいのページ数でもよいのではないかと思った。

あと、誤字脱字がかなりひどく、そこのところが読んでいてちょっとうんざりした。私が読んだのは、単行本の二刷だが、この誤字脱字は、その後刊行されたというポプラ新書版では直っているのであろうか?

(5/7了)

*とりあえず目についた誤字脱字余り字
p.170 若干二十歳 →弱冠二十歳
p.181 母親の愛した方 →母親の愛し方
p.257 それから曽根[綾子]は →それから曽野は
p.261 パートトナー →パートナー
p.263 それだけては不十分 →それだけでは不十分
p.265 不孝の連鎖 →不幸の連鎖
p.272 自分の身に起きたの同じことが →自分の身に起きたの【と】同じことが
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第40回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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