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移行期的混乱 経済成長神話の終わり(平川克美)

移行期的混乱 経済成長神話の終わり移行期的混乱 
経済成長神話の終わり

(2013/01/09)
平川克美

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2006年をピークに日本の人口は減ってきている。日本の人口動態を1000年以上のスパンで見ると、人口が減るという経験は、これまで日本になかった初めての事態だ。

▼…将来に対する不安が人々の頭上に暗雲のように立ち込めていた時代、つまり戦国の世の中においても、戦争前夜においても、敗戦後の荒廃の中でも、日本人の総人口は減るどころか増え続けてきているのである。
 では、将来の不安ではないとすれば、何が、日本の総人口の減少を促しているというのか。
 それを探る論考を綴ったのが本書である。(pp.8-9)

(「日本人の総人口」と「日本の総人口」が混じってるところと、前者の言葉遣いがちょっと気になる。)

戦後60年という時間が経った。生々しい現実の渦中にあっては、何が起きているかを知ることはできなかった。だが今、時間を経て、多少は見晴らしのよい場所に立ち、「現在から時間を溯り、もう一度歴史の場面に自分を降り立たせること」(pp.10-11)によって、歴史を体の中に入れて理解することができるのではないか、と著者は考える。

そういう認識に立って、この本で著者は「将来のわたしたちという仮想的な視座から見れば、現在が大きな時代の転換期であり、同時に現在は移行期的な混乱期であるという仮説を検証してみたい」(p.39)という。
1章の末尾で「人口が減少し社会が成熟しきった時代における労働観価値観の再構築を、あらたに行う必要がある」(p.59)と著者はしめくくり、以降の章ではその準備作業として、「日本人の労働に対する意識がどのように変遷していったのかを知るために、それぞれの期間の政治・経済状況を背景にして、労働の現場、会社の内部で何が進行していたのか、そのときの日本を覆っていた気分、ひとびとの生活を支配する価値観とはどんなものだったのかについて分け入って論じていきたい」(p.59)と書く。

2章 「義」のために働いた日本人
3章 消費の時代の幕開け
4章 金銭一元的な価値観への収斂

先取りしていえば、過去を振り返って、「週休二日制」「コンビニ」「派遣という業態」が日本人の労働観を大きく変えた、と著者は読み取っている。そして、経済成長の帰結が人口減少社会なのだ、と著者はいう。

そうした変化の以前、60年安保のころ。
▼確かに、全学連、労働組合は革命前夜のような政治的高揚の中で連日のデモを繰り返していた。しかし同時に、岸信介が言ったように、後楽園球場は満員であり、銀座通りはショッピングにいそしむ群衆で溢れていたのである。…(略)…このとき、政治的な意味においてはアメリカは、日本の自立を阻むものであったが、同時に日本人の欲望を映し出す憧れでもあった。そのことへの視点なしに、岸信介に代わって政権についた池田勇人内閣の「所得倍増計画」が、それまでの政治的高揚を、経済的な幻想によって一気にかき消してしまった現実を理解することはできない。多くの日本人にとって、国家の政治的な自立を考えるよりも、自らの生活を憧れのアメリカ的なものに近づけることが喫緊の問題だったのだ。そして、そのことは生活するものにとっては正当な欲求であった。(pp.69-70)

60年安保の時、町工場の末端労働者はこの政治闘争にどのように関わったのか、どのような気持ちを抱いていたのか、それを描いている小関智弘さんの「ファンキー・ジャズ デモ」(『粋な旋盤工』所収)を読みなおした著者は、こんなふうに書く。

▼ジャズの大好きな工員に引きずられて、数名の町工場の工員が街頭デモに繰り出す。デモは政治的なものというよりは、仲間が集う晴れ晴れしい祝祭であるかのようであった。そこには、低賃金にあえぐ生活への屈託もなければ、政治的な理屈もない。あっけらかんとした、リズミカルに躍動するような、喩えていえばフェルナン・レジェの絵画のなかの労働者のように、シンプルな信念を持ち、健康で愛すべきひとびとがいた。(p.85)

▼ここには二重構造といわれた労働の現場に働く、底辺労働者の惨めさも、政治的な関心も直接的には描かれていない。辛い労働や運動に明け暮れる日々の中にさえ、ひとびとは喜怒哀楽を見出し、日々を楽しむことができたという向日的な視線があるだけである。いやむしろ、そういった喜怒哀楽の日々こそが主題的な関心であり、政治も経済もそれらを彩る材料でしかなかったということなのかもしれない。(p.86)

あるいは、「やっぱりいい仕事をしておくのがいい」という職人たちの姿(宮本常一『庶民の発見』)が記される。

コンビニエンスストアの登場は、「消費の時代の幕開け」となった。コンビニは、小売の商売の仕方や景観、物流といったことを変えただけではなく、多くの若者、とりわけ都市に暮らす者の生活を変えた。

▼いや、生活だけではない。それまで必要であった日々の食材の買い出し、調理、働き方そのものまで大きく変えることになった。ひとつの業態の出現が、ひとびとの、ライフスタイルを大きく変化させていったのである。(p.108)

コンビニの出現は、単に利便性が増したという以上の意味を担った。その意味とは、「意識するにせよそうでないにせよ、いつでも時間を金と自由に交換することができるという観念労働を金と交換することができるという観念がひとびとの価値観のなかに浸潤してゆくことになったということ」(p.109、下線は本文では傍点)だった。

これは、お金により強固な万能性を付与していくことになった。そして、週休二日制の導入が「日本人の労働意識の変化の決定的な転轍点であった」(p.111)。

私は大学を出るまで「土曜は半日の授業があるもの」だったが、院にすすんだあとは土曜が休みになった。学校の「週5日制」ではなくて、「週休2日」というところに、これが学校に通う子ども向けというよりは、学校で働く大人向けなんやなーと思った記憶がある。巻末の鷲田清一との対談によると、週休2日制を官庁が取り入れたのが1992年、民間では80年代ぐらいからだというが、たしかに学校が「週5日」になったときに、「これで先生たちも週2日の休みに追いつくんやな」と意識した気がする。

ビジネスの世界では、人材派遣という業態が登場する。
▼わたしは、その功罪はともかく、人材派遣という業態が日本のビジネスの現場に受け入れられ根付いたことは、日本人のビジネス意識の転換を象徴する出来事であったと考えている。…(略)…ビジネスの国際競争力を強化するために世界標準に合った合理的なシステムを導入するという名目でこれらのシステムが採用されたが、このシステムを受け入れる労働意識の転換も、民主主義の発展過程の必然であるかのように準備されていた。(pp.137-138)

こうして日本の「伝統的な」労働観(=「労働とは金銭に還元できるものであるというよりは、何ものにも還元できない生き方そのものの道徳律」pp.153-154)が、アメリカ的なものへと転換していった。

2009年12月5日付けの毎日新聞朝刊「経済戦略をめぐる財界トップの発言」。そこで語られていたのは、「経済成長を期待する」ということと、「日本には成長戦略がないのが問題だ」ということ。

これに対して著者は、「問題なのは成長戦略がないことではない成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだ」(p.167、下線は本文では傍点)という。

成長だ成長だというなかで、従来のように売上げを伸ばすことができなくなった老舗企業の経営者が、利益を出すこと=経営者の至上命令だと考えれば、どうやって苦境を切り抜けようとするか。ひとりの経営者として著者も考える。

最も手近な手段がコストカットだ。一般管理費や人件費をぎりぎりまでスリム化してなお利益が生み出せない場合には、商品そのものの製造原価を下げるくらいしかない。商品にはねかえってくる無理なコストカットをするしかなくなってくる。コストカットの努力そのものに異論を唱えることはないであろうマスコミ人が、それが食品偽装といった不祥事となるとたたきまくる。

・良いものを作っていれば必ず売れるという時代が終わった
・経営者が危険な禁じ手を使ってまで利益を確保しようとしたことには理由がある

と著者は指摘する(p.183)。つまり、「経営者たちは倫理観が喪失していたがゆえに禁じ手を使ったのではなく、市場原理が生み出した経営の倫理(利潤を出すこと)に過大に従順であったがゆえに禁じ手を使ったということである」(p.183)。

▼日本においては、医療や教育は聖職であるという考え方がひとびとの間に流布していた。それゆえに、医療や教育は利益重視のビジネスとは馴染まないと思われてきたが、ここに来て、急速にビジネス化が進展してきている。…問題は、その[従来の病院経営や大学経営といったものの]見なおしが主として市場原理のなかでの競争有利の戦略によって行われているということである。
 実はこのことこそ移行期的混乱を最も鮮やかに映し出す現象であるとわたしは考えている。
 移行期的混乱とは、時代を動かしている原理そのものが揺らぐということだからである。(pp.224-225)

「むすびにかえて」には、老父との暮らしから著者が知ったことが書かれる。
▼人間の生活にとって根本的なことは、食って、寝て、排出して、また食って、寝てという繰り返しである。こんなことに意味があるのかなどとは思わない。それが生きるということであり、もしこの生活が続いていくのなら、それはある意味でわたしが待ち望んでいたことでもある。
 この繰り返しには、ゴールというものがない。
 この繰り返しには、進歩という観念もまたないのである。(p.297)

著者の親友・内田樹は解説でこう書く。
▼ものが「ぐるぐる回っている」限り、人間は交易をしている。交易をしている限り、人間はそのために必要な制度を考案し、そのために必要な人間的資質を必ず育むはずだ。平川君はたぶんそういうふうに考えていると思う。(p.310)

民主化とは、著者の意味するところ「人間のひとりひとりがその権利を拡大してゆくプロセス」(p.128)で、イデオロギー闘争がどうのではなくて「変化そのものへの欲求」(p.128)である。この民主化は、「国民国家の中にしか生まれ得ないが、同時に国民国家を消滅させるところまで進展するものだということをわたしたちは、後に知ることになる」(p.128)と著者はいう。

権利の拡大というのは、進歩という観念と似て、分かるようで分からない感じ。そういう箇所はところどころあったけど、「週休二日制」「コンビニ」「派遣という業態」が日本人の労働観を大きく変えた、というのは実感として分かるなと思った。

(4/19了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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