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1985年のクラッシュ・ギャルズ(柳澤健)

1985年のクラッシュ・ギャルズ1985年のクラッシュ・ギャルズ
(2014/03/07)
柳澤健

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近所の本屋で、文庫の新刊が面陳されてるところで、これが気になり、ぱらぱらーっと「あとがき」などをめくると、井田真木子さんの名前が出てきた。著者は、井田さんの担当編集者だったことがある。読んでみたくて買ってきた。

私が井田さんの本でおぼえているのは『同性愛者たち』(文庫になった『もうひとつの青春―同性愛者たち』が2012年に再刊されている)。その後、若くして亡くなられたことが記憶に残っている。
1985年のクラッシュ・ギャルズ、というタイトルが私にはピンとこない。長与千種とライオネス飛鳥のペアの存在は知っていたが、1985年で私が思い出すのは、日航機墜落の8月12日と、やたら大騒ぎだった阪神の優勝くらい。その年にクラッシュの人気は最高潮だったという。

大阪城ホールは10代の少女たちで満員だったという。85年に高校生だった私の同級生にも、きっと大阪城ホールへ行き、クラッシュに声援を送った人がいたのだろうと思う。中学の同級生にはアイドルの追っかけをしてる子もいた。そういう何かに入れ込む情熱が私にはなかったけれど。

著者は、編集者として勤めていた会社をやめたあと、ライオネス飛鳥の評伝原稿の依頼をうける。取材して書いた記事によって「クラッシュ・ギャルズとは何だったのか」を読者に伝えることはできたつもりだが、しかし「なぜ少女たちはクラッシュをあれほどまでに深く愛したのか」「クラッシュが輝いた1980年代は、少女たちにとってどのような時代だったのか」(p.303)については、よくわかっていたなかったと著者は書いている。

そして、クラッシュのふたりのほかに、もうひとりの主人公(=ライオネス飛鳥親衛隊長から雑誌編集者になった伊藤雅奈子さん)を立てて書かれたのが、この本になる。「あとがき」の三人目の主人公について書かれたところを、本文を読み終わってから読んだ私は、やっと腑に落ちた。冒頭で出てくる、テレビの深夜番組で女子プロレス中継を見ている少女が誰なのか、これはノンフィクションではなくて、語り手をおいたフィクション仕立てなのか?とも思ったのだった。

父と母に置き去りにされ、親戚をたらいまわしにされて育った長与千種、スポーツ万能だったライオネス飛鳥、ふたりが自分の未来を見たのは女子プロレスだった。トップで入団テストを通り、「おまえは強い」と言われた飛鳥と、「お前らの代わりはいくらでもいる」と言われた千種。ふたりがそれぞれに女子プロレスの世界に入り、クラッシュとしてペアを組み、人気の絶頂を経て、引退、そしてまた復帰…という道筋は、自分が全く知らないこんな世界があるんやなと思った。

クラッシュに新鮮なイメージを与えようと、長与千種が髪型や仕草の細部にまでこだわった、というところが印象的だった。
▼クラッシュの基本イメージは「中性」である。
 千種の中学時代、後輩の女生徒たちは、男にも女にもなりきれない千種に憧れ、深く愛した。心の奥底で、自分が女であることを悲しんでいたからだ。
 思春期は内なる性と向かい合う季節である。
 思春期の少女たちいんとって、女であることは屈辱でしかない。かといって男を愛すれば、自分が女でしかないことを突きつけられるだけだ。だからこそ少女たちは、女であることから自由な女を愛する。
 中学時代の長与千種は、後輩たちからそのように見えたからこそ愛されたのである。
 理屈ではなく、実感としてこの構造を知る長与千種は、クラッシュが少女たちに愛されるためには「中性」のイメージが必要だと考えた。(pp.105-106)

髪をストレートで揃えて、純粋で清潔な雰囲気を出し、リングではニコリともせず闘志むき出しのイメージを出す。強大かつ理不尽な敵にさんざんに痛めつけられ、流血を強いられる美少女を、勇敢な友が窮地から救い出し、ついには劇的な逆転勝利を得る―そういう「物語」の新鮮さだけでなく、クラッシュはプロレスのスタイルも新しかったという。

▼プロレスのスタイルもまた、既成の女子プロレスの概念から一歩も二歩もはみ出すものだった。強い当たりのキックを使い、多種多様なスープレックスを練習もなしに使い、関節技はギブアップするギリギリのところまで攻める。
 これまで女子プロレスには押さえ込みはあっても関節技など皆無だったし、ジャーマンを使うレスラーさえほとんどいなかった。
 ところがクラッシュは天龍同盟のサンドイッチ・ラリアット等、男子が出した最新の技を即座に取り入れ、次の大試合では必ず出した。(p.107)

ビューティー・ペアの時代には、観客はプロレスよりも歌を聴きにきていた。「ところが、クラッシュ・ギャルズの若いファンたちは、長与千種によってプロレスの魅力に目覚めていったのだ」(p.109)。

"自分を最大限に表現する"ことにかけては、千種は天才的である。観客は、千種と一体になって試合を戦っているような感覚を得る。「親衛隊や追っかけになるほどではなくても、長与千種に憧れて女子プロレスラーになった選手はすごく多い」(p.165)という。

そんな千種に、飛鳥は食われてしまう。プロレスラーとしては自分のほうが上なのに、自分が千種の引き立て役になっているという思い、プロレスラーがなぜ歌を歌わなければならないのかという思い(テレビ中継が、歌を要求した)、そんな中で飛鳥は鬱におちいり、千種と一緒にはいられないと、クラッシュは分裂。

その後、スーパースターズ・ユニット(SSU)を結成し、ヒール(悪役)に転向して暴れまわるようになった飛鳥は、クラッシュ時代の自分を、あの頃の私は自分のプロレスをしていなかった、クラッシュとは結局千種のプロレスだったと振り返る。

▼ところが、ヒール転向後の飛鳥は、頭と肉体を使ってベビーフェイスと観客の心を自在に動かすというプロレスの醍醐味を知った。
 そしていま、自分は長与千種を動かし、クラッシュ・ギャルズを愛した観客の心を思い通りに操っている。…(略)…
 ヒールとして初めて向かい合ってみると、長与千種は驚嘆に値するベビーフェイスであった。ヒールがやりたいことを瞬時に理解し、攻撃のひとつひとつをドラマチックに演出してくれる。ごく普通の攻撃が、長与千種という増幅器を通れば恐怖の拷問技と化す。長与千種という稀代のベビーフェイスと戦えば、ヒールは世界で最も恐ろしい悪魔に見えるのだ。これほどのベビーフェイスを、飛鳥は他にひとりも知らなかった。(pp.268-269)

プロレスの悪役がふりまわすパイプ椅子とか凶器とか、それによる怪我や流血、そういうのがちょっと…と私は思っていたのだが、プロレスのおもしろさが、ほんの少し分かったような気がした。井田さんの『プロレス少女伝説』も読んでみたいと思う。あと、著者の書いた『1976年のアントニオ猪木』も。

(4/9了)
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第40回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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