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百合のリアル(牧村朝子)

百合のリアル百合のリアル
(2013/11/26)
牧村朝子

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"本当の「モテ」を考えるMAYAの恋愛セミナー"にやってきたヒロミ、アキラ、はるか、サユキと、マヤ先生のやりとりのもよう(マンガ含む)に、著者の「まきむぅからの手紙」を挟んだつくりの本。

「はじめに」で著者が、これが何のための本なのかを書いている。
この本は、レズビアンのためだけの本ではありません。同性愛者の自伝でもありません。「レズビアンという概念と、牧村朝子という事例」を通して、男とか女とか、同性愛者とか異性愛者とか、オタクとか優等生とか、B型とかA型とか、色々ザクザク切り分けられてるこの状況との、向き合い方を見つけるための本です。(p.4)

別のページにはこうも書いてある。
▼この本は、「『レズビアン』というあり方を通して、個としての生き方を考える」本です。…(略)…社会の中で人を区別したり、まとめたりするための言葉はたくさんあります。そういうカテゴリの箱に入ったり入れられたりする前の、ひとりひとりに、あなた自身に、その人自身に目を向けてみてほしい─そういう気持ちでこの本を書きました。(pp.32-33)

そもそも「モテる」とはどういう状態のことか、「モテる人」とはどんな人のことか、マヤ先生はみんなの考えを聞いていく。
・たくさんの人に好きになってもらえること
・好きな人の心が確実につかめること

という意見に、「自分は何をモテだと思っているのか」「それを自分は本当に望んでいるのか」まずそこからだとマヤ先生は言う。

大体の男の人は色気に弱い→だからセクシーな服がモテ服だ、というヒロミに、アキラは「別に男全員がそうじゃない…俺セクシーな服って苦手」と意見し、サユキは「「大体の男」にモテりゃ満足なのか?」とツッコむ。

「モテる」にもいろいろあるし、男だから/女だからこんなんが好きやろうと断言もできない。自分にとっての「モテ」を考えることは、「ありのままの自分はどういう人間か」を知ることでもあるのだ。

女性にモテたいというアキラに、どうして「女性」がいいのか、何が「女性かどうか」の判断基準になるのかとマヤ先生は訊いていく。アキラもヒロミも「体格や服装で、性別ってなんとなくはわかる」と言う。

▼マヤ 「『男』か『女』かというのは、見た目で大体わかるのよね。言い換えれば、大体しかわからないということでもあります …(略)… 『男/女』に人を振り分けること、あるいは自分でどちらの意識を持つかということは、人間の数知れない個体差の上に成り立っている選択といえるわね」(pp.22-23)

そこで二分法にとらわれて個体差を見失うと、「男だからこうだ」とか「女はこうあるべき」といった考えで自分や他人を縛ることになる。人間が便宜上つくった「男/女」のカテゴリーにくっついてるのはイメージや集団の傾向、せいぜい集団内の平均値くらいのもので、そこに個別の人間がどれくらいあてはまっているかは「見た目」だけでは絶対にわからない。

「男/女」にかぎらず、人を括ったり区別したりするカテゴリはたくさんあって、そういうカテゴリの「箱」に入ったり入れられたりする前の「私」や「あなた」に目を向けてほしいのだ、目の前の人の話を聞いてほしいのだと、著者のまきむぅさんは書く。

性のあり方についての言葉(カテゴリ)は分けていけばきりがない。それくらい人の性のあり方は多様だということでもある。分類が細かくなり新しい言葉がつくられていく、その原動力は「自分と近い人と集まりたい」「人々を分類して理解した気になりたい」「他人とも古い概念とも違う新しい自分になりたい」という願い(p.11)だ。

まきむぅさんは、あるカテゴリを自分のアイデンティティとして引き受けるかどうかは、それぞれが決めることだという。たとえば自分を「レズビアン」と名乗るかどうか。自分で選びとった名前は「アイデンティティ」になるが、他人につけられた名前は「カテゴリ」になる。

▼女が女を愛する時、他人は彼女を「レズビアン」というカテゴリに入れます。でもそこに入れられたとしても、彼女は「レズビアン」というアイデンティティを持たされる必要はありません。
 あなたが「レズビアン」と言われて違和感がないのなら、レズビアンというアイデンティティを持てばいいんです。あなたが「レズビアン」と言われて違和感があるのなら、たとえレズビアンというカテゴリに入れられたままであっても、あなた自身のアイデンティティを持てばいいんです。もしくは、わからないままだっていいんです。自分や他人がどう呼んでも、どう呼んでいいかわからなくても、あなたはもうここにいます。(p.113)

まきむぅさん自身が、かつて自分は何者なのかと悩み、「レズビアン」「同性愛者」「バイセクシュアル」「クエスチョニング」等々の名前を取っ替えひっかえして、自分にあてがった経験がある。「色んな言葉で説明しようとしたなあ」(p.246)とまきむぅさんは振り返る。

そんな紆余曲折を経て、まきむぅさんは「どんな言葉で説明しても、結局自分は自分だった」(p.246)と気づく。レズビアンだと分類されることは受け入れるし、自己紹介の時も必要なら「レズビアンです」と言う、だけど、ことさら自分のアイデンティティとしてレズビアンという言葉は掲げない、その前に自分自身を生きることにした、それがまきむぅさんのたどりついた地点。

私は、前に『We』のリレー連載「一人ひとりのLGBT」で書いてもらったゆいさんの「私は女の人が好きです、でもレズビアンではありません」というのが、やっとわかった気がした。

サユキの話を引いた「トランスジェンダー=性同一性障害?」の箇所も印象深かった。「自分はレズビアン」だというサユキは、男子校出身だ。「豊胸手術はしたけど、性別適合手術はしてない」と聞いて、ヒロミは「えっ、じゃあ、おっぱいがあって、チンコもあって、だけどサユキさんは女の人で、女の人が好きで…???」(p.42)と戸惑い、アキラは「そういうレズビアンの人もいるんだ…」(p.42)とつぶやく。

「どうしてそういう風にしてるんですか?」と尋ねるはるかに、「それが自分にとっての"自然"だからね」とサユキは答えている。

「性同一性障害」は、医学的な"病気"の名前だ。サユキは「治るとか、治らないって話じゃないんだよね、自分の場合」(p.50)と、こう話す。

▼「治さなきゃいけない体だと思ってないんだ。自分は制度上、性同一性障害とされるだろうし、社会的にはMtFだとかオカマだとかオネエだとか思われてる。だけど自分自身は、自分のことを既に女だと思ってる。そして病気とか、障害を持って生きているとは思ってない」(p.50)

それでも、自分が女だと言ってるだけでは認められない場面もある。カラダと書類の性別を変えないと、社会的には認められず、「人はチンコとかパスポートとかを見て『でもお前男じゃん』って言うんだよ」(p.51)というサユキの現実。

▼「性同一性障害っていうのは結局さ、自分みたいな人間を病気として手術して、制度上の性別を変えるためにある病名でしかないと思うんだ。もちろん『自分は病気なんだ』って考えの人もいるよ。『治療』が必要だと感じている人が、病院に通って処置を受けて少しでも楽になるならいいと思う。だけど自分はそうじゃないってこと。まあ、胸だけは、ドレスとかをきれいに着こなしたくて豊胸したけどさ。その必要を感じないところに、これ以上メスを入れたくはないんだ」(pp.51-52)

サユキの語る「必要を感じないところに、これ以上メスを入れたくはない」のくだりを読んで、こないだ読んだ『運命の子』のなかで、朝陽君のお父さんが、朝陽にとって呼吸が楽になるとかそういう良い点があるなら手術もいいと思うが、それ以外のところは別に必要を感じないと語っていたのと似てる気がした。自分の生きやすさにつながるかどうか、その線引きの仕方はひとつの工夫やなと思った。

「モテ」を切り口に、こうした話を展開できるまきむぅさんのセンスにしびれる。「『同性結婚制度が存在しない日本で、同性と生きていきたい人に何ができるか』を考えることは、広い目で見れば『人生設計の前に法制度が立ちはだかった時、個人に何ができるか?』を考えることでもある」(p.133)という指摘を読んでも、たしかにこれは「この状況との、向き合い方を見つけるための本」だと思う。

古今東西の"「男/女」以外の分類"を紹介したなかで、タイの「男/女/カトゥーイ」の「カトゥーイ(男性として生まれ、女性の振るまいや服装で生きる人々)は、「存在は認知されてきたものの、性産業意外に職業の選択肢が与えられないといった差別的な扱いを受けてきた」(p.89)とあって、職業選択の自由がないところは部落差別と似たものがあるのかも…と思った。

(4/8一読、5/5二読)

*まきむぅさんのオフィシャルサイト
http://yurikure.girlfriend.jp/yrkr/
*まきむぅさんのお仕事情報ブログ
http://ameblo.jp/mmmasammm/
*まきむぅさんのツイッター
https://twitter.com/makimuuuuuu
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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