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小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ(平川克美)

小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ小商いのすすめ 
「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ

(2012/01/20)
平川克美

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この本は、出た頃にチェックしたものの、そのまま忘却の彼方へ飛んでいた。『脱資本主義宣言』を読んだら、前に読んだ『経済成長という病』をもういちど読んでみたくなったが、『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』を読んでいたら、こっちの『小商いのすすめ』が言及されていて、あーそういえばこの本と思い、図書館で借りてきた。

平川は、『経済成長という病』のあと、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』を書き、そしてこの本を書いたらしい(そして、この本とほぼ同時に『俺に似たひと』が出て、こっちは読んだ) 。

タイトルには「小商いのすすめ」とあるが、実務的、実用的な、こうやったら商いができまっせーといった話が書いてあるわけではない、という意味では、小商いそのものはほとんど論じられていない。

とはいうものの、「しかし、本書はまぎれもなく「小商い」についての考察なのです」(p.1)と、そのココロのようなものが書かれている。
▼「小商い」ですから、売るものは限られていますし、高価なものはありません。ただ、路地裏に迷い込んできたお客さんに対して、棚から自分で仕入れてきた商品を取り出して埃を払い、丁寧に磨いて、お客さんの手に取ってもらい、お客さんが納得するまで商品の説明をして、満足していただけるようなら代金をいただく。そういうつもりで、埃を払いながら、丁寧に磨いた自分の思考を書き綴ったものです。(pp.1-2)

「小商い」は、「ヒューマン・スケールの復興」だと平川は書く。「身の丈」あるいは「身の程」といってもよいが、ともかく人間寸法で、そこには人間の限界や限定があるけれど、「能力を限定された人間」(p.24)という神のつくりたもうた姿には、なにか積極的な意味があるのではないかというのだ。人間はどこまでいっても、自然性という限界を越え出ることはできない存在なのだと。

経済も、技術も、このヒューマン・スケールを超えようとし、それによって進化もしてきたが、もう限界はみえてきている。立ち止まって考えてゆくと、「経済的に成長することは社会の成長と呼べるものなのだろうか」という問いにつきあたる。人間の社会をお金で説明しようとした人もいたが、お金の動きだけで説明できるわけはないと考えた人もいた。

その中で、経済と人間の関係について衝撃的な論文を発表した人と平川が紹介するのが、マーシャル・サーリンズ。あるいは、未開と文明といった「進歩の差異」ではなく、社会の内にある「構造の差異」を発見したレヴィ=ストロース。この人たちは、西欧文明史観やヨーロッパ中心主義を相対化しようとした(その文化の内にいてこれをやるのはものすごく難しいことだ)。

経済が成長してナンボ、というようなところからわが身をひきはがし、平川は自分が生まれ育った東京・大田区のことやかつての「貧しさ」について考えていく。経済成長期といわれる時代を経て、社会がどう変わっていったかをみつめていく。

そのうえで、サブタイトルにも書いてある「均衡」という話が書かれる。
▼…国民経済という視点で見れば、その屋台骨を支える食料生産物(魚や農産物など)が、賃金の安い場所で生産、加工され地球を迂回して日本市場に流れ込んできている現状は、見過ごすわけにはいきません。グローバルな効率性だけを追ったこの流れは、国民経済という視点から見れば、バランスを欠いたコスト競争のチキンレースに振り回されているというべきでしょう。国民経済にとって重要なことは、経済を拡大するか、縮小するかということではなく、均衡するということだからです。もし、経済が均衡的に拡大する条件を失っているならば、縮小して均衡させる方策を考えなくてはなりません。そのためには、為替リスクや政治的なリスクをヘッジ(回避)しておく必要があります。安ければ世界のどこからでも輸入すればいいというビジネスロジックは、このリスクを無視しているわけです。食料を輸入に頼りきることが、バランスを欠くというのは、そういう意味です。(pp.139-140)

現在の日本は、バランスを欠いている、拡大均衡する条件がないと平川は考えるが、高度成長期に日本の国民経済は、バランスを保ったままで拡大していった、そのことが大変重要だと平川は指摘する。

▼…日本の高度経済成長期において、大変重要なことがあります。現在高度経済成長している、中国や、インドやロシア、ブラジルといった国とは異質な、日本ならではの特徴があらわれました。
 それは、拡大均衡のなかで貧富の格差や農村と都市の格差が縮まっていったということです。(p.163、下線は本文では傍点)

1959年当時(岸信介内閣)の大蔵官僚であった下村治たちが中心になって作り上げたのが「所得倍増計画」だった。60年安保で岸内閣が倒れ、池田勇人が総理大臣になったとき、この下村計画が全面に出てくる。

1960(昭和35)年12月27日に閣議決定された「国民所得倍増計画について」を平川は引いて、意外な感をもった、と書く。「計画について」は国会図書館のサイトでも閲覧できる。

「国民所得倍増計画について」
http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib01354.php

私も読んで、意外な感じがした。「所得倍増計画」というと、いけいけどんどんの高度成長のキモみたいなものだと思っていたから、なおさらに。私は"いけいけどんどん"のイメージばかり持っていたのだなあと、はっとする。

計画の目的として、「国民の生活水準を大巾に引き上げること…(略)…とくに農業と非農業間、大企業と中小企業間、地域相互間ならびに所得階層間に存在する生活上および所得上の格差の是正につとめ、もつて国民経済と国民生活の均衡ある発展を期さなければならない」と掲げられている。「格差の是正と均衡ある発展」という思想ないし哲学が、この計画全体を覆っている、計画をたてた下村にとって経済成長はこの目的を達成するためのものだった、と平川は指摘する。

この「国民経済」という視点が、現代日本の経済成長論には欠けているのだ。下村は、のちに1980年代のレーガノミクスを激しく批判したという。とにかく市場の自由な競争に任せればいいというグローバリズムの先駆ともいえる経済政策だったレーガノミクスは、下村の目にどう映ったか。

平川はこう推測する。
▼…下村の目には、アメリカにはすでに拡大均衡の条件が失われていると映ったということもあったでしょうが、それ以上に、国民経済という視点がこのイデオロギーには欠如していると感じていたからではないでしょうか。わたしは、この下村の直感はまさに正鵠を射るものだったと思っています。(pp.166-167)

グローバリズムという考え方は全盛をきわめている。それは毎日、新聞を読んだり、ラジオを聞いていても感じる。平川は、生きている人間はどこまでいってもローカルな存在で、誰もが偶然に「いま・ここ」に生まれ育ってきた、その偶然を必然に変えるものは、と考える。

「いま・ここ」で生きることに誇りをもつことができるか、「いま・ここ」に対して愛情をもつことができるかと自分に問いかけたとき、それにイエスと言える条件がひとつだけあると。

▼わたしたちは、本来自分に責任がないことに対して、責任を持つというかたちでしか遅れて生まれてきたこと、そして「いま・ここ」にあることを自らの必然に変えることはできない。
 そう、わたしは思っています。(p.193)

「いま・ここ」に責任を持つ生き方、それが小商いなのだという。人間が集団で生きていくために必要な"雪かき仕事"、合理主義的には損な役回りをする人があって、はじめて地域という「場」に血が通い、共同体が息を吹き返す。「とにかく、誰かが最初に贈与的な行為をすることでしか共同体は起動していかない」(p.196)のだと。

平川が、自分の生まれ育った昭和30年代を懐かしむような口吻であることに、私はちょっと身構える。ローカルな共同体のうちの人間関係のきつさ、息苦しさもあるだろうと思う。そんなことを考えてしまう私に、経済の本来の立ち位置はここにあったはずという指摘は印象に残る。

▼ローカルな世界では、人間と人間の関係、人間と土地の関係が優先され、貨幣はそれらを取り持つ限定的な機能でしかありません。
 ローカルな土地の基盤を整備したり、困窮して行き場のなくなったひとびとに路銀を与えたりするときは、因習や関係性とは無縁の貨幣が重要な役割を果たすことができる。
 経済というものの本来の立ち位置はここにあったはずです。
 経済とは、お金儲けのことではないし、ましてや自分の欲望を満たすためのツールでもありません。
 経世済民。
 それが意味するものとは、「いま・ここ」に生きるひとびとが、生きていくことができるための術であるということです。(pp.213-214)

『俺に似たひと』にまつわる、「経験の意味」にふれたこんなところも。
▼もし経験が深い意味を持つとすれば、それによって何かを知りうるということにあるのではなく、何を知らなかったかということを知ることであると思います。知識を拡大し、積み上げていくのは自然過程であり、量の問題にすぎませんが、自らの知識がどんなものであったのかを知ることは失敗や挫折の経験を経なければできないことだからです。(pp.29-30)

なにか、「高度経済成長」を振り返るのにいい本はないかな~。

(3/22了)

*マーシャル・サーリンズ
 『石器時代の経済学』叢書・ウニベルシタス
 『歴史の島々』叢書・ウニベルシタス

*一橋大学 経済研究所附属社会科学統計情報研究センター
 所蔵コレクション 下村治著作関連資料
 http://rcisss.ier.hit-u.ac.jp/Japanese/guide/collections_shimomura.html
 小展示「孤高のエコノミスト 下村治」
 http://rcisss.ier.hit-u.ac.jp/Japanese/guide/pdf/tenzi_shimomura.pdf
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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