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カツオとかつお節の同時代史―ヒトは南へ、モノは北へ(藤林泰、宮内泰介/編著)

カツオとかつお節の同時代史―ヒトは南へ、モノは北へカツオとかつお節の同時代史
―ヒトは南へ、モノは北へ

(2004/11)
藤林泰、宮内泰介/編著

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『かつお節と日本人』を先に買って読み、コンパクトな岩波新書には書いてない話もたくさんあるということだったので、この10年前の本を借りてきた(近所の図書館にはなくて、ヨソからの相互貸借であった)。

カツオ・かつお節研究会(通称/自称は「カツカツ研」)は、「これはおもしろそうだ」から始まった。最初の顔合わせは1997年3月だという(私が長ーーい学生生活を終わった頃である)。そこから、呼びかけに応じて旧ヤシ研のメンバーを中心に、20代前半から50代まで、年齢も仕事も多彩なメンバーが20名近く参加したという「カツカツ研」は、5年かけて、国内や海外をたずね、調査研究をすすめていった。

そもそもは『バナナと日本人』の鶴見良行さんに感化された人たちが、バナナの次にエビ研をやり、その次にヤシ研となり、そしてカツオ研へと展開している。

この"共同作業によるモノ研究"は、「単なる知識の蓄積をめざすのではなく、市民による調査研究運動の一手法であり、戦略であった」(p.300)という。

そのことを、編者のひとり、藤林泰はこう書く。
▼ここで「市民」というとき、その対極には「職業的専門家」を意識している。
 行政機関や研究所の発行する報告書、学者による研究論文、あるいはマスコミの報道など職業的専門家の手になる文章が、私たちを取り巻く社会の姿を充分に描いているだろうか。そこに生じるさまざまな問題や私たちの暮らしに影響を与える事象に対して、納得のいく説明を提示しているだろうか。とうてい満足できる状態とは言えない。そもそも、行政機関の報告書や学者の論文の多くは、広く読まれることを前提として書かれていない。
 ならば、私たちなりに調べ、理解し、考察した結果を書きとめて、市民の視点から見えてきたことを市民に対して広く伝えてみたい。市民の視点とは、中央よりも周辺の、強い側よりも弱い側の、上からよりも下からの視点を大切にしたいとの意気込みである。モノ研究はこの点でも降下を発揮した。そんな意気込みが共有できるのなら、生活の糧が職業的専門家であってもメンバーとして参加できる。
 バックグラウンドの異なるメンバーの共同調査研究には、共同ゆえの愉快さと困難さがつきまとう。…(中略)…ばらばらゆえの愉快さと困難さとが重なり合って、新たな発見も生まれる。(p.301)

「そもそも、かつお節は日本の伝統なのか?」(p.6) 

かつお節の歴史は確かに長い。だが、調べていくと、「すでにかつお節が日本全国に浸透しつつあった昭和10年代でさえ、多くの地域にとって、かつお節はまだ高級品だったし、ハレのときの食材だった。どうやら、かつお節は日本の「伝統」という側面と同時に、近代の産物という側面をもっているようだ」(p.7)ということがわかってくる。

かつお節の生産地やその原料となるカツオの漁獲域という地理を追い、はたまたそれらの仕事に従事した人たちの動きを追っていくと、「「伝統」にたどり着くよりも、南進、植民地、あるいは沖縄にたどり着いてしまう」(p.8)のだ。

▼「伝統」食材と思われていたものが、一気に日本近代史のきなくさい色どりに染まった商品に見えてくる。かつお節を追いかけることで、近代日本の動きが見えてくるのではないか。かつお節を見ることで、私たちの生活の背景に何が広がっているのかが見えてくるのではないか。(p.8)

そんな問題意識を共有しながらカツカツ研の皆さんがそれぞれに書いた文章は、どれもおもしろい。なかでも、1918年生まれで、第二次世界大戦前に缶詰製造の女工としてイギリス領北ボルネオのシアミル島へ出稼ぎにいったよしこオバァの話を聞いた「「楽園」の島シアミル」(高橋そよ)がおもしろかった。

1918年、大正7年に沖縄の伊良部島で生まれたオバァの好奇心の強さ、言うべきことを言い、負けるもんかという意地があったというその言動に、めちゃくちゃひきつけられた。

困窮した生活であるにもかかわらず娘の出稼ぎを許そうとしない母の目を盗んで、オバァは出稼ぎの申込書を斡旋者に出す。それほどまでにボルネオへ行きたかったのは「苦しい家計を助けたいという気持ち以上に、好奇心のほうが勝っていた」(p.184)からだ。

船で3ヶ月かかって着いたタワオで、沖縄から行った全員が所長室に並ばされて、初めて契約書を見せられた。会社への「絶対」服従、そして沖縄出身者は日本本土からの女工より賃金が低いことを聞き、よしこオバァは声をあげる。絶対服従の「絶対」を取り消すよう申し立て、なぜ日本本土からの女工と賃金格差があるのかと問い、この契約に判は押せない、自分たちの働きぶりを見てから賃金を決めるようにと主張した。

「言うべきことを言って何が悪いかと思ってた。負けるもんかっていう意地があったさあ」(p.186)

結局、オバァの提案が受け入れられて、沖縄出身者の賃金も日本本土の女工と同額になったという。

男だけでなく女も多く移民した。そうして移民した先である中西部太平洋海域、カツオ漁場となっていたこの海域は、第二次世界大戦における日本軍とアメリカ・イギリス軍の戦闘がおこなわれた場でもあった。このことが「カツオの海で戦があった」(藤林泰)に描かれる。

▼この地理的、歴史的偶然が、1941年12月から45年8月までの3年8ヵ月をピークにして、カツオを追い、かつお節をつくるために海を渡った数多くの日本人をさまざまな形で戦争に巻き込んでいく。(pp.140-141)

船とともに漁民も軍に徴用されていく。この徴用のありさまは、『戦争のつくりかた』に書かれていた「戦争が起こったり、起こりそうなときは、お店の品物や、あなたの家や土地を軍隊が自由に使える、というきまりを作ります。いろんな人が軍隊の仕事を手伝う、というきまりも。」というやつの現実なのだ。そして、多くの命が失われた。

海軍機構に組み入れられたカツオ漁船、地域ぐるみの「南進」、個人ごとの戦争体験、この3つの角度で、かつお節をつくってきた人たちと戦争とのかかわりを追った藤林は、「組織・地域のベクトル」と「個人のベクトル」の違いが見えてくると述べる。

「祖国愛・郷土愛→産業振興→報国→南進」というスローガンが掲げられ、これが広く浸透するときに、組織や地域では戦争が正当化される。だが、一方で、南洋でカツオ漁やかつお節づくりに携わった人たちの本音は「カネを設けたかった」「家族に仕送りしたかった」というにとどまり、祖国のためとか、戦争協力したいとか、そんなことは出てこないのだ。

この違いを、藤林は、スローガンを掲げた者と、実際に戦線に参加した者との立場の違いに見てとる。
▼スローガンを声高に唱える組織や地域社会のリーダーは、自ら戦線に参加して戦闘で命を落とす立場にない。(p.155)

そのきわまったかたちは、郷魂祠[きょうこんし]の造営であるという。戦後、南進を推進した皇道産業焼津践団の幹部・村松正之助は、フィリピン派遣団で亡くなった団員全員を祭神として祀った。

▼「軍人には靖国神社がある。俺たちの死後は焼津に還って、ともに一つ所に骨を埋めよう」との声があったという。だが、その声は犠牲となった団員のものなのか、それとも送り出した側のものなのか。
 考えてみれば、奇妙な話だ。多数の青年の海外雄飛熱を煽って送り出し、その結果、半数近くの団員が不本意な死に至った。だが、死者を祭神として祀る儀式を経て、送り出した側の責任は曖昧になり、その行為はしばしば正当化される。死者の本音はすでに聞こえず、送り出した者たちが彼らの遺志を代弁する形で死は美化される。組織や地域の有力者の言動が宗教的に権威付けられることで、批判は急速にしぼんでいく。そして最後には、死者を祀る行為が、送り出した者や戦争を推進した者たちをさらに後押しする新たな力となって、ひとりひとりでは到底抗えない事態を迎える。
 こうして、カツオを追い、かつお節をつくろうと海を渡った人びとは、意志を確認されることのないままに「神」と祀られ、自分たちを死に追いやった戦争を正当化し、推進する力の一翼を担わされていった。(pp.155-156)

祀った者と祀られた者との関係は、靖国神社の問題にも通じているなーと思いながら読んだ。

※カツカツ研の成果の一部は、編者のひとり・宮内泰介さんのホームページに収録されている
http://miya.let.hokudai.ac.jp/modules/tinyd2/content/index.php?id=4
アジア太平洋資料センター(PARC)の『オルタ通信』の2000年10月号から2001年12月号まで14回にわたり、「カツオと日本人」という連載を書いてきました。これをPDF形式で公開します

(1/24了)
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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