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詩人の故郷(草野比佐男)

草野比佐男『詩人の故郷』 鏃出版(やじりしゅっぱん、1991年7月20日発行)

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この本のことを最初に知ったのは、鶴見俊輔の『ちいさな理想』だった。「いわきのNさん」と題された小文に、この本のことも書かれていた。

▼…それ[『詩人の故郷』]は、草野心平の戦中の詩を、彼の仲間であった秋山清の詩とくらべて、論じる一冊の本で、草野心平がかつて汪精衛の南京政府に協力し、中日戦争における日本政府の立場をたたえる詩を書いたことに戦後まったくふれることなくすごし、詩壇もそれにふれることはなく、彼の死にあたって、新聞さえもその戦争中の仕事を見すごしていることへの批判だった。よくしらべてあり、その評価は納得できる。おなじいわきの住人でありながら、郷土の偉人として草野心平を市民全員がほめたたえるというふうにならないところに、戦中・戦前とちがって、戦後はあると思った。(『ちいさな理想』、p.230)

これを読んだときにも『詩人の故郷』を読んでみたいと思っていたのだが、近くでは借りられそうになくて、そのままになっていた。この「いわきのNさん」が、河出文庫からことし出た鶴見俊輔コレクションの3巻、『旅と移動』にも収録されていて、また読んだ。

そのときに蔵書検索をしてみたところ、近隣の図書館にはなく、国会図書館のNDLを引いて、福島県図と滋賀県図の2館にあることまで調べて、図書館に頼んでみると、滋賀県図にあったものを相互貸借で貸してもらえた。
奥付によると、著者の草野比佐男さんは、1927年福島県いわき市に生まれ、農耕40年、現在文筆業、著書・編著書多数、という方らしい。(ネット検索によると、草野比佐男さんは2005年9月に亡くなられたと、地元の「日々の新聞」63号に追悼が掲載されている。)

1927年生まれ、敗戦時には17、18という歳だった草野さんは「詩人に限らず年配のもの書きが、戦争をどう通過したかが私の久しい関心」(p.5)だったと書く。ほぼ一回り下になるが、私の父も、似たような関心をもってきたように思う。

そして、「世間の最大公約数的心平評価に対して異を唱えるもの」(p.3)として、この心平についての書き下ろしを著したのだという。そのひとつのきっかけは、詩人の傲りだった。1986年1月にいわき市から刊行された『猪狩満直全集』に草野さんが書いた「まえがき」に、校了がすんだあとになって、心平がクレームをつけてきたのだ。心平の兄と弟をひきあいに出して、猪狩をもちあげているところがけしからんという心平の苦情を、Nさんが草野さんにつたえてきた。このままでは印刷に出せないというNさんの立場を考えて、草野さんはその「まえがき」を二度書きなおし、最後は無署名で出した。

心平ほどの人であれば、本が出てからでも、いくらでも反論の機会はあるだろうに、校了がすんだ原稿にケチをつけ、しかも再度の書きなおしにも了としない、この思いあがった態度は、心平が自身の戦争責任にほおかむりしているのと根は同じだと草野さんはいう。

そのことが、この一冊にずっと書かれている。

草野さんは心平に対して疑問を感じてきたが、いろいろと知るにつれて、それは反感に変わったという。
▼私は心平に対して、その閲歴にうとかった三十年以上前から疑問を感じていた。やがて心平に詳しくなるにつれて、疑問ははっきりと確信に、正確には反感に変わった。…私の心平への疑問は、詩ではなく随筆のたぐい、たとえば『火の車』や『詩と詩人』などによって培われた。最初のうちはまだ詩には抵抗がなかった。(pp.33-34)

心平の随筆に書き手のうさんくささを感じ、いやだなと思うようになった草野さんは、しかし自分の置かれた状況と引き比べて、複雑な思いを持っていた。「家に繋がれ、一所定住が条件の職業に繋がれて、不如意の日々を送る私はそれとは対蹠的な、八方破れで出たとこ勝負の生き方に一方では惹かれていた」(p.38)と。

草野さんは、汪精衛政府の宣伝部ではたらき、侵略を美化し謳歌する詩の量産を続けたことなど心平の戦争責任を指摘するとともに、それに対する戦後の態度は、昭和天皇が自分の戦争責任に触れずじまいなのと同じだという。

▼心平は、かれと同世代の詩人のうちでも日本の侵略戦争に最も加担した一人であり、証拠は当時の行動に、詩に、歴然と残る。しかし心平は、次に写す程度にしかそれについて言及せず、要するに戦後四十余年間を図々しくしらばくれ通した。そして文化功労者、勲三等、芸術院会員、文化勲章と、詩人として位人臣を極める。(p.43)

草野さんは、心平の戦争責任を、たとえば詩集『大白道』に収められた詩のタイトルにみる。それらのタイトルは、こんなのだ――「我等断じて戦ふ」「沸きあがる歌」「海に眠る二つの軍艦」「万感なみだ溢るるまなこで」「軍神加藤建夫少将」「大東亜の信念を迎ふ」「撃チテシ止マン」「大青天」「大東亜戦争第二年の賦」「独伊その他の枢軸国が国民政府を承認した記念の宴にて」「新しい更新」「大東亜共同宣言周年大会」等々。

だが、これらの詩は、心平の選集からも全集からも除かれているという。アナキズムの詩人として出発した心平は、『アメリカ・プロレタリヤ詩集』を共訳し、『サツコ・ヴァンゼッチの手紙』を訳すが、やがては日本のアジア侵略の先棒を担ぐに至った。草野さんは、その態度を、国家権力への追従や時流への迎合がおのれの保身と栄達を保障するという動物的な勘だろうと述べる。心平の詩の「その際立つ特徴は、詩を時代と時代の最大公約数的人心に寄り添わせて、時代と人心が変われば詩も変えるという点にある」(p.126)のだと。

最後の章は、表題でもある「詩人の故郷」。草野さんは、「心平はいわき市で生まれたというよりも、いわき市が心平を生んだという言い方が適切かもしれない」(p.255)という。それはこういうことだ。

▼…いわき市が〈以和貴〉であり続けるかぎり、…第二、第三の心平を、保身と名声とメシのためなら思想も主義も知っちゃいねえ…時代に合わせて歌の詞を変え音律を変え、戦争には戦争の旗、平和には平和の旗を振る〈厄介な性格〉の人物を生み出すことになるだろう。しかも日本全体の意識構造もまたいわき市に類することは、埴谷雄高も指摘するところであり、心平の故郷は旧石城郡上小川村、現いわき市小川町を含む日本全域である。…(pp.255-256)

あとがきで、草野さんは、「私の中の辺境の意地」「定説にまつろわぬ僻陬の異説」として、「要するに一己のこだわりが事大主義や順応主義の目障りになればいい」(p.257)と書いている。草野さんの中にある意地やこだわりに類するものが、歳はひとまわりほど違うものの、やはり父の中にもあるのだろうなと思いながら読み終える。

*草野さんについて、ネットで検索してみると、

いわき九条の会のページに、草野さんの詩・「九条大事」があった。その冒頭の「戦争を知らぬやからのあげつらう憲法改正の行方をおもえ」が、胸にせまる。

(12/17了)
 
Comment
 
 
2016.09.05 Mon 19:38 ran23  #O37gHd7E
リンクしていた、いわき九条の会のサイトは閉じられ、Facebookに変わったようだ。

草野さんの詩・「九条大事」は、『あごら』302号(2005.8.20)に掲載されているのを発見。
https://nwec.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=9096&file_id=22&file_no=1
87~88ページ。
「九条大事」  [URL][Edit]






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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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