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昼田とハッコウ(山崎ナオコーラ)

昼田とハッコウ昼田とハッコウ
(2013/09/26)
山崎ナオコーラ

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山崎ナオコーラの本だというだけで、なかみも知らず予約待ちしていた。届いて「えらい分厚いな」と思う。540ページほどあるのだ。

タイトルがそもそも何だろうと思っていたが、これは登場人物二人の名だった。ハッコウとは、どんな字を書くのかとずっと気になりながら読んでいたら、とちゅうで不意に出てきた。白虹と書くのだった。

そして、これはアロワナ書店という本屋さんの話でもあった。雑誌名や書籍名の一部がリアルに出てくる一方で、地名や他の書店名がさりげなくずらされていて(たとえば、チェーン店だという「書籍一番」は「ブックファースト」かと思ったり、物語の舞台である幸福寺は高円寺のあたりかなと思ったり)、そのなかでも、ここはあの店のことかなと勝手に想像したりして、そうは言っても私は東京の中央線方面のことはほとんど知らないが、自分の勝手なイメージはそれなりにふくらんで、おもしろかった。
ハッコウ、鼓太郎、瞳の三兄弟と一緒に育った昼田。4人の祖父が創業し、ハッコウたちの父・公平が2代目を継いだアロワナ書店を、4人はそれぞれに手伝っていた。だが公平の急死で、書店はハッコウに託された。

長男である鼓太郎は、旅に出るという。「書店で働きたくないの?」という昼田の問いに、鼓太郎は「働かない」と答える。

▼「でも、今はハッコウよりも鼓太郎の方が、書店の仕事をできてるんじゃないの?」
 「自分にできることがあるからって、やるべきなの? オレの方がハッコウよりも仕事ができていても、公平はオレじゃなくてハッコウに仕事をやらせたがってたじゃねえか。仕事って、できる人がやるんじゃなくて、やってもらいたいと人から思われている人がやるんじゃねえの? オレはもう、やらない」(pp.133-134)

仕事について、自分の存在について、昼田が、ハッコウと自分とを引き比べて考えているところも、ふう~んと印象にのこった。

▼ハッコウが、自分は誰からも必要とされていない、とこの前ぼやいていたが、普通に考えて、ハッコウよりもオレの方が、特に誰からも必要とされていないではないか。オレがいなくなると困るという人を思いつかない。社会の中で、「あ、オレ、それできます。やりましょうか?」と手を挙げることができるというのが、ハッコウと違うだけだ。仕事をするときには、自分のポジションにこだわらず、できることはやるし、やらせてもらえませんか、と人と人との間に分けいっていくことができる。プライベートでもそうで、人と会えば、その人に興味を抱いて接することができる、というだけのことだ。特別にオレでなくても、オレのやっていることができる存在はいくらでもいる。オレが死んだときも社長は花輪をくれるのだろうか。ハッコウよりは社会的な活動をしているとはいえ、オレでなくては務まらないという立場はひとつも持っていない。(pp.120-121)

昼田は、「誰にでもできる仕事をしたい」と思って、会社で勤めてきた。"オレが今、会社でやっていることは、パソコンが使えて、空気が読めて、礼儀と常識があって、人とのつきあいが苦にならず、大卒だったら、誰にでもできる仕事だ"、と昼田は思う。

会社で自分がいなくなっても誰も困らないだろう。だが、ハッコウの世話をやいて、そのことに「ありがとう」や「ごめん」を言われなくても、愉悦を感じられる、そんなのはオレだけではないかと昼田は思う。

▼「世話好き」というのは、オレの通信簿に何度も書かれてきた言葉だ。今まで「自分にできる役割」のことしか考えず、「やりたい仕事」なんてところには考えが回らなかったが、もしかしたらこの、気持ち良さがあるところ、人間としての根本的な欲求のある場所が、仕事選びにおけるキーだったのではないか。(p.164)

独立したいとずっと思っていた昼田は、公平の死後、ハッコウを手伝うために、それまでの会社をやめてアロワナ書店で働くことになる。チェーンではない、町の本屋。そういう場のこと、そこで働くこと、自分のなかでの仕事の区切り…などについて昼田は考えをめぐらす。

▼地域密着型というのは、必ずしも近視眼的なものではない。地に足をしっかり着けたまま、遠くに思考を飛ばせられる場所。「ここから世界を覗く場所」。それが「町の本屋さん」ではないだろうか。(p.396)

物語のなかでは、2011年3月の震災も描かれる。揺れのあと、iPhoneで東北の方が大変なことになっているらしいと調べていたハッコウに、昼田は「まず、店のことを考えろよ。遠くの人より、近くの人だろ」と言う。すると、ハッコウがこう言うのだ。

▼「本っていうのは、遠くの人と近くの人を、公平に捉えることができるのが、いいところなんだろ。成熟した社会で生きる大人は、身近なことだけを考えていてはいけないんだ」(p.401)

「心をひとつに」「絆」といった言葉が飛び交うことに嫌悪を感じる昼田。

▼…みんなが似ている状態でなくては生き残れない、という考えが怖いのだ。違う宗教の人、外国の人、様々な人たちが入り交じって、一緒に生きていくのがこの国だ。いろいろな色があっていい。そして、場所ということで見れば、地域ごとの色もある。いくらインターネットが発達しても、書籍で心を遠くに飛ばすことが出来るようになっても、地面から足を離すことはできない。この場所が、他の場所とは違うということも肯定したい。
 どういう行動を取ることが書店員としての責任を果たすことになるのか、町の本屋さんだからこそできる仕事とは何か、答えは出せないが問いは抱えていたい。(pp.415-416)

問いは抱えていたい、という昼田に共感する。

アロワナ書店での働き方、自分の仕事のことを昼田がときどき考えている。「大手企業ならば、労働基準法に違反するような働き方は禁じられるのだろうが、弱小会社であるアロワナ書店では、法律など気にしてはいられなかった。昼休みも、休日も働いている」などと。あるいは、店外での「書店員の仕事」という行為の是非について、昼田は考えをめぐらせる。本屋というものが続くのかどうかということも。

▼書店がなくなっていくことは、もう誰にも止められない。スピードを遅らせて時間を作り、その間に「書店員の仕事」をじっくり考える。それしか、できない。
 グーテンベルクのとき、そしてインターネットの今。そのうち、また大革命が起こるだろう。「インターネットは衰退する」と言われる時代も、いつか来る。画期的なものが現れて、昔のものや、育たないものは、淘汰されていく。
 悲しいことだが、「淘汰される」ということも、「書店員の仕事」なのかもしれない。そのことによって、また新しい文化が生まれるのだ。(pp.518-519)

読み終わって、奥付をみると、著者プロフィールの末尾に、いつもの"目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」"に加えて、"グーテンベルク以来の出版業界の激変の中、書店文化をどう残していくか、日々考えている"と書かれていた。その考えを物語にしたのが、この小説なんかなーと思った。

(12/1了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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