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異人たちとの夏(山田太一)

異人たちとの夏異人たちとの夏
(1991/11/28)
山田太一

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お盆に同居人の里へ行った帰り、あまり選択肢のないキオスクの本棚から、山田太一の『冬の蜃気楼』を買って読む。傑作長編3作が、3ヶ月連続で再刊されたものだという。数日後に同じく再刊された『終りに見た街』を買って読み、久しぶりに山田太一が読みたくなって、図書館で2冊借りてきた。『異人たちとの夏』は、ずいぶん前に読んだ気がしていたが、話を読んでも、こんなだったかとあまり思い出せなかった。

子どもの頃に死別した両親にそっくりな夫婦に出逢った主人公。12歳で死に別れて、顔のすみずみまでおぼえているわけではないけれど、自分の中にある両親のイメージにそっくりで、まるで父と母なのだ。だからといって、そんなはずはない。

「うち来るか?」と、父に似た男に誘われ、主人公はアパートの2階の一番奥の部屋へ招じ入れられる。嘘だと思ったが、そこには母がいた。声も母だった。涙がこみあげる。

だが、30代に見える夫婦が、48になる自分の親であるはずがない。「ほんとうは、ぼくの両親なんでしょう?」と何度聞きたかったことか。けれど、二人といると、自分が少年のような気持ちになった。少年がウイスキイを飲んでいてはいけないが、酔ったはずみで「お父さん」と呼ぶと、「なんだ?」と男は答えるのだった。
はたしてこれは幻覚なのか、現実なのか。36年前に死んだ両親に驚くほど似ている二人が、父と母としか思えない優しさで自分を受け入れてくれた。忘れられない。確かめれば、あの夜の甘い思い出がこわれてしまうかもしれない。それでも、主人公は、あのアパートの二階へ向かう。

アパートそのものが消えていて、どうしても見つからないのではないかと思っていたが、はたしてアパートはあった。急に来た男を、若い母はいらっしゃいと迎えてくれた。名をたずねると、「親の苗字を聞く子供が何処にいるのさ」と母は笑った。

父と母はあまりにもありありとした存在だった。自分より年かさの男に、親が子を案じる口調で話す。

だが、彼岸の人びとと会うことで、男は生気のようなものを失っているらしかった。自分で鏡に写る姿を見るといつもどおりに思えるのだが、仕事で会う人や近所の人から、顔色が悪いと言われ、あまりにやつれていると体調を心配された。

二人との時間を過ごしたい、けれど、もう別れなければならない。別れの宴に、男は両親とすき焼きを食べに出る。その席で、「身体を大事にね」「もう逢えねえだろうが」と父と母は消えていった。

若い両親と会っていたころ、男は同じマンションの3階に住むケイという女とつきあいはじめていた。だがそのケイも異界から来た一人だった。

今はこの世にいない人たちとの時間が、ありえないものではなくて、あたたかく慕わしいものに思えた物語。

(8/21了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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