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みえない雲(グードルン・パウゼヴァング)

みえない雲みえない雲
(2006/11)
グードルン・パウゼヴァング

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『そこに僕らは居合わせた』の巻末解説を読んで、あ、この人は『みえない雲』の人なんやと気づく。それで、タイトルだけは知っていたが読んだことのなかった本を借りてくる。この作品は、チェルノブイリの事故から20年目にドイツで映画化されている(『みえない雲』;文庫のカバー写真は映画のものと思われる)。

著者は、チェルノブイリ原発事故のニュースにふれるうち、「これが1500キロも離れた場所ではなく、ドイツのど真ん中で起こったとしたら、いったいどんなことになるのだろう?」と思い、翌1987年初めに、この作品を発表した。

フィクションではあるが、福島第一原発の事故が起きたいま、原発事故後の政府の対応や人々の言動を読んでいると、この2年あまりをなぞるようで、たまらない思いにかられるところがある。
西ドイツ、シュリッツに住む14歳のヤンナ-ベルタは、授業中に突然鳴り響いたサイレンを聞く。「たった今、ABC警報が発令されました。授業は中止します。生徒は全員ただちに家に帰りなさい」という校長先生の放送。ABC警報とは、A=核兵器、B=細菌兵器、C=化学兵器の攻撃を知らせるドイツの警報で、家へ帰ろうとする生徒でごったがえす中からグラーフェンハインフェルトで事故があったんだという声が聞こえてくる。

グラーフェンハインフェルトは、確か原発のあるところ…とヤンナ-ベルタは思い、チェルノブイリの事故のあとに両親と一緒に何度かデモに参加したことを思い出す。あのときは、同居する父方の祖父母と両親とのあいだで大げんかがあった。祖父母は、今やもう原子力なしにはやっていけない、原子力は車やテレビと同じように現代生活の一部で、チェルノブイリのような事故はドイツの原発では起こりえないと言い、デモで何かを動かすことなどできっこないとも言った。

ヤンナ-ベルタの両親は、原子力利用に反対する市民運動グループの結成メンバーだった。けれど、ときが経つうち、チェルノブイリのことは忘れられ、原発は操業を続け、市民運動は活気を失った。ヤンナ-ベルタの父は「自分の国で何か起こらなきゃ、みんなのお尻に火がつかないんだ」と言っていた。

上級生の車に乗せてもらって、ヤンナ-ベルタは自宅へ帰る。両親と2歳の弟カイは、原発近くのシュヴァインフルトに住む母方の祖母ヨーを訪ねて留守だ。父方の祖父母はバカンスに出かけていた。小2の弟ウリと過ごす2日間に、こんなことが起こるなんて。

警察の広報車が、窓を閉め、室内にいるよう呼びかけている。「あくまでも念のための措置ですので、心配する必要はありません」と言いながら。ヤンナ-ベルタはウリと2人どうするか、状況を懸命に考える。ウリは、叔母からの電話で、地下室にいなさいと言われたという。近所の人たちは、車に荷物を積み込んで逃げだそうとしている。

地下室にとどまろうと決めたところへ、母からの電話。地下室はだめ、できるだけ早く逃げなさい、行きなさいと言う途中で電話は切れた。ご近所はもう車を出してしまった。ヤンナ-ベルタは自転車で逃げると決心し、「私のあとをついてきなさい」とウリと共に走り出す。

道路は逃げる車で大渋滞、その脇をヤンナ-ベルタとウリは走った。汚染された雲がやってくる、その雲から逃げなければ。車でいっぱいの道を前に、ヤンナ-ベルタは農道を選んで走ったが、行き止まりになって泣きたくなる。どうしたらいい?と弟を前に考える。

土手の下に道があると、ウリは自転車で斜面を降りていこうとした。気をつけて!と言うまもなく、ウリは自転車から放り出され、頭から落ちていった。ウリが死んだ。

そのあと、ヤンナ-ベルタは、車の家族連れに乗せられて駅へ向かうが、そこも列車に乗せろという大群衆で混乱に陥っていた。列車に乗せろ、子どもだけでも中へという人びとを警官隊が押しとどめようとしていた。そこまで一緒だった家族連れの子どもも群衆にのみこまれ、ヤンナ-ベルタは狂気の笑いを止められないまま駅を離れた。

ウリが横たわるあの菜の花畑へとヤンナ-ベルタは走る。降りだした雷雨にうたれ、ずぶぬれのヤンナ-ベルタを若い家族連れが車に乗せ、東ドイツとの国境近くまで来た。そこで臨時に開設された救急病院にヤンナ-ベルタは収容され、トルコ人のアイゼと親しくなる。

被災地をまわっているという内務大臣が視察に来たとき、ヤンナ-ベルタは「ウリは? どうしたらすべてが元に戻るっていうの? 両親は? カイは? ヨーは?」と叫ぶ。「ここの人たちもどうなるのよ。どうやって元に戻るというの」と。そんなヤンナ-ベルタをみて、「彼女は勇気があるわ」と別の子どもの親が言う。それを聞いたアイゼが言うのだ。

「勇気じゃない。怒りよ」(p.104)

ヤンナ-ベルタの髪は脱けはじめる。アイゼが死に、他の子どもたちも死んだ。ヤンナ-ベルタは、ハンナブルクの父方の伯母ヘルガにひきとられる。両親と弟のカイ、母方の祖母ヨーが死んだことを知らされ、けれど、そのことをバカンス先にいる父方の祖父母には知らせたくないのだというヘルガに、ヤンナ-ベルタは反発する。祖父母は何も知ろうとしないのだ。恐ろしい話は聞きたくないというのだ。

ヘルガは帽子やかつらを用意して身につけるように言うが、ヤンナ-ベルタはそれにも抵抗する。
「私は隠すものなんてないわ。私はハゲ頭だけどこれが現実。このままでいるつもりよ」(p.139)
「私は覚えていたいの」「だって私には隠すものなんて何もないもの」(p。147)
「…今度のことだってもう、みんな忘れようとしてるもの。だから私、カツラも帽子もかぶりたくないんだ」(p.180)

ヤンナ-ベルタを母方の叔母アルムートが訪ねてきた。ヘルガと違い、アルムートとは今起こっていること、思っていることを話せる。ヘルガのもとにとどまらざるをえなかったヤンナ-ベルタだが、ある日、ヘルガの家を出て、アルムートたちのいるヴィースバーデンへ向かった。

「ここへ来た人みんなが希望と勇気を与えられて帰るような、そんな場所にしたい」と被曝者のためのセンター設立に奔走しているアルムートを、ヤンナ-ベルタも手伝う。

ヘルガがあらわれて、何も言わずになぜ出ていったのか、学校へもいかずに将来どうするのかと問いただすが、ヤンナ-ベルタは私に未来があるかどうかわからないけれど、少しでも命が残されているなら生きたいように生きる、学校より大切なものがある、「生きてるっていうことよ」と言う。よくわからない顔をするヘルガに、ヤンナ-ベルタは「ああ生きているんだなと実感できるってこと」とつけ加えた。

やがて、ヤンナ-ベルタたちが住んでいたシュリッツの封鎖が解除された。ヤンナ-ベルタはウリが横たえられた菜の花畑に向かい、ウリを埋葬した。そして、自宅へ戻ったヤンナ-ベルタは、父方の祖父母が帰っているのと出くわす。

祖父母はこんな大事故があっても、何も変わっていなかった。ヘルガが、息子たち家族の死を知らせまいとしたのを信じているのか、何も知ろうとしていなかった。

「あの日はね…」と話そうとしたヤンナ-ベルタをさえぎって、祖母は「私は何も聞きたくないよ、もうすんだことはいいの。それよりだれも災難にあわなくてほんとうによかったわ」(p.257)と言った。

祖父は、マスコミが知らせなくていいことまで知らせ、大げさに騒ぎすぎたせいでこんなパニックが起きたと言い始めた。「ここはグラーフェンハインフェルトから90、いや100キロも離れているっていうのに、あわてて住民全員を追い出してしまった。工場を止め、家畜も死なせ、作物も台なしにしてしまった。私には理解できんね。お腹に子どものいる女の人と子どもたちだけを、1,2週間ほど避難させれば十分だったんだよ」(p.261)と。

それまでかぶっていた帽子をゆっくり取って、祖父母をまっすぐに見すえ、ヤンナ-ベルタはあの日からのことを話し始めた、その場面で物語は終わる。


ヤンナ-ベルタの話を聞いて、その脱毛した頭をみて、この父方の祖父母はどんな反応をしただろうかと考える。知ろうとしない人、変わろうとしない人として、象徴的に書かれているこの人たちと、自分は違うと思いたい。けれど、いまの自分もこの祖父母とそう変わらないんじゃないかと思えたりする。

『そこに僕らは居合わせた』でも語られる大人のように、すんだことは聞きたくないという祖母は、かつてナチス時代の婦人隊で、結構高い地位にいたが、ヤンナ-ベルタやウリがそのことを聞くと、あの頃のことには触れないでちょうだいと口をつぐんだ。あの頃のことを夫が話そうとすると、「私は戦争やあのつらい時代のことは聞きたくないのよ」とたしなめた。

「自分の国で何か起こらなきゃ、みんなのお尻に火がつかないんだ」と言っていた、ヤンナ-ベルタの父。その自分の国で何か起こっているのに、原発の再稼動が当然のように動く政府、その支持率が決して低くないことに、苦しい思いになる。

(6/30了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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