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そこに僕らは居合わせた― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶(グードルン・パウゼヴァング)

そこに僕らは居合わせた― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶そこに僕らは居合わせた
― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶

(2012/07/18)
グードルン・パウゼヴァング

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古本屋で先日みかけて、図書館にあるかなと帰って調べたら、あったので借りてきた。

1928年うまれの著者自身の体験や、見聞きしたエピソードで綴られる「ナチス・ドイツ下の記憶」。1945年4月30日、ヒトラー死亡のニュースをラジオで聞いた著者は、絶望のあまり涙を流したという。当時17歳だった著者には、ヒトラーがいない生活や世の中など想像できなかったからだ。

「忘れないための物語」という巻末の文章のさいごに、著者はこう書く。
▼まもなく時代の証人はいなくなるでしょう。あの時代の恥ずべき行為が忘れ去られることがないよう、私はこの書を世に送り出します。人間を踏みにじる政治は、もう二度と行なわれてはなりません。それはドイツでも、他のどんな国でも同じです。(p.232)

収録されている20の物語は、ナチス・ドイツ下で、10代の子どもたちがどんなことを見聞きしてきたか、大人を見て思ったこと、自分自身の言動への悔い、あるいは孫世代から問われて引き出された証言を含む。そうした物語を読みながら、これはドイツだけの話ではないと思う。
20の物語は、どれもぐっと心に刻まれるが、なかでも私の心にのこったのは「お手本」という話。

ハンナは宿題の作文のために、「おばあちゃんがお手本にしてる人っている?」と祖母に問うた。昔は次から次へとお手本にしたい人がいた、その人みたいになれたこともあれば、お手本からはずした人もあった、という祖母に、ハンナは「そのこと話して!」と頼む。

祖母の最初のお手本は両親だった。そして10歳になって少女団に入ると、アドルフ・ヒトラーがお手本になった。「ヒトラーって大悪人でしょ? なぜヒトラーなの?」とハンナは驚く。

当時ドイツ一の権力者だったヒトラーが、一番えらい人だと子どもたちは教えられていた。両親も熱狂的にヒトラーを支持していた。ヒトラーが死んだと聞いたときは悲しくて泣いた。ヒトラーのいない世の中も、ヒトラーなしの人生も想像できなかったから。そして、終戦の翌日、一人のお手本もいなくなった。

父の親友だったエーリヒ・ファウスト、この地方の管区指導者(ナチスの利益を代表する人)だったおじさんは、父の戦死後、困ったことがあればいつでも力になると誓い、戦争が終わるまで祖母の一家はファウスト家とは親しくつきあっていた。あんな立派な大人になりたいと祖母は思っていた。

戦争末期、ロシア軍が近づいてきたときに、エーリヒおじさんは、「上」からの命令どおりこの場に留まれと地域住民に伝え、自分たち一家は公用車で村を脱出していた。村はロシア軍に占領され、たくさんの人が亡くなった。祖母はそのときわかったのだ。「…彼は、私たち家族や他の人たちには逃げるなと言っておきながら、自分と自分の家族の安全だけ守ったのよ。そのときわかったわ。おじさんを手本にしたのは間違いだったんだって。…」(p.214)

その苦い経験から、祖母はもうお手本なんて持つものかと思った。でもあるとき、母と一緒に故郷の村を訪ねて、とつぜんあるひとりの農婦のことを思い出す。エルナ・ベッカーという人。「…彼女は決して私を落胆させたりはしなかった。彼女をお手本にしてから時間がたてばたつほど、彼女のような人になりたいと心から思うの」(pp.216-217)と祖母は言った。

戦争中、村の使われなくなった工場にフランス人捕虜の収容所が作られ、捕虜はドイツ人の農家で働くことになっていた。ベッカーさんの家にも、一人のフランス人捕虜が割りふられた。朝、監視役のドイツ兵に連れられてきて、夜はまたドイツ兵が迎えにくる。農家の人は、週末のほかは、捕虜に食事を出すことになっていた。

ある夕方、お使いにいったベッカーさんの家で、祖母はこんな場面に居合わせた。
エルナが食卓を用意している台所へ、フランス人捕虜が入ってきた。ちょうど迎えに来たドイツ兵も玄関に現れた。エルナは「待ってちょうだい。うちのピエールは夕飯がまだなの。一日中畑で働いていたのよ。まだ帰せないわ」(p.218)と言った。今日は畑仕事が多かったのでちょっと遅くなったのだとドイツ兵に謝り、フランス人に急いで食べるようにと言ったエルナは、待っているドイツ兵に「一緒にいかが?」と声をかけ、彼にも皿とフォークとナイフを用意した。

エルナは、二人にクヴァルク[牛乳から作るフレッシュチーズのようなもの]をよそってバターのかけらを乗せ、まだ湯気をたてているじゃがいもの皮を剥き始めた。先にドイツ兵の皿にジャガイモを置くとばかり思っていたら、そうではなかった。

▼まず一つめのジャガイモはフランス人、二つめはドイツ人、三つめはフランス人、そして四つめはドイツ人。そうやって二人は平等に食べることができたの。肩を並べて、実に平和にね。エルナは「おいしくおあがりなさい」と言うことも忘れなかった。やさしい気持ちは伝わるものなのね。二人も「いただきます」と言うと、顔を見合わせてにっこり笑ったのよ!
 驚いたわ。でも、なぜ自分が驚いたのかその時は言葉にできなかった。ただ、この農家の台所では、ふだん学校や少女団で教わったのとは違うことが起こっていると感じたの。何年かたってやっと、それがなんだったのか理解した。エルナは彼らに、勝者のドイツ人や敗者のフランス人としてではなく、同じ人間として接したんだって。エルナにとっては二人とも、まず第一に人間だった。それ以外のことはさして重要じゃなかったの。…(p.219)

「同じ人間として接する」。そのことは、簡単なようで、すごくむずかしいことなのだと思う。つくづく思う。

タイトルの「そこに僕らは居合わせた」は、ナチス・ドイツ下で、早く自分も戦争に行きたいと焦がれた少年たちが、ほんの何日かでもいい、あとから「自分はそこに居合わせた」と言いたいのだと、当時はそう思っていたという話から。

(6/26了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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