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季刊 福祉労働 138号 特集:政権交代とインクルーシブ教育の行方

季刊 福祉労働 138号 特集:政権交代とインクルーシブ教育の行方季刊 福祉労働 138号
特集:
政権交代とインクルーシブ教育の行方

(2013/03/25)
福祉労働編集委員会編

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『かなこちゃんの暮らし』を読みなおし、あわせて、ちょうど、We読者の友人からおしえてもらった『季刊 福祉労働』の最新号を読む。

特集は、「政権交代とインクルーシブ教育の行方」。
もくじ
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-2338-7.htm

かなりおもしろく、どの記事もよかったが、とくによかったのが、

●対談:今、私たちが70年代、80年代の障害者運動を語る意味/荒井裕樹×大野更紗
●人工呼吸器と共に普通学級への思い―名古屋市 一年一組 京ちゃんの進む道/林有香
●座談会:共に学び育つ子ども集団の経験をどう伝えるか/奥村凌也・高橋幸宏・坂口智 司会=木村俊彦
●届かない叫び―健聴者社会からはじき出された「ろう者」の世界で起きた事件を通して/永井哲
●対談:今、私たちが70年代、80年代の障害者運動を語る意味/荒井裕樹×大野更紗

巻頭の対談は、『障害と文学』(読んでみようと思って、まだ読んでない)の荒井さんと、『困ってるひと』の大野さん。

▼荒井 …(略)…私は、障害者問題のことを文学という観点から考えていますけど、「障害者」っていう障害者はいないじゃないですか。たとえば、医者はある意味、目の前の人間を「患者」として見ないと、体にメス入れたり、薬を投与したり、処置できないですよね。福祉の人も、財政とか制度の問題を考えたときに障害者を「障害者」として扱わないと、いちいち一人の個人としてなんて考えられない部分が出てきてしまう。…(略)…そういう観点は必要性の問題点として確実に存在するし、誰かがやらなきゃいけない。そうなんだけれども、障害者を「障害者」として見た途端に見えなくなる、個々人の問題みたいなものが、捨てがたく粘着質に心に張り付いてくる。私がもともと文学畑というのもあるかもしれないけれど、そこにどうしても愛着心が湧いてしまうんです。…(略)…障害者を「障害者」といった途端に見えなくなるものが出てくるような気がします。その零れ落ちてしまう個人のパトスみたいな部分を、何とかして書き遺せないかなというのが、花田春兆さんたちと付き合っていくなかで、少しずつイメージされた私なりの問題意識なんです。(p.14)

▼大野 …(略)…障害当事者運動は「脱施設化」を訴えてきたわけだけれども、「施設」というのは、形をとっている場合もあるし、そうでない場合もある。例えば、周りの人はみな優しくて、その周辺だけならあまり不便は感じない環境があったとします。床もトイレもお風呂も全部バリアフリーで整備されていて、物理的に「外」に出る必要性を感じないようなね。職員配置が薄いとか、生活が画一化されているとか、「外」から見れば相対的に悲惨なものだったとしても、世話をしてくれる人がいて生活ができるような。今日、そういう場所が「施設」なのかもしれないですよ。
 私は、横田さん的に言うと「健全者」ワールドから突然「こっち側」に来ちゃった。健常者ワールドから障害者の社会に、難病を発症して急にワーッと飛び込んで来た。そういう立場から70年代、80年代とかの記録を見ていると、今はやや「障害」がムラ社会化しているような気もするのですよね。その中でしか通じない言語とか、その中でしか通じない感覚の中で生きているような感じもします。外に向かって、「お前はどうなんだ」って突き付ける人があまりいない、という感じがする。さきほど、1960、70年代の障害者運動が個性的な人たちの集まりだったという話がありましたが、その人たちがいなくなった後、私はどうすればいいのかな、とたまにふと思う。それまで生きているかどうか、わからないですけれど、(pp.18-19)

1980年生まれの荒井さんが、「痛いことは痛いと言おう」と、声を上げることの重要性みたいなのを初めて訴えたのが、「青い芝」だったと思う、と語っている。

障害者手帳の等級の発想をはじめ、いまの障害者制度のおおもとには傷痍軍人というベースがあることは、十数年前に同居人が障害者手帳を取ったときに(こういうことか)と実感したことがあった。傷痍軍人=お国のために手足を失った人たちが生活を保障されるべき「障害者」だという枠組みがあって、手足が「動く・動かない」じゃなく、「付いてる・付いてない」が問題とされていた時代があり、その中で、脳性まひの人たちは「手足が付いている」、それは障害じゃないという時代もあった、というのは、今ではなかなか想像できない。

対談の結論部分で、1984年生まれの大野さんは「ディスアビリティとされているものが…人が生きるという実感をかくも得難い今日において、煌めいて見えることがある。なぜかはよく分からないけれども、障害をもっている人たちはやはり面白いということ」(p.38)と語る。

その煌めきを、会いたいと思う人に会って、大野さんはたとえば「歴史の証言者たち――日本の制度をささえた人びと」(SYNODOS JOURNAL)の中で書いている。

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●人工呼吸器と共に普通学級への思い―名古屋市 一年一組 京ちゃんの進む道/林有香

林さんは、娘の京香さんの普通学級へ!という就学活動がドキュメンタリー番組になった際のことを書きとめている。記者が文科省の人にインタビューしたとき、「この場にいることだけが幸せということではない。その子を最も成長させる環境を大人がつくっていくことを議論していくべき」とその文科省の人は言ったのだという。

▼「この場にいるだけ」という言葉は、障がい児は「みんなとすべて一緒に行動することができないから、ただ同じ空間にいるだけになる」と考えられた発言だと感じました。ここに大きな思い違いがあると思います。「成長」とは、健常児と同じ能力に追いつくことや障がいを克服することではなく、共に生きることでありのままの自分をお互いが認め合い、助け合うことが子供の成長につながるのだと思います。学習でも体育でも、工夫すれば一緒に参加する方法はたくさんあります。そのなかで、子どもや先生がどう関わっていけるかが大切です。(p.89)

別の記事では、学校のなかでの「授業時間」と、それ以外の「存在時間」とを足していき、学校で過ごす時間の少なからぬ部分は授業以外の「存在時間」だと示していた。「同じ場にいること、共におること」が、この文科省の人には、まるで机か椅子がそこにもう一つあるという程度にしか見えてないんかなと思った。

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●座談会:共に学び育つ子ども集団の経験をどう伝えるか/奥村凌也・高橋幸宏・坂口智 司会=木村俊彦

埼玉の新座市で、車いすで普通学級に入った最初だったという、奥村さん(1990年生まれ)のこれまで、野球部に入った中学校時代や、普通に居続けることで制約が変わっていった高校・大学時代のことが、小学校のときから14、5年の付き合いだという高橋さんや、新座市で教員をしてきた坂口さんとの座談会のなかで語られている。司会は、『福祉労働』編集委員で、いまは新座市議でもある木村さん。

学校に入っていた「介助員」の態度や意識(それは多分に親や担当教員の意識にも左右される)で、障害児とまわりの子のあいだにかえって距離ができかねないことが、奥村さんや高橋さんの経験もふまえて、話されている。

とくに、ハード面の環境が悪い中で皆が関わったという中学時代の話が印象的。エレベーターがつくことで、かえって分けられていないかという話は、地元の「地域で生きる」機関誌のなかでも読んだことがある。

まだエレベーターがなかった当時、奥村さんの車いすを担ぐのは「居る人がやる」という約束事があり、担任の先生や介助員だけが抱えこむのではなく「誰かお願いします」と声をかけるなかで、先生も生徒も集まっていった。

おそらくエレベーターがあったら「介助員とだけ移動して孤立」しただろうし、「あったらたぶん、特定の友人しか手伝わない」と奥村さんが言い、その後、新座市での学校改修でエレベータ設置が進められていくときにも、「エレベーターが付くのはいいけれども、友達も一緒に乗れますか」ということに奥村さんはこだわった。

しかし、残念ながら、エレベーターが付くと、それは「介助員さんと二人きりのエレベーターで、他の子は乗っちゃ駄目だよ」となってしまっているという。

介助員がついていて、そのなかで、教員や子どもらに「委ねる」ことができるかどうかには、ケガや事故のないように努めるにしても、失敗したら「それもあり」とお互いが言える関係にあるかどうかも大きいだろう。「一人で抱えこまず、一緒に悩むところに、一緒にいる意味がある」と木村さんは言う。

▼木村 …一緒に悩んだり考えたりすることに意味がある。それが一緒にいることの意味かな。勉強教えることは先生の仕事かもしれないけれども、そこで一緒に育ち合っていくのは先生だけではなくて、友達も含めて皆でつくっていくものだから、皆が当事者じゃないかなと思う。
…略…
高橋 そう。周りの子どもたちもいるわけだし、凌也の保護者の方もいれば、例えば学校に一緒に行ってくださったボランティア、地域の方たちもいる。そういう人たち全員が一緒に悩んで考えれば、さっき木村さんがおっしゃられたように、結論は出ないにしても、悪い過程には絶対ならないと思う。(p.110)

凌也さんの中学、高校時代には、教員集団もまとまっていてよかったのだと木村さんが言う。集団で見ている安心感があったからこそ、たとえば野球部の顧問が「自分が引き受ける」と言えたと。

▼木村 今、特別支援教育コーディネーターが配置されて、障害を持っている子やいろいろなトラブルの情報はコーディネーターや管理職に集中して、先生皆で考えようっていうふうにはなかなかならなくなってきている。なにか問題が持ち上がると対応するのは担任と管理職で、あるいは専門家、コーディネーターに問題を預けてしまうとか。坂口先生が言っていた発信元が大勢いて、皆で悩んで考えるという体制が学校の中でどんどん細くなっているという問題があると思う。野球部の先生や高校の剣道部の先生が「(凌也君を)僕が引き受けます」って言えたのは、自分一人が責任取らされるんじゃなくて、皆でやっているということの安心感があるから言えたんだよね。
坂口 この部分に関しては自分がやる、だけれどもほかの部分に関しては誰か…っていうことなんだよね。(p.113)

「誰か一人で抱えこまなかった、皆が主体としてかかわっていた」(p.115)ということ。そういう共に学んできた経験をどう伝えていけるのか。奥村さんの過ごしてきた20年は、ちょうど新座のインクルーシブ教育の20年でもあるという。

新座市の教育長は「特別支援教育にも限界があります」とはっきり述べているという。そのことを木村さんはこう言う。「個人主義で責任を取るということではなくて、一定の信頼関係を地域の中でつくりながら、支え・支えられる相互関係をどうつくっていくかが大切なのであって、特別支援教育の中にはこのかかわりの視点がないんだよね。個人の能力を伸ばすのではなくて、かかわりをどうするか。クラスをどうするかと、視点を変えていく。」(p.119)

その木村さんの話を受けて、奥村さんは部活のなかで喜びや悔しさを分かち合ったことを語り、高橋さんは「喜怒哀楽を小さいころから皆で分かち合っていかないと、結局その先、大きくなってから人と人との信頼関係、人間関係をつくるのが難しくなると思うのです」(p.119)と語る。

一緒に、という蓄積、それがあるのとないのとでは、人と関わって生きていく力はずいぶん違ってくるだろうと思う。

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●届かない叫び―健聴者社会からはじき出された「ろう者」の世界で起きた事件を通して/永井哲

加害者も被害者もろう者という、大阪市都島区で起きた事件。加害者の築山さんと面会を始めた永井さんたちがまずぶつかったのは大阪拘置所での「手話面会の禁止」。立ち会い職員がわからない言語での面会は許可できない、筆談以外での面会は認めないというもので、新聞がこの問題をとりあげるようになって、大阪拘置所は謝罪をしてきたが、いつでも手話面会ができるようにという要求は、手話のわかる職員が休みの日には筆談面会にされてしまうという問題として残った。

この事件は、関西では初めて、ろう者を被告人とする裁判員裁判となった。
▼この事件は、加害者も被害者もろう者という、いわば「ろう者の世界」の中で起こった事件である。にもかかわらず、法廷の中には築山さん以外にはろう者は一人もいない。三人の裁判官、六人の裁判員、検察官、弁護人、書記官など、全てが健聴者だけで構成されている。そして、手話通訳者らを除くと、誰も手話は解さないし、ろう者の置かれてきた状況もおそらくはほぼ知らない人々が、「ろう者の世界」で起こったろう者の事件を論じ、裁くのである。(p.159)

求刑も判決も、無期懲役だった。
▼刑務所の中では周囲に手話のできる人はほぼいない、つまりほとんど「会話」らしい会話はない日々がずっと続く。手紙という手段についても、築山さんの場合、日本語(つまり健聴者の言語)の文章では、ごく簡単な内容しかやりとりできない。
 そんな状態が、10年、15年、20年と続くことを想像できるだろうか? 人間は大なり小なり他者との交流のなかで生きている。それをほとんど奪われたまま、そんなに長い間耐えられるものなのだろうか?(p.161)

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就活、婚活、妊活…なんでもいいけど、こういう"ナントカ活"というのは、「自分」という個人にどれだけ力をつけるか、付加価値をつけるか、みたいな感じがする。集団の力をつける、というところ、解放教育で言われていた"集団主義"というのを、なにか読みなおしたくなった。「(個人の)ガンバリズム」を乗り越えるというか、めざす先は、そっちとちゃうなという気がする。
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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