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鳥右ェ門諸国をめぐる(新美南吉・作、長野ヒデ子・画)

鳥右ェ門諸国をめぐる(新美南吉・作、長野ヒデ子・画)鳥右ェ門諸国をめぐる
(1997/09)
新美南吉・作、長野ヒデ子・画

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新美南吉の読んでない話が入ってるのを借りてくる。このフォア文庫は「30歳で亡くなった新美南吉が死を強く意識しはじめた晩年の作品から3作を選びました」というもの。表題作「鳥右ェ門(とりえもん)諸国をめぐる」のほかに、他の本でも読んだ「小さい太郎の悲しみ」と「貧乏な少年の話」。

犬追物(いぬおうもの)という、生きた犬を放って馬の上から射殺すという遊戯がだいすきな鳥山鳥右ェ門。その練習のための犬をどこかで探し出してくるのが、しもべの平次の役目だった。

鳥右ェ門は、この平次がおもしろくない。犬追物をするときにかぎって、平次の眼がとがめるように心をさすからだ。しかも平次は、ほかのしもべどものように「お見事なうでまえでございます」とホメたりしない。

ある日、平次がつれてきた病犬に腹を立てた鳥右ェ門は、犬を射るつもりだった矢で、「その、にっくき眼の玉を射てくれるわ」と平次の右目を射つぶしてしまう。

ひどい主人である。ふた月ばかり眼の療治をした平次はひまをとって姿を消す。
7年後、犬追物の会にでかけた鳥右ェ門は、その帰りに、すでに満員の渡し船に乗り込んだうえに、猿まわしの旅芸人に「じゃまであるから、おりろ」と下りさせた。周りの者も、猿まわしも、だまって何も言えない。

そのとき「あとから来たものがおりりゃえい」と言ったのは船頭だった。いまいましく思うもガマンした鳥右ェ門は、川のなかほどで白鷺の群れを射って、1本の矢で2羽をしとめてみせた。客たちはたいした腕前だとホメ、鳥右ェ門の名をきいて「えらいお方だ」とささやく。

そのとき「何の、そんなことがえらいものか。人のためになることをしてこそ、えらいといわれるもんさ。鳥や獣の命をとることが、なんのためになろうぞ」と、船頭がまた言った。

こいつ斬ってくれようと思った鳥右ェ門は、船が岸についてから、土手をのぼりきって「やい、船頭」「こちらに向け」と呼んだ。

こちらを向いた船頭は片目で、それはあの平次なのだった。「ただいまの悪口雑言、武士として聞きずてならぬぞ。こうしてくれるわ」と、鳥右ェ門は再び平次に矢を放つ。残ったほうの眼をねらい、てごたえはあった。

ひどい武士である。というより、武士とはこういうむやみな殺生や、ほかの民を人とも思わぬものなのか。

だが鳥右ェ門はそのあとで、矢頃の鹿を射ることもなく、深く考えていた。その心の眼には、つぶれてしまったはずの平次の二つの眼がはっきり見え、耳には、平次の言ったことばが残っている。

自分はこれまでまちがった生き方をしていた、正しい生き方とは何かはまだわからないが、それを知るためにこれから旅に出る、そなたらも達者で暮らせと、妻と子に手紙を置いて、旅に出た。

正しい生き方をみつけるために、鳥右ェ門はなんでもやってみるつもりだった。鍛冶屋の弟子、酒造り、櫛引、ばくろう、炭焼き、烏帽子折り、鏡みがき…いろんなことをしながら、さまよいあるいた。

▼しかし、鳥右ェ門にぴったりあうような商売は一つもありませんでした。人びとのためになる仕事はありました。が、そういう仕事は鳥右ェ門にはすきになれないのでした。また、すきになれるようなおもしろい仕事はありました。が、そういうのは、あまり人びとのためにならない仕事でありました。(p.82)

坊主と乞食だけはしてみる気がなかった鳥右ェ門だったが、ちょっとしたまちがいから坊主になることに。片田舎の貧乏な村の御堂の守を、請われてひきうけたのである。にわかづくりの坊さんは、名を鳥右(ちょうう)とし、お経や法話は下手だが、村人のためにはたらく人間になっていった。

鳥右は平次のことを思い出す。もう生きていないかもしれない、生きていても盲目の平次が、もしも生きているなら、一度会って、自分の非道な仕打ちを詫びたいと思った。やっと平次にとがめられないだけの生き方が見つかったと知らせたいと思った。

話はまだ終わらない。

村に釣鐘がほしいということになったが、貧乏な村で出せるおあしだけでは到底足りない。ほかの村から浄財を寄せてもらうために、鳥右は諸国めぐりに出る。鐘をつくれるだけの志があつまって、村へ帰ろうとしていた鳥右は、托鉢に出た最初に大変親切にしてもらった川名という川沿いの村へ、もう一度寄ろうかと考える。

ところがその川名は、夏の大水で堤防が崩れ、家も人も流され、田畑は砂に埋まったというのだ。「川名へ、人びとをたすけにいこうか」という考えと「いや、まっすぐ自分の村へ帰ろう」という考えが、鳥右の心の中で争っていた。一歩歩いて考え、二歩歩いて考え、さんざん悩んで、鳥右は、村へ帰って鐘をつくると心を決めた。

川名へ人だすけに行き、あつめてきたお金をくれてやるのがよいのか、いやそれでは村人たちをよろこばせるための鐘はいつできることかわからない…

鐘はできた。なつかしいよい音だと村人が聞かせてくれるのを、鳥右はよろこんだ。この鐘はどんなに村人たちの心のなぐさめになるか。今生きている村人だけでなく、鐘は百年でも千年でも、これからのちの人にその音をきかせてくれるだろう。

鐘の音に明るく心はずむ鳥右は、村の入り口の土橋のところで、めくら乞食が子どもらに悪さされているのに行きあう。杖をはねとばされて困っている乞食に、鳥右は杖を拾ってきて渡してやる。

それは平次だった。平次に会って、鳥右は、自分のやり方がまた間違っていたのだと思う。

これは童話なのだろうかと思いながら、フォア文庫を読む。フォア文庫といえばおおむね小学生向けというシリーズだ。どう生きるのが正しいのか、人のためになるとはどういうことか。自分が子どもの頃にこれを読んでいたら、どんなことを感じただろうと考えながら、どう生きるかというのは、大人の私にもぐぐっと刺さる。 

(3/7了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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