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社会運動の戸惑い  フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動(山口智美、斉藤正美、荻上チキ)

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動社会運動の戸惑い
フェミニズムの「失われた時代」と
草の根保守運動

(2012/10/31)
山口智美、斉藤正美、荻上チキ

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出たときから、読んでみたいなー、買おっかなーと思っていた本。あまりの忙しさと、とある人の「あんな人たちの本読まなくていい」発言でちょっと気持ちをくじかれたが、やっと12月に入手。

私はたぶん、フェミちゃん周辺の本や書き物を人よりは多めに読んでいるが、この本を読んで、どうも90年代半ば以降がごそっと抜けてるんやなと思った。90年代終わりから2000年代初めは、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、死人が出たり病人が出たり、自分の周辺がてんやわんやだったせいもあるのだろうが、「男女共同参画社会基本法」が成立したことは私の記憶には全く残っていない。

この基本法制定以降、都道府県や市町村で「男女共同参画条例」がぞくぞくと制定されたこともほとんど記憶になく、条例制定をめぐって各地でいくつか悶着があったことは知識としては知っていたが、具体的に何が問題になっていたのかは知らなかった。

法にしろ条例にしろ各地の施設名称にしろ、「男女平等」ではなくて「男女共同参画」というフシギな言葉になったいきさつもよく知らずにいるが、「男女共同参画って、何なん?」というギモンは、いつしか私の中に育っていた。
「ジェンダー」という言葉も、自分自身が「こういうことや」と説明できずにいたので、ずっと長いこと自分の書くものでは使わなかった。「ジェンダー」が(わかったかも!)と思う瞬間はときどきあったのだが、考えていると、またぐるぐるしていた。フェミちゃん周辺の本やジェンダーが何とかいう本は、それなりに読んだりしていたが、そういう本はなんだかどんどん難しくなっているように思えた。

そして、「バックラッシュ」と呼ばれた、2000年代半ば以降の"ジェンダーフリー"に対するバッシングの動き。私は当初この言葉を聞いた時には、だいぶ前に訳本が出たスーザン・ファールディの『バックラッシュ』の本のことを思い浮かべたものだった。その後、「バックラッシュ」と名指して批判する側の言い分に私も少なからず影響されて、バックラッシュ派=古くさい主張をする保守ごりごりの人、という印象になっていった。

…そんなことを、この本を読みながら思い出していた。

この本の著者たちは、2005年以降、フェミニズム側と保守側で悶着が起こった地域を訪ね、「バックラッシュ派」と呼ばれた人たちと会って、その行動に至った背景や思いを聞き取ろうとしてきた。また、その動きに直面した側の人たち、フェミニストと呼ばれる人たちや、地元の住民たちにも会って、話を聞いてきた。

著者たちは、自身が「フェミニストである」と明言して、バックラッシュ派の人たちとアポを取り、会っている。お互いに、会うまでは相当の緊張もあったと書いてあるが、実際に会って話をしてみれば、立場の違いはあり、主張に同意できないところは残るものの、「なぜこの人たちがフェミニズムを批判するのか、どういう人たちで、どういう考えにたっているのかについて、聞くということをそれまで私自身もしてこなかったことを思い知らされた」(p.96)と、宇部を訪ねた山口智美は書いている。

それは、千葉、都城、福井を訪ねた章でも同じで、「こちらは相手を「恐ろしいバックラッシャー」、向こうは「過激なフェミニスト」と、お互いのイメージを胸に初対面の時を迎えた」(p.209)が、それでも会ってみれば、対話への糸口が全くないわけでもない、運動体の問題点や運動の方法に関してなど興味関心が共通することもあり、思った以上に互いの姿が似ていると発見することもあった、という。

▼市民運動化していく保守運動と、体制保守化していくフェミニズム。山口県宇部市の事例は、多くの論点を私たちに残した。「正義」というものは、中央から地方へと啓蒙されるものなのか。国家および行政が、「特定のジェンダーイメージに基づいて生きたい」という市民に対し、「性役割にとらわれずに生きる」ことを求めるというのは、どこまで正当化しうるのか。「抑圧される側からの批判」を続けてきたフェミニズムだが、政治権力を運用する側に立った際に、それまでの方法論をそのまま使うことは、大きな危険を伴う。(p.330)

そして、「男女平等」にしろ「男女共同参画」にしろ、"男女"でええんやろかと考えるようになった私には、4章の都城での条例づくりの話、市町村合併前の都城市の旧条例にあった表現のことは、印象に残った。

▼都城市の旧条例で使われた「性別又は性的指向にかかわらず」という簡潔な表現は、考え抜かれた文言である。「性別にかかわらず」により、「男であるか女であるか」そのどちらであるかを問わない。性差別がないことはもとより、トランスジェンダ-、性同一性障害、インターセックスなど、性別は男か女かに判別できるものだという性の二元論に合致しない人の人権を考慮すべきであるとする。一方「性的指向にかかわらず」では、性的意識の対象が異性、同性、あるいは両性のいずれに向かうかにとらわれないことを指す。つまり、そのいずれであっても人権が尊重されるべきであると説いていることになる。したがってそれらを組み合わせた「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権」という表現は、幅広い層の性的少数者の権利擁護を明文化している。(pp.156-157)

5章で書かれる福井の図書問題のところでは、私自身が男女共同参画とついた施設の図書室で3年間はたらいた経験を振り返ってみて、この本でも書かれているように、「男女共同参画にふさわしい図書とは何か」ということ、図書館との違いは何なのかということは、いまもあまりよくわからんなーと正直思う。

『奥むめおものがたり』を読んだあとに、読みかけていた残りを集中して読んだこともあって、ヌエックのことを書いた6章「箱モノ設置主義と男女共同参画政策」では、あの本でさらーと書かれていた、ヌエック設置に至るあたりは、そうなっていたのか~と思った。

この本によれば、ヌエックは、「全国の女性運動が国に要望してできた」のではなく、「高度経済成長により潤沢になった国家財政を背景に、文部省所管の社会教育施設を青少年にとどまらず、「婦人」へと拡張するために構想されたもの」(p.257)だった。そこには、国民を「オシエ・ソダテル・ミチビク」という官僚トップダウンによるシステムの香りがある。

▼当時の文部官僚の語りを追うと、事実は「女性たちが要請」したわけではなく、新たに建物を建てて、そこでの事業で女性や女性団体を組織化し、傘下に置こうとしていたことが明らかだ。(p.271)

奥むめおらが結成した全国婦人会館協議会、いまの全国女性会館協議会のこともここには書かれている。
▼ヌエックは「研修、調査研究、情報、交流の四つの機能を有機的に連携させることにより、女性教育の振興を図り、もって男女共同参画社会の形成を促進」を掲げ、研修を事業の柱としている。しかしながら、…その看板である研修事業の三分の一以上が外部業者に丸投げされている…。(p.267)

中でも全国女性会館協議会は、1997年以来、文科省の委託事業を継続して受けており、このNPOに「ヌエックは主たる事業であるはずの「女性リーダー教育」事業を委託している現状」(p.274)だという。

▼戦後から70年代頃までは、女性運動においても権力を問う議論が見られたが、80年代以降、女性学・ジェンダー学が広がりはじめ、現在では箱モノ設置主義という行政施策のあり方を問う議論はほとんど見られない。税金の使途の妥当性、官と民の関係、国と地方の関係を見直すという視点から、ヌエックをはじめとする男女共同参画センターのあり方を再検討することが、改めて求められている。(p.276)

公立の男女共同参画センターの多くに図書室的なものが設けられているのは、ヌエックをまねっこしてのことであるらしいが、そういう"形のまねっこ"は、各地の条例づくりにおける"モデルのまねっこ"とも通じるように思え、そんなふうにできてきたセンターや条例を「市民の要望でできた」とか「女性たちの要望が実って」と言うのは、やっぱり違うように感じる。(事業内容や事業名称の"まねっこ"も、あちこちにかなりたくさんみられるのだ。)

この本の主張は、巻末の「結びにかえて」にシンプルにまとめられている。私はこれに、けっこう共感する。そして、フェミニズムだけの問題とちゃうよなーと、それもつくづく感じる。
・フェミニズムの運動は、中央から地方へのトップダウンで進められるべきものなのか。
・文化やコミュニケーション、振る舞いや内面の批評ばかりへと、フェミニズムの対象が偏っていてよいのか。
・貧困や暴力、差別や排除など、具体的な危機が多数ある中、「ジェンダーの危機」ばかり叫んでいてよいのか。
・ジェンダー概念を「知っている者」から「知らない者」へと啓蒙、啓発する、そうした「キヅカセ・オシエ・ソダテル」活動にばかり偏っていてよいのか。
・フェミニズムはこれまで以上に、実証的な分析と、実効的な活動と提言とを行なっていく必要があるのではないか。
(p.334)

この本で言及される人のほとんどについて、注で生年を書いてあるのだが、著者についてはその生年情報がなくて、ちょっとフシギ。世代差もそれなりにあるように思うので、著者の生年も入れてほしかったなーと思う。

知ってる人の名もずいぶん出てきたので、読んだ人がいたら、いろいろしゃべってみたい。

『社会運動の戸惑い』特設ページ
(正誤表もあり)

(1/4了)
 
Comment
 
 
はじめまして。

私どもの共著本を手にとって頂きまして、また丁寧なご書評を書いていただき、本当にありがとうございました。男女共同参画関連施設で働かれた経験をお持ちのフェミニズム界隈の方ににこのようなコメントを書いていただいたこと、とてもうれしく思いました。詳しく引用して頂き、ありがとうございました。

著者についての生年情報ですが、「世代差もそれなりにあるように思うので」というのは確かにそうです。そう重要ではないと思って、また先入観を与えかねないと思って、入れなかったのですが、バランスを欠いたでしょうか。

今後ともどうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。  [URL][Edit]






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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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