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アフター・ザ・レッド 連合赤軍 兵士たちの40年(朝山実)

アフター・ザ・レッド  連合赤軍 兵士たちの40年アフター・ザ・レッド
連合赤軍 兵士たちの40年

(2012/02/14)
朝山実

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12月にいっしょに飲んだKさんが、最近読んだ本としてこの『アフター・ザ・レッド』と、『戸塚ヨットスクールは、いま』の話をしていた。そもそもの関心は尼崎の(容疑者の女性が自殺してしまった)あの連続変死事件、いったいなんであんなことになったのかということへの興味だそうで、"閉鎖された系"で人間はどういう発想や行動をするのかというようなことを、いくつかの本を読みながら考えた、と聞いた。

『戸塚…』の本はあいにく近所の図書館になかったが、『アフター・ザ・レッド』はあったので、借りて読んでみた。

連合赤軍というと、あさま山荘事件。私にはリアルタイムの記憶はなく、鉄球がどーんという映像をテレビ番組で何度か見た記憶だけ。そして、後から判明した同志のリンチ殺人事件。読んだことはないが(図書館でぱらっと見たことはある)、永田洋子の『十六の墓標』という本がある…というくらいが、私の連合赤軍についての知識だった。

この本は、「連合赤軍事件」に関わった人たちが「その後をどう生きてきたのか」を聞いたもの。発端は、連赤事件をモチーフにマンガ『レッド』を描いている山本直樹を取材して人物ルポを書く仕事だったという。しかし、仕事はそこで終わらず、著者は、連赤事件の当事者たちと出会い、強い関心をもった。
▼頭の中で、四十年間イメージしてきた「連赤のひと」と目にした彼らはかなり違っていた。おそらく街ですれ違っても、誰ひとり、あの事件のひとたちだと気づいたりしないだろう。それくらい、ふつうに見えた。(p.5)

インタビューしたあとも、「ふつうだな」という最初の印象は変わらなかった、という。

「連合赤軍」が、「赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)」と「革命左派(日本共産党革命左派)」という二つの異なる組織が合体してできたものだ、ということを、私は初めて知った。ともに"軍事路線"を掲げる以外には共通点の少ない組織の統合だった、と書かれている。赤軍派の最高幹部が森恒夫、革命左派の最高幹部が永田洋子だった。森恒夫は東京拘置所で自死し、永田洋子は確定死刑囚となったのち執行前に病死した。

著者が話を聞いたひとは5人だが、この本に掲載されているのは4人の話。
ちょっと前に『田中角栄』を読んだせいもあるが、連赤事件は佐藤栄作内閣のときのことかと思い、4人のなかでも加藤倫教さんの話が印象に残った。たとえば、こんな会話。

▼──加藤さんがいま言われた「学生さん」というので思い出したんですが、羽田空港の近くで、機動隊と学生とが激しくぶつかったことがありましたよね。…テレビを見ていると私の父が「学生はしょうがない」と舌打ちしていたんです。…もともと父は、軍隊に招集されたものの戦地に行く寸前に終戦を迎えていて、小学校卒というのもあったんでしょうけど、「親に金を出してもらって甘えている」という憤りが学生運動をやっているひとたちにはあったみたいですね。

「それはねぇ、僕もその感覚に似たものは抱いていましたから。当時は、上から「革命をやるぞ」というふうに言われてやるもんじゃないぞとは思っていて。ごくふつうのひとが革命を必要としないかぎり、革命というのは成り立つもんじゃないと思っていました。
 だけど、そうは言いながら、声高に革命を叫ぶ路線に、革命左派も巻きこまれてしまったんですよね。いまからすると戯言に振り回されてしまって、自分たちの生活感覚、身体感覚で、革命の時期であるのかないのか感じ取らないといけないものを、心情を優先させてしまった。
 いまになってみるとですが、自民党がやっているようなドブ板政治のほうが、一般のひとたちがもっている要求だとか感情をよく知っているようにも思ったりしますね。…」(pp.104-105)

連合赤軍は、"革命戦士"になろうとした。軍隊を組織して、いずれは武装闘争をやるのだ、やるのかやらないのか、というところが私には分からないけれど、「自分は死んでもいい」と思っていたのだと前澤虎義さんは語っている。20何人で、30万の自衛隊と20何万の警察と10万の米軍を相手に闘おうというんだから、勝ち目はない、どっちにしても俺たちは全滅したんだ、と。

幹部が日雇い労働者にその革命理論を語る姿をみていた植垣康博さんは、「要は「やるのかやらないのか」ということになる。理論はお題目で、ひとしきりすんだら、だから武装闘争は必要なんだ、さあ、どうするんだとなるわけですよ」(p.180)と語る。

のちには過激な軍事路線を歩んでいくことになったが、革命左派は「学生のセクトではなく、地道な大衆路線で革命をやろうとするひとたちに思えたから」(p.235)、雪野建作さんはそこを選んだ、という。しかし、その後の軍事路線へすすんでいく組織は、考えていた方向と違っていった、なぜそこに残ったんですかという問いに、雪野さんは、自分でもそこにどういう心の動きがあったかを、自分で解明して言葉にしていきたいと語る。

変質した組織に残ったのは、雪野さんによれば「ひとつには、世の中のために役立ちたい、尽くしたいという気持ちはあった。それと裏腹なものとして、自分たちが方向性を示して、引っ張っていくんだという意識もあって、そこが落とし穴になっていたんじゃないか」(p.237)ということだった。

巻末の「少し長めの解説」で、椎野礼仁さんは、何のために機動隊と街頭でぶつかったのかと若い人に問われることも多い、と書いている。攻撃目標やスローガンはその時々で設定され、例えば佐藤首相の訪米阻止は、日米によるアジアに対する帝国主義的再編のための会談を止めるため、そのために羽田で飛行機を止めるというように。ただ、その機動隊との衝突が、実際に有効な方法だとは誰も思っていなかった、という。

▼それは何より、問題の存在を焦点化し、人民の意志がどれだけ強いかをアピールすることであり、さらに大衆に対して立場の選択を迫ることだった。政府ブルジョアジー、資本家階級の側に立つのか、我々に賛同するのかを問いかける。(p.277)

椎野さんは、自分にとってはそこまでの論理で充分だったと書く。「あちら側に立つのか、こちらに賛同するのかを問いかける」そういう場面は今もないわけではない。それが"自分のことだ"と思える人は、そう多くないと思えるけれど。

誤解を恐れずに言えば、と加藤さんは「僕は間違ったことはしていないと思っているんです」(p.154)と言い、「あの71年から72年にかけての政治状況下で、あの事件が起きたということを見ていかないと、それは見誤るというか、違うんじゃないかと思うんです」(p.154)と語っている。

この本で語っている4人のうち、加藤さんをのぞく3人は「連合赤軍事件の全体像を残す会」の中心メンバーだという。「どうしてあんなことが起きてしまったのか、そのすべてを解明したいという思い」で、関係者へのヒアリングを行い、それらは『証言』という冊子に少しずつまとめられている。

4人のなかで、加藤さんと雪野さんの2人が農業や環境問題に強い関心をもっていることも印象に残った。農業は、加藤さんが「その後」を考えたときの大きな軸だった。父は電線工場のサラリーマン、その父の対極にいたのが農業をやっていた母、「お金や名誉とは関係がない。毎日毎日、休みもない。そういう仕事」である農業を一生懸命やっていた母だった、という。

連赤関係の本はいろいろとあるが、加藤さんの『連合赤軍 少年A』と、パトリシア・スタインホフの『死へのイデオロギー 日本赤軍派』を読んでみたいと思った。

この本を読んだあと、たまたまうちにあった(何年か前に同居人が買った)『新左翼とは何だったのか』を読んで、党派がどう分かれていったとか、どういう主義主張の違いがあったかは、おぼろげながら分かったが、しまいのほうの革マル派と中核派の内ゲバの話、殺し合いの様子は読む気がしなくなって、本を閉じた。

(12/29了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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