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暗闇の思想を―火電阻止運動の論理(松下竜一)

暗闇の思想を―火電阻止運動の論理(松下竜一)暗闇の思想を
―火電阻止運動の論理

(1985/05)
松下竜一

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松下竜一の『暗闇の思想を』を図書館で探すと、朝日新聞社から1974年に出た初版が出てきた(上の画像は、その後に出た現代教養文庫版のもので、この表紙に使われている絵は、『草の根通信』第9号に"七人の侍"のイラストとして出たもので、初版の239ページに載っている)。

サブタイトルの「火電」とは、周防灘開発の電源基地として建てられようとしていた豊前(ぶぜん)火力発電所のこと。大分・福岡・山口の三県に囲まれた海域である周防灘は遠浅の海で、松下さんはそこで子どもらと貝掘りを楽しみ、浜の松原を眺めていた。その海を埋め尽くして、巨大なコンビナートが来ようとしていた。

ちょうど私が生まれた5月に出された新全総=新全国総合開発計画によって、この周防灘開発は進められようとしていた。6月に周防灘を視察した国土開発審議会視察団は、「沿岸後背地に近接して、広域にわたり市街地があるので公害防止対策がむつかしい」(p.23)と指摘している。

コンビナートにやってくる企業サイドの利点として、陸海空の交通至便だとか北九州・周南・大分などに既存の工業集積があるなどとあげられているが、「公害防止対策がむつかしい」という一点からだけでも、企業サイドの利点という条件を否定しさる権利があるのではないだろうか、と松下センセは書いている。
地元での火電阻止運動が市民を広く巻きこめず孤立しがちであったこと、発電所に反対するなら電気を使うなという嫌がらせが多くあったことなど、松下センセが記録したこの運動の経緯を読んでいると、各地で原発に反対し阻止しようとしてきた運動と、豊前火電阻止運動は同じような状況にあったことがわかる。

当初は公害反対のもと集まった多数の市民も、松下センセたちのように、巨大開発に反対だから、その入り口ともいえる火電に反対するという人たちと、公害は困るが、開発そのものには賛成で、地元浮上の夢をかける人たちとがいた。

そこを突くかのように、九州電力は「公害のないキレイな発電所」を喧伝しつづけた。開発賛成派にとって、九電が公害対策は大丈夫だというからには、反対理由はなくなってしまうのだ。

だが、九電がくりだしてくる「説明」には、巧妙なウソやゴマカシが含まれていた。火電から排出される亜硫酸ガスの80~90パーセントを除去できるかのごときビラを九電は配っていた。

松下センセの計算によれば、ぜんそくで有名な四日市コンビナートが全工場で吐き出す亜硫酸ガスの量・年4~6万トンに対し、豊前火電一社だけで、その半分の量にあたる2.86万トンを放出することになる上に、九電のいう排脱装置は、50万キロワットの発電所に対して、25万キロワットの処理能力であるだけなのだ。

この計算を新聞に投稿した松下センセに対し、数日後に九電関係者が投稿してきたのは、排出量そのものよりも、地上濃度が問題だ、「ガスは高い煙突で吐き出し、充分に希釈されるから大丈夫なのだ」という内容だった。同じ日の新聞には、社会面に「空の汚れもドーナツ型。徳山・新南陽/工場近くより周辺。高い集合煙突が原因/山口大調査」(p.71)という記事が出ていた。

原発同様、温排水の問題もあった。九電は、水温の低い深層から水をくみ上げるので、どうもないというのだが、豊前海の水温調査によれば、海表面と海底は温度差がほとんどないのだ。そこを指摘すると、九電は「豊前海に出される温排水は、ほんのバケツの中にそそがれるサカズキいっぱい程度だといって間違いありません」(p.73)などと言い出すのだった。

▼けっきょく、スオーナダカイハツは、私たち地元住民にとって何であったのか。ある日突如中央で発表された計画案は、実に五年間にわたって、多数の市民にバラ色の夢をかきたてながら、またある日突如として隠れこんだのだ。この間の調査費六億五〇〇〇万という血税の濫費は誰が責を負うのか。そして、それより何より、そのバラ色の夢によって、素朴な住民がいつしらず抱かされてしまった繁栄への飢餓感は、誰がどのようにして慰するのか。(p.138)

周防灘開発は、突如棚上げになった。しかし豊前火電の建設は進もうとしていた。松下センセたちは、「環境権」を楯に、豊前火電の差し止め請求訴訟を提起して、訴訟を手段として抵抗するしかないと考えた。

▼環境は、そこに棲む万人の共有であるから、誰かによって一方的な汚染は許されないという、しごくあたりまえな発想なのである。四大公害訴訟が勝利したとはいえ、心身の破壊のあとの勝利は、万歳の声もわかぬ空しさであった。そうなる前に企業をくい止めるには環境権しかないのではないか。(p.147)

それは、後の世代に遺してやりたい「愛すべきもの」を守ることだと松下センセは書く。
▼「環境権」というものは、このように、後に来る者とのかかわりが密なのであり、もっといえば、後に来る者たちの未だ無告の権利をも含んだ主張であるはずであり、その重さは人類の歴史を曳いて、裁判官とてたじろぐほどのものであるはずなのだ。
 裁判官をも含めて、私たちだけでこの豊前海岸を処分するなら、後に続く世代から私たちは永久に「愛すべきもの」を奪い去ったのであり、彼らの環境権を抹殺したことになるのである。そのことに私たちは戦慄をおぼえぬまでに人類同法意識を喪っているのだろうか。(pp.148-149)

松下センセは、ある真冬の一夜、家中の電気を止めてしまった。火電反対などというなら電気を使うな、といった主張に対して、「暗闇の思想」が必要ではないかと、小文を書いた。

▼…かつて佐藤前首相は国会の場で「電気の恩恵を受けながら発電所建設に反対するのはけしからぬ」と発言した。この発言を正しいとする良識派市民が実に多い。必然として、「反対運動などする家の電気を止めてしまえ」という感情論がはびこる。「よろしい、止めてもらいましょう」と、きっぱり答えるためには、もはや確とした思想がなければ出来ぬのだ。電力文化を拒否出来る思想が。…(p.158)

 …現代を生きる以上、私とて電力全面否定という極論をいいはしない。今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。日本列島改造などという貪欲な電力需要をやめて、しばらく沈静の時を持とうというのである。…
 …いわば発展とか開発とかが、明るい未来をひらく都会志向のキャッチフレーズで喧伝されるなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、「暗闇の思想」があらねばなるまい。まず、電力がとめどなく必要なのだという現代神話から打ち破らねばならぬ。…(p.160)

弁護士もないままに、松下センセたち7人の原告は、自分らで訴状を書いて、差し止め訴訟に立ち上がった。その第一回公判の日を記して本文は終わる。「後記」として、この訴訟が進められているところへ、電源開発調整審議会(電調審)が豊前火力を認可決定したことが、怒りをもって書きつけられている。現実には、差し止め訴訟など何するものぞとばかりに、火電建設は進んでいく。

巻末に、松下センセは、自分の胸に鋭く響く言葉として、やはり差し止め訴訟がおこなわれながら建設され始めている伊達火力に反対する斎藤稔さんの言葉を引いている。
「ぼくらは、建つ前も反対だったし、建ち始めても反対だし、煙を吐き始めても反対するのです」(p.262)

このたびの衆院選の結果をうけて、私の胸にもこの言葉が響く。

(12/8了)

*朝日新聞社の初版のあと、現代教養文庫で出た『暗闇の思想を』は、その後『松下竜一 その仕事』12巻としても出たが、いずれもいまは切れている。今年、「暗闇の思想を」を含む本が、『暗闇に耐える思想 松下竜一講演録』と、『暗闇の思想を/明神の小さな海岸にて』となって出ているらしい。
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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