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セラピューティックコミュニティ―回復をめざし共に生きる(アミティを学ぶ会)

セラピューティックコミュニティ―回復をめざし共に生きる(アミティを学ぶ会)セラピューティックコミュニティ
―回復をめざし共に生きる

(2004/03)
アミティを学ぶ会

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山下英三郎さんの話や、西鉄バスジャック事件の山口由美子さんのお話など、『アミティ・「脱暴力」への挑戦』の本と重なるところもあった。

これは、2001年10月におこなわれたシンポと、2002年から2003年にかけておこなわれた連続勉強会の記録集。シンポには、アミティ創立者でもあるナヤ・アービターさんとベティ・フレイズマンさんを招く予定だったが、9月に起こったいわゆる同時多発テロによって、来日企画は延期せざるを得なくなり、ゲストやテーマを変更してシンポは開催された。

仙台ダルクの飯室勉さん、山口由美子さん、子どもをめぐる事件を数多く担当するほか子ども虐待防止活動にも関わる弁護士の多田元さん、CAP岡山の市場恵子さんをまじえたシンポ「暴力とアミティ」のそれぞれのお話もよかったのだが、この本の後半に収録されている、連続学習会の記録がとくによかった。

武井麻子さんの「治療共同体としての精神病院」、境屋うららさんの「ピアカウンセリング-自分を認め、受け容れること」、法務教官をつとめてきた魚住(緒方)絹代さんの「少年たちから教えてもらったこと」、大阪ダルク設立者で、フリーダムのコーディネーター、倉田めばさんの「薬物依存とジェンダー」、自立援助ホームの寮母、三好洋子さんの「子どもたちと暮らして、思うこと」。
武井さんが「スタッフと患者さんの境目は紙一重」というところは、『援助職援助論』を思いだすようだった。武井さんの『感情と看護』はずいぶん前に読んで、半分忘れているが、この本に書いたことを武井さんはこう述べている。

▼…看護師になろうという健気な人達の生い立ちというのは、まあ看護師に限らずケースワーカーでも医者でも心理の人でもいいんですが、人のケアをしようと思った人達の多くは、やはり自分がケアされてこなかった、子供の頃から人をケアしながら生きてきたという、それが人格となり、それを仕事としてしまおうという、そういう人達が本当に多いです。そういう人達は残念ながら患者にはなれない。ヘルプ・ミーということがずっと言えないできた人です。自分へヘルプをいらないみたいな顔をして、人をケアすることでケアされている、ケアして欲しいニーズを満たしている。そういう人が多いんですね。…どっちが助けられてるんだろうと思いますね。患者さんに慰められたり、ケアされたりという場面はしばしば見受けられます。

 患者さんは実は、ケアの専門家となっている治療者側の人間と同じように、家族の中で誰か家族を救おうとして生きてきて、その救い方が下手くそでね、自分が病気になるということで家族の結束を高めるという役割を担ってきた人で、実は隠れた治療舎なんですね。そういった治療的な能力を持っている人なんです。そのkとおがグループをやっていると非常によくわかるし、セルフ・ヘルプグループというのはその能力を最大限に生かした、そういうグループだと思うんです。(p.64)

その状況は、自分は患者じゃない、こっち側だと思ってきたスタッフを非常に不安にさせもするし、一番動揺するのはスタッフだという。「治療共同体」というのは、患者もスタッフも一緒に治療されましょうというものです、と書く武井さんの言葉が、あーそうやと腑に落ちる気がした。

倉田めばさんの、父親、母親との話もおもしろかった。自分も年をとってきて、父と母も年をとってきた。スカートをはいて帰っためばさんと、母は一緒によう外に出んと言うが、父は別にいいやんかと言う。ずっとずっと父は苦手だったが、78歳の父のほうが、トランスしている今の私を母よりも分かってくれているとめばさんは思う。一緒にお寿司を食べに行ったその帰り、父がつくった家系図を渡され、「わしも襲名しとったら、4代目倉田吉兵衛や。お前は倉田家の長男や。襲名したら、5代目倉田吉兵衛や」と聞かされためばさんは、おかしくなってきて、「思わず(ちがう! 私は初代倉田めばよ!!)と叫びそうになりながら、その家系図を受け取って、うちの親族にはいろんな人がいるんだと思って帰ってきた」(p.127)と。

三好洋子さんの話にも、そうやなーーーと思えるところがいっぱいあった。

自立援助ホーム、憩いの家は、小さな一軒家で、大人も含めて6~7人で一緒に暮らしている家。日課もないし、家の造りも普通と同じ。違うことは、個室があること、他人ばかりが暮らしているということ。
▼そういう中で、私自身がいつも子どもと確認しなきゃいけないのは、私たちは家族的ではあっても家族ではない。家庭的ではあっても、やっぱり憩いの家という施設だということです。それを時どき確認しないと、子どものほうがごっちゃまぜになって家族みたいな気がしたりする。そういう気がすることは一向に構わないんだけれど、生活共同体みたいなものだから、共同生活としてのエチケットを越えそうになる。それはたとえ夫婦であっても親子であっても、人の間の距離って、すごく大事な気がするんですよね。お互いにいかに快適な距離を確保できるか、それが大きなテーマだろうと思っているんです。そういう意味では、私たちは一緒に暮らしている人という感じです。
 しかし、関わる時に人間関係の勾配があるということは、きちんと認識していなくてはならないと思うんです。「君と俺は対等だ」という台詞はウチでは無理。…れっきとした勾配関係の中で私たちは関わっているということを、立場の強い人間がきちんと認識していなかったら、子どもに対して失礼なことになってしまう、と思っています。(p.139)

とりわけ三好さんが「子どもの問題は自分の心の中にもある」と書いているところは、ずきーーーーーっときた。ずきずきした。自分にも揺さぶりがかかる、「自分の問題を赦していないから、その子を赦せないと思っている、という場合がほとんどです」(p.141)は、すごい認識だと思った。そのうしろで「A君に気づかされたこと」と、三好さんがそのことをA君との関係がどう変わっていったか、自分自身はどうかということを語っている。実はこれは私の問題だったんだ、と三好さんが気づくところ、それを語れるところが、すごいと思った。

アミティのこの記録集2冊は、ヨソの図書館から相貸できたもので、いったん返すと、また借りるのはちょっとめんどくさい。買って、手元でじっくり読みたいなーと思うのだった。
かりん舎
 アミティの記録集は連絡すれば直送してもらえるそうです

(12/2了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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