FC2ブログ
 
読んだり、書いたり、編んだり 

私には浅田先生がいた


私には浅田先生がいた
康玲子
\1,300
三一書房
2008年

在日女性文芸協会による『地に舟をこげ』という在日女性文学の雑誌ができて、その創刊号はだいたい読んだ。
それでできた「賞・地に舟をこげ」の第一回受賞作が、「私には浅田先生がいた」で、『地に舟をこげ』の第二号に載った。

この受賞作が本になった。

著者の高一、高二のときの担任だったのが浅田先生。
在日であることが、康さん自身にとって、どういうことだったか。

こんな不安が書かれている。

▽…そして、私の存在不安も深かった。両親の不和は、子どもの存在基盤を脅かす。もともと仲が悪かった父と母の間は、この頃、ますます険悪なものとなり、二人はしょっちゅうけんかをしては、離婚の話をした。父の怒声を聞きながら、二人が結婚したのは間違いだったのではないか、と考える。実際、母は私によくそう言った。そして、二人の結婚が間違いならば、私が生まれてきたことも間違い、私は生まれない方がよかった存在、ということになってしまうのだった。

 この不安は、歴史を読む時にも、そのまま投影された。日本は、朝鮮を侵略し、植民地として支配した。その結果、在日朝鮮人という存在が生み出された。だから、在日朝鮮人のことを「歴史の生き証人」と言う言い方があるほどである。しかし、日本のしたことは不当なこと、本来すべきではなかったこと、間違い、過ち、……。では、在日朝鮮人という存在も、本来は生まれない方がよかった存在、ということになってしまう。この考えは私を苦しめた。在日朝鮮人である私は、間違いによって生み出された存在、本来あるべきではなかった存在。実際、朝鮮人でありながら日本語を話し、日本語で考え、しかも差別を受けなければならない自分、その不安におびえている自分、それなのに、日本人に生まれたかったなどと卑屈なことを考えている自分は、いかにも間違った存在だと肯んずることのできる、いびつな存在だった。存在の出発から間違いがあったのだから、--私が生まれる前の出来事なのだから、私にはどうしようもできないことだったのだけれど、--私の人生に希望などあるはずがないように思われた。
(pp.123-124)


さかのぼって、考えてしまう、自分の存在に対する不安。
高校生の頃ならばなおさら、不安だったろうと思う。

康玲子さんは、『アジェンダ』という雑誌に連載しているというので、どっかで見つけて読んでみたい。

http://members10.tsukaeru.net/agenda/


(6月26日読了)
 
Comment
 
 






(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
 
Trackback
 
 
http://we23randoku.blog.fc2.com/tb.php/452-7259bd9a
 
 
プロフィール
 
 

乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
    乱読ブログバナー
本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第69回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

amazonへリンク

 
 
最新記事
 
 
 
 
最新コメント
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
Google検索
 
 


WWW検索
ブログ内検索
Google
 
 
本棚
 
 
 
 
リンク
 
 
 
 
カウンター
 
 
 
 
RSSリンク
 
 
 
 
月別アーカイブ