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核燃料―探査から廃棄物処理まで(大熊由紀子)

核燃料―探査から廃棄物処理まで(大熊由紀子)核燃料
―探査から廃棄物処理まで

(1977/02)
大熊由紀子

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大熊由紀子さんといえば、『「寝たきり老人」のいる国いない国』? 『恋するように、ボランティアを―優しき挑戦者たち』? あるいは『Volo』でやってた「ゆき@…」の連載? ・・・・・ 大熊さんのサイトにあるように、"福祉と医療、現場と政策をつなぐ"というのが私の知っていた大熊さんの仕事だったが、その昔、1976年の6月から9月にかけて(私が小学校1年生の頃だ)、大熊さんは朝日新聞の科学部記者として、「核燃料―探査から廃棄物処理まで」という48回の連載をし、それが本になったのがこれだ。近所の図書館に所蔵があったので、借りてきて読んでみる。

『福島原発の闇』では、朝日新聞社の場合は科学部記者が「原発礼賛」記事を長期連載し…と書かれている。昨年から、原発推進してきた人のリストみたいなのをネットで見ると、そこに大熊由紀子と入っていることが何度かあって、大熊さんは何をしてきたんかなと思っていた。

「あとがき」の最後にはこう書いてある。
▼…私は、そのような人びと*を含め、すべての人が、核燃料についての実地の基礎知識を持ったうえで、冷静な判断を下してほしいと願い、記事を書き、この本を作った。
 長年、科学記者として核燃料のことを取材し、考え続けてきた私のたどりついた結論は、本文でも述べたように「核燃料からエネルギーを取り出すことは、資源小国の日本にとっては、避け得ない選択である」ということである。 1977年1月 大熊由紀子 (p.305)
*この前段で、核燃料や放射線の人体への影響などについて正確な知識を持ち合わせないまま原発廃絶を訴える多くの人たち、と述べている。
読んでみて、大熊さんが、さまざまな比喩も使いながら、核燃料についての「正確な知識」を新聞読者そして本の読者に与えようとしたのだな、ということはわかった。今読むと、こんな比喩を使うか?と思う表現もあるし、35年も前には、本気でこんなことが考えられていたのだろうか?と思うこともいろいろある。

今現在の「核燃料」や「放射線の人体への影響」についての大熊さんの見解は十分にわからないが、この本を読むかぎりでは、やはりこれは原発推進であり礼賛よな~と思う。福島第一原発の事故後に各電力会社などが出した広報物や文書をいくつか読んだが、その文書の感じとひじょうによく似ている。あるいは、文科省がつくったヘンな放射線についての副読本に似ている。

原子炉は、何重にも守られていて、何かあればすぐに原子の火は消えるんだとか、放射線は自然界にもとからあって、ちょっと浴びたくらいでどうもありませんというような。でもこれは、電力会社のPR本ではなくて、文科省のヘンな副読本でもなくて、全国紙に連載されて、その新聞社から本になって出たものだ。

とりわけ、VIIIの「子孫のために」がすごい。章の扉写真は、福島第一原子力発電所。その章の最初にまず書かれるのは「核燃料サイクル」のこと。「核燃料は、グルグルと何回も何回も、まわして使ってこそ真価を発揮する」(p.164)と冒頭で述べるとおり、大熊さんは、ウランを原子炉で一度燃やしただけで使い捨てにするのではなく、ウランを新燃料のプルトニウムに変えて(再処理して)、もう一度原子炉の燃料として使うという道こそ、資源小国の日本の採る道だと説く。

さらに「安全性の相対論」を説く。自動車事故を例に出して、毎年1万人以上が事故で死に、60万人以上がけがをしているが、絶対に人をけがさせない自動車、排ガスを絶対に出さない自動車ができるまで自動車の使用と製造を中止せよという運動は起こっていないではないか、それは自動車を使う利益と使う危険性とを多くの人がてんびんにかけて、利益をとっているからだと。「わが国では、1966年からすでに10年間、原子力発電を続けているが、放射線の事故で死んだ人は、ひとりもいない」(p.175)とも書いてある。

▼ほんとうに「絶対安全」なものしか許さないとしたら、わたしたちは、ダム、自動車、列車、薬をはじめ、すべての技術を拒否して、原始生活に戻らねばならなくなる。しかし、その原始生活には「飢え」や「凍死」や「疾病」という別の危険がつきまとう。
 核燃料を使わない「不利益」と「潜在的な危険性」とを、絶対論的にでなく、相対論的に考えてみることが、いまは大切なことだと、わたしは思う。(p.175)

VIIの「死の灰のゆくえ」の内容もすごい。
日本原子力研究所(昔の原研、いまは独立行政法人日本原子力研究開発機構となっている)で20年も放射性廃棄物と取り組んできた阪田貞弘・環境安全研究室長の話が引かれている。
▼「放射性破棄物は、人間の厳重な管理のもとに置くのがよいと、ばく然と考えている人が多いようです。しかし…」「そのような管理を何百年も何千年も続けてゆくことは不可能です。廃棄物に人が近づかないように見張ったり、水で冷やしたり、といったことを、わたしたちの子孫が、いつまで続けてくれるでしょうか」「上手に捨ててしまう方が、子孫のためです」(pp.152-153)

何百年も何千年も放射性廃棄物のお守りをするのは「不可能」というのが、どうやって「上手に捨てる」につながるのか、私のアタマではついていけないが、その「上手に捨ててしまう」方法、永久処分のアイデアについて、次のページには図解で「岩塩層に捨てる方法」「南極に捨てる方法」「海底に捨てる方法」「宇宙に捨てる方法」が載っている。

IVの「原子炉の安全装置」の章では、原子炉にはいかに念入りな安全装置が設けられているか、圧力容器、格納容器、さらに鉄筋コンクリートの厚いとりでによっていかにきびしく閉じ込められているか、それぞれに計測器がついていて、どれか一つでも異常値が出ればすぐさま安全棒が差し込まれることなどが縷々述べられ「これほど徹底した安全対策が、ほかの産業や、人間の命をあずかる病院で、果たしてとられているだろうか」(p.274)と、もう絶対に太鼓判なのである。

そして、原発事故で死ぬ確率についてのアメリカの計算をもってきたうえで、
▼…違いはあるにしても、原子力発電所が、どれほど安全かという大づかみの感触には変わりはない。
 あすにでも大爆発を起こして、地元の人たちが死んでしまう、などとクヨクヨしたり、おどしたりするのは、大きな間違いである(p.280)
と、大熊さんは書く。

この本が書かれた頃、「もんじゅ」は建設予定で、地盤のボーリング調査が進められているところだった。実験炉の「常陽」が成功すれば、その技術は、高速増殖炉「もんじゅ」に引き継がれる、と書いてある。

大熊さんがこの本で書いていることを読んでいて、「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」に出てきて、個人の意見を述べるはずが、なぜか「社の意見」として「原発20~25%維持シナリオ」を主張したりする電力会社の人というのは、アタマの中でこんな風に考えてるんかもなーと思った。相対的に安全で、放射能で死んだ人はいなくて、資源の少ない日本には必要、というふうに。

この本にも「定期検査」の話は出てくるが、その作業に従事する人のこと、とりわけ堀江邦夫さんが体験したような「原発ジプシー」と称する人たちのことは、ほとんど出てこない。放射線を浴びる許容量についての話のところで、わずかに「臨時に雇った人の場合は、あとの追跡調査がむずかしいので、1年間1.5レムまでに制限しています」(p.132)というコメントが出てくるくらい。こう話している人も、ご本人は、年間許容量を超える放射線を浴びそうなときには「放射線を浴びる心配のない仕事場に移ります」(p.132)と言える身分の人なのだった。

核燃料ということに関して、少なくとも35年ほど前の大熊さんがつないできた「現場と政策」の"現場"は、原発要ります!というほうの現場やったんやなーと思う。今、大熊さんは原発事故をうけて、どういう風に考えてるんやろ?というのが、知りたい。

(7/26了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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