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いのちといのちの間で 私たちにとっての脳死・臓器移植問題(「臓器移植」の性急な立法化に反対する連絡会・編)

「臓器移植」の性急な立法化に反対する連絡会・編
『いのちといのちの間で―私たちにとっての脳死・臓器移植問題』 バオバブ社、1994年

3年前、臓器移植法が改正されたときにも読んだ本を、また読んでみる。

巻末の「用語解説・年表」を読んでいて、QOL、Quality of Lifeって、こういう使い方もするのかと思う(前に読んだときにはまったく頭に入っていなかった)。私がこれまで読んだり見たり聞いたりしてきた経験では、このことばは「生活の質」と訳されて、ある治療を受けるか受けないかと、それによる暮らしの質とを比べるような話のなかで出てきたと思う。

例えば手術で、がーっとガンを切り取る。抗がん剤や放射線で、ガンをたたく。そういう治療で、ガンはやっつけられるかもしれないが、ガンもろとも身体もこてんぱんにやられて、下手をするとその治療のせいでヨレヨレのへろへろになって、楽しい時間もなにも失ってしまう、それでいいのか、というような話のなかで、QOLということと治療の成果というものを比べる、というのが私のいままでの「QOL」の使い方だった。

この用語解説では、こんな風に説明されている。
QOL(生命の質)
…生命倫理的観点でQOLの問題を見てゆくと、この語と対比的に語られる語にSOL(Sanctity of Life=生命の尊厳)がある。QOLを強調する立場とSOLを強調する立場とでは、生命倫理学上の見解に大きな相違が生じてくる。SOLを強調する論者は生命同価値説に立脚し、いかなる生命であれ、人命は尊重されねばならず、等しく生きる権利を付与されていると主張する。

 一方QOLを強調する論者によれば、人命が尊いのはある特質すなわち理性能力や自意識および他者との関係能力が存在するときに限られるのであり、これこそ人格性を証明するものにほかならない。すなわち人格(パーソン person)とはこうした特質の存在している人間のことをいう。この基準で各事例を見てゆくと、理性が永続的に奪われてしまった植物状態者や重症痴呆性老人は、もはや人格とはいいがたく、生きる権利も厳格にはないと見るのが妥当である。また胎児もこれらの能力の欠如ゆえに、人工中絶は正当化されうるものとなる。すなわちこれらのQOLは低いからである。
… (澤田) (pp.129-130)

この解説を書いた澤田愛子さんは、本の前半に収録されている、性急な立法化に反対する緊急シンポの発言記録「尊厳死容認の大合唱のなかで」においても、QOLとパーソン論にふれている。

安易に語られる「クオリティ・オブ・ライフ(QOL)」
…積極的な安楽死を容認する人々は、重症障害児や痴呆老人や末期癌患者や植物状態の患者さんの生命の質を問題にして、彼らの生命の質は低いんだ、QOLは低いんだといいます。ですから早く、死をすみやかにもたらすことこそ、本人だけではなく家族や社会にとっても利益にかなったあり方なのである、といっています。とくに、アメリカでパーソン論というある種の人格論を唱える人々がおります。

 そのパーソン論はどういうことをいっているかといいますと、「何が人をして人間たらしめるか」という問題が問われるときに、正常な理性をもち、認識力をそなえた人間こそが人格として生きる権利をもつ。それ以外の人間は家族や社会に負担をかけるのみであるから早く消え去ること。それこそが理にかなったあり方である─パーソン論を唱える学者たちはそういっております。彼らにとって、こうした生きるに値しない生命の抹殺とは、まさにマーシー・キリング(mercy killing)すなわち「慈悲殺」以外のなにものでもありません。
 (略)
 私は、こうした思想はある意味でドイツのナチス思想の延長線上に位置するものと思いますが、「生命の質」が問題になりますのは、こうした過激な思想のなかだけではなく、尊厳死という名目で治療停止を願う人々のなかにも、内々に生命の質を問題視する傾向があるのではないかということです。… QOLという用語が無批判に、流行語のように多用されておりますけれども、QOLとは本来このような場合に使われる言葉であることを、私は銘記したいと思うわけです。(pp.30-31)

sanctityのことは、ラーの会西宮大会のときに、たしか篠原さんが言っていた。エイゴのことばを比べられても、そのときはよくわからんかったけど、この澤田さんの解説を読んで、ちょっとわかった気がした。

巻末資料におさめられている、脳死及び臓器移植に関する各党協議会(1994年1月)での配付資料「臓器移植法案(仮称)要綱(案)」には、ここにしっかり線が引いてあった。

 十一 その他
4 脳死体への処置
 健康保険法、国民健康保険法その他政令で定める法律の規定に基づく医療の給付に継続して、脳死体への処置がされた場合には、当分の間、当該処置は当該医療の給付としてされたものとみなすものとすること。
(p.185)

このあと97年に成立した臓器移植法でも、改正された条文でも、これとほぼ同じ文言が最後のほうについている。しかし、成立の経緯と改正の際の方向を考えたとき、「当分の間」というのが、いつかは消される恐れは大きく、そういうことが起こったら、脳死判定も臓器提供も、拒否できるというものの、それが「脳死と認めなくていいよ、臓器提供もしなくていいよ、でも、医療保険は切るよ」ということになりうるのだと思うと、こわい。

その人のいのちを、いったい、誰がどうこうしようというのだろうかと思う。

(7/18再読)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第40回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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