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女たちの21世紀 特集=女性・障害・運動―新たな優生思想に立ち向かうために(アジア女性資料センター)

「女たちの21世紀」No.52 【特集】女性・障害・運動―新たな優生思想に立ち向かうために『女たちの21世紀』No.52
特集=女性・障害・運動
―新たな優生思想に立ち向かうために
(2007年11月)
アジア女性資料センター

http://ajwrc.org/jp/modules/myalbum/photo.php?lid=2

米津知子さんの「命の選択?」を聞きにいくまえに、米津さんの文章も入ってる5年前の雑誌を借りてきて読む。出た頃にもあらまし読んだけど、5年経ってまた読んでみると、そのあいだに出会った人やできごと、自分があらたに知ったこと、そんなのがいろいろと浮かぶ。米津さんが書いているのは「性と生殖の権利を私たちの手に DPI世界会議での交流から」

巻頭の座談会「障害者運動と女性運動―30年の交差」は、大事なことがいっぱい話されてるなと思った。話しているのは堤愛子、堀内万起子、大橋由香子、定塚才恵子、丹羽雅代の5人。

大橋「母よ!殺すな」というのが障害者の側の主張。それに対してウーマンリブは、なぜ「母」だけに非難の対象がくるのかを問題化した。
  結局、直接向き合う相手は母になっちゃう。「殺す側」も母。女性が経済条項の削除に反対したのに対して、「中絶を認めろとは、胎児が障害者だったら手を下す権利も含めて認めるのか」と。たしか女性運動は、最初に掲げてたスローガンをおろして、「産める社会を、産みたい社会を」に変えたんだよね。(p.5)

"産む産まないは女の自由"という女性運動が掲げたスローガンに対して、障害者の側からは、"女の自由の中には、障害者を抹殺する自由も入っているのか?"という問いが投げられ、そこから"本当に「選んだ」と言えるほどの自由なのか?"という問いもたてられた。
CIL(Center for Independent Living;自立生活センター)ができた頃、「対等な関係をつくるために介助にお金を介在させる」というのにどうしても違和感があったという堤さんの話に、私も、オカネと介助の関係は今もってぐるぐるするなーと思う。

定塚…ただ、有償化になって、介助者探しの苦労がなくなったことは、よかったなと思うんだけど、私自身は介助が「仕事」になることはしっくりこないし、楽しくない。一緒に何かを変えていこうというエネルギーはそこにはない気がするんだよね。
 堀内 人間関係は希薄になりましたよね、有償化することによって。派遣が終わったらすぐ帰ってしまうとか。
 定塚 障害のある別の友人は「介助者は完璧な手足でいてくれればいい、別に友達になりたいとは思わない」と言い放ってた。「介助って何だろう?」って、ずっと悶々としている。
  ただ、CILができる以前は、ある種の理念や魅力を持った障害者でないと自立は難しかった。平凡な障害者が地域で当たり前に自立するようになっていったのは、CILが広がっていったから。…(p.9)

「30年前に逆戻りさせた自立支援法」の話は、障害者総合支援法が成立したいま、"自立支援"て何なんやろと思わせる。

堀内さんは、支援法で、自分で介助者を集められない人も自由に生活できるようになってきたのはよかったけれど、「ピザの宅配を頼むみたいに電話一本して、人間関係を一から作らずに、事業所にこの介助者は違うと文句を言うことを繰り返す。それはあくまで受け身なわけで、事業所に依存する傾向が強くなっている。事業所がなくなれば、また家から出られない生活になってしまうんじゃないか…」(p.10)と案じる。"あくまで受け身"というところが、気になる。

ハングリー精神、手弁当で、介助者がいなければボランティア集めてでもやってきた第1世代、第2世代。この座談会の出席者もその世代に属し、介助者がおらんかったら大学にビラ撒きに行くかと考えるというが、自分たちの次の第3世代は、「制度はあって当たり前」、給料が少し出る、介助料も保障される、だが、その制度がなくなってしまったら、ひ弱かもと。

運動の歴史や、いま獲得している制度が何のうえにあるかを知らないというのは、部落解放運動でも女性の運動でもあるけど、障害者の運動の世界も同じやなと思う。「権利の上に眠るな」という市川房枝のことばを思いだしたりする。

「自己決定」のところも、読んでいてぐるぐるした。柘植あづみさんの「「ささやかな欲望」と生殖技術」のなかで、「「自己決定」の落とし穴」とあるところ、こういう"個人化"によって、みえにくくなってるものがあるよな、、と思いながら読む。

▼優生保護法は、何も知らない人が読んでもグロテスクだと感じる条文を含んでいたが、それが削除されて母体保護法になってからは、国家は優生思想に関わらない、生まれる子どもの「質」には介入しない、女性の自己決定を尊重するというポーズをとれるようになった。

現在、少子化対策の中に不妊治療費の補助が入っているが、その背景には、産みたくない人に産めというのは「産めよ殖やせよ」を想起させるのでまずいが、産みたい人たちに医療費を補助するなら良いだろう、という発想がある。

医療によって「普通になりたい」という欲望を抱かせ、それをサポートしますという姿勢を国家がとるようになっている。そうしてサポートされて出産する人たちは、自分のために子どもが欲しいと思っていたはずなのに、これでは私は少子化対策に貢献したと思わされていく。

または、技術の存在が、障害のある子どもを育てられるのかという不安を生じさせている側面を見えなくしておいて、その不安を医療で解決しましょうとする。さらに、技術の使用は女の自己決定として責任を押し付けられる。(p.33)

医療とか技術は、次々とスゴイスゴイものが出てきて、その恩恵はそれなりにあるのは分かるけど、やっぱり「それを、どう使うのか」「使った結果、どんなことがありうるか」という、関わる人の視点や時間のモノサシが要るよなーと思う。

ときどき読みなおしたい特集号。
http://ajwrc.org/jp/modules/myalbum/photo.php?lid=2
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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