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援助職援助論―援助職が「私」を語るということ(吉岡隆・編)

援助職援助論―援助職が「私」を語るということ援助職援助論
―援助職が「私」を語るということ

(2009/09)
吉岡隆・編

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漢字が6つ並ぶタイトルにちょっと引くが、大嶋栄子さん(『その後の不自由』の人)や村田由夫さん(むかし『We』でインタビュー)のお名前があるのを見て、借りてきた本。

サブタイトルは、"援助職が「私」を語るということ"
編者の吉岡隆さんの話をはじめ、援助職をやってる10人が語る「私の話」に揺さぶられる。

「できない」とは言えないと思っていた、という話。
一生懸命に関わったのに、無力感におそわれた、という話。
自分の力でこの人たちは救われるという思い込みを打ち砕かれた、という話。
援助職は強く正しい存在でなければならないという偏見が自分自身にあった、という話。
自分の当事者性に気づいて自分がはっきりと変わった、という話。
臨床心理士やカウンセラーなど、援助職といわれる人たちは、そんな人ばかりではないと思うものの、具体的に知る何人かのことは(壊れてるのはあんたヤロ)とか(食いものにしてるヤロ)と思うことがあった。(そもそも、臨床心理が流行って、カウンセラーになりたいとか人のココロが知りたいとか、学生がわんさか来たりするのが私はきもちわるかった。)

例えばクライエントから「○○さんのおかげでよくなった」と言われることが誇らしげな人。「おかげ」と言われて自分がクライエントのつっかい棒になった気でいるようで、実のところは、自分の支えにクライエントを使ってるだけヤロと思う。"エンパワメント"を唱えるフェミニスト・カウンセリングの世界でも、クライエントの力を引き出すのではなくて、その力を吸い取って自分の力にしてるヤロと思うこともある。

援助職には、「お世話焼き病」というべき共依存症が少なからずあるようだが、編者の吉岡さんがこう書くのを読むと、こうやって自分もそのひとりだ、という自覚にたどりついた人はまだしも、「他人から必要とされること」を強力に求める人は、けっこういるんやろなと思う。ハラスメントをする人みたいに、人をコントロールする快感もあるのかもしれない。

▼共依存症者は、もともとセルフエスティーム(本物のプライド)が低いので、他人から必要とされることを必要としてしまう。そこで相手を強大な力でコントロールするのだ。ぼくの主観だが、この病気が一番重症なのは援助者だと思う。ぼくもそのひとりだが、前述したぼくの物語からも、職業選択にも配偶者選択にも、この病気の影響がいかに大きいかが理解できるだろう。

 援助者とクライエントとの関係で、そのゴールは何かといえば、援助が必要なくなることである。つまりそのプロセスは、援助が必要な段階から援助が不必要な段階に向かうことになる。
 ところが援助者が共依存症者だったとしたら、どんなことが起きるだろうか。援助が必要な段階から援助が不必要な段階に向かうのではなく、逆に必要とされなくなることを恐れて、エンドレスな関係をつくってしまいかねない。(吉岡、p.127)

吉岡さんは「援助を最も必要としているのは、ぼくたち援助職ではないのか」と思うようになり、それに共感した9人とこの本を書いたという。「クライエントの視点」を特に意識して、そこから見たときに援助者はどうあるべきか、自らをどう援助すべきなのかと、吉岡さんは一つ一つの事例を振り返り、振り返り、自分がまなんできたことを書いた。

吉岡さんが書いたなかで、心に残る一節は、たとえばここだ。
▼「問題」をもっていない人などいないし、「問題」のない家庭もないだろう。「問題」があることが問題なのではなく、「問題」に向き合わないことが問題なのだ。自分にできることを人に頼むのは依存だが、自分にできないことを人に頼むのは健康だったのだ。ぼくは長い間、自分にできないことでも自分でなんとかしなければいけないと、ずっと思っていたことに気がついた。(p.116)

村田由夫さんの、こんな言葉も。自分のターニングポイントはAA(飲酒の囚われから回復しようとする相互援助グループ)との出会いだという村田さんは、そこからまなんだことをこんな風に書く。

▼人を変えられると思い、変えようとしていた無神経で傲慢な気持ちから、自分が変わるということを学ばされた。「よくしようとする」ことは、相手を支配しコントロールすることであるとぼくは思うようになった。人は、よくなろう、よくしようとする装置に取り囲まれて苦しみ悩んでいるのではないか。人は小さい頃から、人のため、何かのために生きることを強制される価値観や装置に取り囲まれている。社会のため、親のため、先生のため、家のため、友だちのため…、自分のために生きるということがとてもわかりにくくなっている。

 よくなることってそんなに必要なことなのだろうか。よくならないことは絶望なのだろうか。よくならないと幸せにはなれないのだろうか。幸せに基準があるとしたら幸せは競争になる。…(p.236)

村田さんは、よくなることも悪くなることも人間が生きるうえで大事で、みんな周りの価値観とは折り合いのつかないことが多いなかで、こうと決めて生きている、それで人は暮らしていけると考えるようになったら、いつからか相談をしなくなった、と続けて書いている。

西田良枝さんが『ひとりから始まるみんなのこと』のなかで、支援者への苦言として「主人公は誰?」と問い、支援は”黒子役”と”橋渡し役”だと言い、抱え込まず関係性をつくる支援でありたいと書いていることが、この本とつながるなーと思った。

(6/15了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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