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震災の思想―阪神大震災と戦後日本(藤原書店編集部)

震災の思想―阪神大震災と戦後日本震災の思想―阪神大震災と戦後日本
(1995/06)
藤原書店編集部

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阪神大震災から、約5ヶ月でまとめられた本。昨年3月の震災は「未曾有」とくりかえされていたが、阪神大震災も「未曾有」「前代未聞」「想像を絶する」というマクラで語られていたんやなあと思う。「あれから17年」というが、1995年の震災以降にどんなことが行われてきたかを振り返ると、今も結局のところは同じことをやっていると思える。

第I部では、神戸で、大阪で、奈良で──関西で被災した人たちが「私の震災」としてその実態を語っている。もやもやとして言葉にならない、という思いも含め、それぞれが、それぞれに経験した震災をふまえたシンポの記録。

たとえば、外国人の処遇に関しては、1/17以前の人権状況が1/17以降も起こっていると。「義援金とか、死んだ人に250万円の弔慰金を払うとかいうことについても、いまのところ、厚生省の見解では、留学生の嫁さんでたまたま神戸で死んだ人には払わないということですから…そのへんはまだ問題おおいにありというような感じ」(p.39)なのだ。

平井正治さんは、1970年の万博に向けて行われた数々の突貫工事が、事故を起こし人命を失ったことと、まさに震災で横倒しになった高速道路は万博直前におこなわれた工期を短縮した工法に起因するのではないかと示す。

第II部では、震災の実態の背後にある「戦後50年」という日本の根本問題が専門家をまじえて掘り下げられる。
惣宇利紀男さんが、戦後50年間、日本がやってきたことは、象徴的には全国の総合開発計画だろうという。最初の全総がつくられたのが昭和37年(1962)、第2次(1969年)、第3次(1977年)、第4次(1987年)、そして第5次が準備段階だったところで、震災は起こった。その全総第4次までのあらましが表に掲げられている(pp.144-145)。

そのなかで「安全志向という視点は極めて希薄」で、「中心はあくまでも、どうすれば日本経済がより成長率を高められるか」というその枠組みの議論だった。けれども、成長率がどんどん下がってきたなかで、一つの起爆剤になろうとしているのが規制緩和、つまりは新規参入の自由だと、惣宇利さんは書いている。

惣宇利さんの話を受けて、山田國廣さんは防災について「家庭なり地域なりの主体的な判断能力を高め、政府はそれをサポートする、これが危機管理の基本的構造だ」と述べている。誰かが何とかしてくれるのを待つんじゃなくて、自分らで何とかする力をもつこと、避難所を地域で運営する視点をもつことをゆめ風の八幡さんは言っていたが、それと同じことやと思う。

でも、「自分らで」というのは、今もやはり弱くて、阪神大震災のときもそうであったように、「強いリーダーシップを発揮できる首相」や「おれに任せろ」というようなリーダーを待望するような雰囲気があった。1995年は「村山じゃダメ」と言われ、2011年は「菅ではアカン」と言われた。

幸か不幸か、全総のような成長一本やりコースをごりごりやってきた自民党が、震災時には野党であったし、1995年に甚大な被害をうけた神戸市は、神戸市株式会社といわれるような行政だった。

南部ひろさんはそんな神戸市の住民として、住民側の力が弱いことも実感としてあって、「住民がまず主体的な意識を持たないで、防災都市計画作りとか、非常時体制のありようとかを行政に預けるのは、ものすごく危険だと思います。むしろ被災者としては、そんなもん絶対作らんといてくれと言いたい」(p.168)と語っている。

杉原達さんは、自分たち自身が、近代日本が持ってきたさまざまな便利さ、快適さというものを享受してきたことに、どういう姿勢をもつのかが問われていると語る。

山田さんの語る子供の経験。何人か同級生が亡くなった小学生が、その遺影を抱いて卒業式の練習をしている。
▼…ああいう経験をした子供というのがこれから育っていくわけです。これまでの価値観と違った何かを経験した子供たちが育っていく。あるいは六甲アイランドに住んでいた子供が、40階建の高層マンションには住みたくない、家は壊れてなくても戻りたくない、と言っている。そういう経験をしたわけです。これはすごい経験で、その価値観の変化がすごかったわけです。そういう経験をした子供たちがこれから育っていく。…(p.220)

「震災の思想」のなかで、阿部照男さんが語っていることには、はっとした。家庭は"消費の場"だと私も思っていた。

▼…よくよく見ると、我々の家庭の中では、実に多くの自給自足の経済つまり自給自足の生産がおこなわれているのである。料理を作る。掃除・洗濯をする。日曜大工をする。庭の手入れをする。これらは立派な「自給自足生産」なのである。だが、現代の家庭生活に対するイメージは、そこが「消費の場」であるということになっている。これほど多くの「生産」がおこなわれているのに、なぜ「消費の場」とみなされてしまうのであろうか。

 それは、現代の我々の「経済」観が逆立ちしているからである。…(p.272)

つまりは、商品経済にあらずんば経済にあらず、商品生産にあらずんば生産にあらず、ということになってしまっているために、家庭の主婦がレストランに負けないおいしいハンバーグを作ったとしても、それは生産ではなくて、原材料の挽肉や野菜や油の消費とみなされてしまうと。

この「お金と結びついた生産」だけが脚光をあびて、それ以外は黒子のように見えなくなっているが、この認知されない資産こそが、人間の生活を真に支えている大切なものなのだ。

しかし、震災直後から、被災者やあるいはボランティアがおこなってきた、人の救出、消火、瓦礫の片づけ、応急の生活環境を整えること、救援物資の運搬配給…といった生産は、「阪神大震災の復興需要」としては、一切見積もられていないのだ。

惣宇利さんは戦後の全総のことを書いたが、阿部さんは、経済成長至上主義は、振り返れば明治以降の日本の施政方針はずっとそうだったのだという。

「建築の思想」について語ったなかで、内田純一さんが、自分の友人の原発設計者の話を述べている。

▼その方は、自分は原子力発電所の設計に加わってはいたが、全体を把握していたかというと、把握してないと言う。そのごく一部、めちゃくちゃに厚いコンクリートの図面を書いていて、それがどういうものか、担当した部分が全体においてどういう意味があるかということを考える時間がないわけです。コンクリートの厚さをそこではどれだけ確保しなければならないかというようなことは、全部マニュアル化されている。ですからそのマニュアルにしたがって、ある条件どおり設計する。(pp.300-301)

中山健夫さんは、『1995年1月・神戸』を引いて、震災の現場で「プリゼンス」つまり「居てくれること」、誰かがその場に居てくれる、気に掛けてくれているというただそれだけのことが大きな力になった、と書いている。

ロバート・J・ゲラーさんによる地震予知の研究についての話は、まるで「もんじゅ」の研究開発のことのようだった。「震度」という人間の主観判断にたよった尺度を使っていることと、「前兆幻想」ともいうべき、がんばれば何かは分かるというような時代遅れの幻想が、日本では大手を振って歩いているという。日本政府と多くの日本の住民は「地震を予知できる」と思い込んでいるが、これは非現実的で虚しいと。

予知関係者が得意とするのは、地震のあとの「前兆探し」で、地震ですっかりやられたあとで、「こんな前兆現象がみられた」と主張する。しかし、地震のあとに、「もしや、あれは」と探した現象は、地震との因果関係はまったく証明されていないし、再現性もない。ゲラーさんは、こういうのは地震予知ではなく「地震後知」だと皮肉り、意図的に地震とむすびつけたこうした諸現象は、前兆現象ではなく「前兆幻想」だという。

▼繰り返して言うが、日本の地震予知計画はこれまで成功したことがないし、今後とも成功するはずがない。30年間懸命に研究し続けて成功しなかったらそれを失敗という。この30年間の失敗の歴史を考えれば、原稿の予知体制を廃止し、新たな地震防災計画を設けるべきであるという結論は当然なのではなかろうか。研究者の良識的な観点から考えると、予知連の面々は自らそれは不可能と明言し、解散廃止を申し出るべきであると考えるしかない。(p.416)

栗城壽夫さんのいう「正常状態の充実」、いいかえれば平常時中心の発想から、法体系や国家観は組み立てられなければならないと、桑田禮彰さんは解く。
▼今回の大震災において、被災者たちは、非常時の行政の対応のまずさを非難したが、それはなにも非常時中心の行政を求めているということではなくて、「正常状態の充実」があまりにも欠けていたという告発だったのである。私たち「生活者」は、平常時中心の発想に立って、非常時の適切な対応が可能となるような「正常状態の充実」を行政に要求しなければならない。その意味で、「震災の思想」は「平常時中心の思想」である。(p.431)

この解題のことばは、まさにと思う。

この本の目次
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(6/1了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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