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地域切り捨て―生きていけない現実(金子勝、高端正幸 編著)

地域切り捨て―生きていけない現実地域切り捨て
―生きていけない現実

(2008/04/18)
金子勝、高端正幸 編著

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あとがきより
▼こういう仕事をしてみてわかることは、どんな地域にも、地域の将来を憂い、何とか状況を打開しようと地道に努力している人たちがいるという事実である。それは、何ものにも代え難くわれわれを励ましてくれる。(p.202)

図書館に本を返したあとに、いつもなら交換になる予約本がめずらしく何もなく、ふと検索端末で「原発」と入れて、「この図書館だけ」にチェックを入れてみた。この1年で原発がなんとかいう本が山のように出てるということもあって、新しい本も多かったが、タイトルに原発と入ってない本で、著者に金子勝が入っているのが目をひいて、この『地域切り捨て』を借りてみた。

この本の5章が「原発のつぎは原発」。新潟県中越沖地震の際に、原発から煙が立ち上った様子から書き起こされるこの章は、「報道された原発の安全対策はあまりに脆く、多くの人々に衝撃を与えた」(p.96)と続く。この1年の間にもあったように、「いくつかの新聞で、原発依存の地域振興について特集が組まれた」が、多くの特集が、「原発関連以外の産業が成り立たなくなる」ことと、「立地自治体の財政も原発関連からの収入に依存するようになっていく」ところで話を止めてしまう。
▼実は原発立地自治体にとって最も大きな財政問題は、おおむね20年を経過すると、原発から発生する固定資産税や電源交付金が急速にしぼんでしまうことにある。原発の減価償却つまり法定耐用年数(財務省で規定)が15年とされているからだ。(p.97)

減価償却とは(国税庁サイトより)「減価償却資産の取得に要した金額を一定の方法によって各年分の必要経費として配分していく手続」で、「取得に要した金額は、取得した時に全額必要経費になるのではなく、その資産の使用可能期間の全期間にわたり分割して必要経費としていくべきもの」という考え方による。この「使用可能期間に当たるものとして法定耐用年数が財務省令の別表に定められて」いる。

この別表には「発電所用」という構造物について、鉄骨コンクリート造とか金属造とかいろいろ出てきて、「15年」がどうやって出てくるのか、私にはちょっとわからないが、ともかく「法定耐用年数」のあいだには、「まだ値打ちがある」ということで税やら交付金が入るが、その耐用年数がすぎて「もう値打ちありません」ということになると、それが消えていくという話。

原発でカネが入ってきて期間限定にせよ町の財政が潤い、町民も町にはカネがあると思い、行け行けどんどんでカネを使ってきた町のひとつであった双葉町。だが、その姿勢を不安視していた町民もいた。いま、双葉町の町長をつとめる井戸川さんは、その一人だったという。町内にあった会社の社長だった井戸川さんは「大型事業の見直し」を掲げて05年末の町長選に出馬し、「おおかたの予想に反して」前職の後継者とみられていた元町議を打ち破った。「就任と同時に自身の給与・ボーナスを半額にした。そして06年度は既に予算化されていた補助事業も返上しようと、ひたすら国や県に頭を下げて回った」(p.109)。

その井戸川さんの決意が、引かれている。
▼「まだ意識を変えられない人がいます。私はそうした要望を断っているので、人気がないでしょう。ただ、そのために当選させてもらったわけだから、闘うしかない。たしかに道路や公民館はいいほうがいいでしょう。でも、私たちは多少不便でも満足することが必要なのではないでしょうか。人生の価値観を変えるときなのです。だから、公共施設はプレハブでもいいと思っています」(p.110)

井戸川さんは1月に横浜であった脱原発世界会議のあと、アワプラのインタビューに応じている。
「反面教師にしてほしい...」双葉町井戸川町長インタビュー

この「原発のつぎは原発」を先に読んだあと、本の最初から全部読んだ。
夕張破綻のこと、民活民営化のツケ、市町村合併、介護保険のこと、地域医療が壊れていったこと…読んでいて思ったのは、これまで町おこしとか地域活性化とかなんとか言うてくりだされてきたのは、どれも「カネで誘導する」か「こうやったら安くあがる」というモデルなんやなーということ。その根源といえるものは、小泉政権より古く80年代の中曽根政権にさかのぼるということ。

しかも「官から民へ」と言われてきたものの、この本の丁寧な取材と調査によれば、「官から民へ」の不良債権の付け替えで、「行革」は自治体へのツケ回しだった、というのだ。

▼1980年代以降、自民党は、市場原理主義とタカ派路線をひたすら追求するネオコン(新保守主義)のイデオロギー政党として純化してきた。地域切り捨てと地域衰退は、彼らによる人為的災禍に他ならない。(p.144)

サブタイトルにあるような「生きていけない現実」、地域の医療や介護、教育といった基礎的な公共サービスさえ維持できなくなりつつある「現実」がありながら、なぜこうした地域切り捨て政策が受け入れられてしまうのか。その一つの原因は「都市と農村の対立を煽るメディアの言説を媒介にして、都市部の人々が過疎地への想像力を失ってしまった」ことだとこの本は書く。

▼市場原理主義者によれば、過疎地を維持することは「非効率」であり、それを維持するために余分な費用負担を負っているのは都市民ということになる。たしかに不必要な公共事業の数々を見れば、そうした理屈も成り立つ。

 しかし、いまや必要な公共事業(たとえば学校の補修など)でさえ実施できなくなる一方で、多くの地域において雇用が失われ、医療や介護も維持できず、人が住む基礎的条件さえ失われようとしている。それは、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法25条が尊重されていないことを意味する。と同時に、不必要な公共事業が乱発された背景には、国の政策誘導が強く働いていた。それは、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」という憲法92条に反して、地方自治体と住民自身が当事者能力を失っていることを意味する。もう一度、憲法に規定された地方自治の理念という出発点に立ち返らなければならない。(p.169)

この本の前に、『日本の原発地帯』を読んだこともあって、地域切り捨て政策というのは「原発推進のやり方は民主主義の対極」というのと同じやねんなとほんまに思った。"自由"で"民主"の党がやってきたことは、誰にとっての"自由"で、いったい誰が"主"の政治なんやろと。いまの"民主"の党にしても、いったい誰が"主"やねん?とやはり思う。

前に読んだ『限界集落』の本を、また読んでみようかと思った。

(5/14了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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