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異質の光―糸賀一雄の魂と思想(高谷清)

異質の光―糸賀一雄の魂と思想異質の光―糸賀一雄の魂と思想
(2005/04)
高谷清

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島田療育園の小林提樹さんのことを書いた『愛することからはじめよう』の巻末に、本の広告がのっているなかに、『異質の光』があった。糸賀さん本人の古い本は去年読んでいたが、こんな評伝もあるのかと、図書館で借りてくる。残念ながら近所の図書館には所蔵がなく、これもヨソからの相貸。

昨年読んだ『この子らを世の光に』は、近江学園の設立経緯やそのココロを主に書いたものだったが、この本は「糸賀一雄の魂と思想」とあるように、糸賀さんという人の生いたちから書かれていて、その点では『愛することからはじめよう』に似たつくりの本だった。

▼糸賀は、青年時代の「自由を抑圧する時代」とそれに抗する「国民の社会運動」を経験した。洗礼をうけた「キリスト教」から影響をうけ、大学時代に探究した「宗教哲学」から学び、近江学園で明らかにしてきた「発達保障」を深めた。
 そして、障害のある人たちの生きる場を求め、「自己実現」に新たなる意味を見出し、「この子らを世の光に」という思想に到達するのである。(p.3)

糸賀が書き上げた「近江学園趣意書」には、こうあるという。
▼「助けるとか、救うとか人ごとのように申しますが、みな私達社会の人お互い自分のためではないでしょうか。私達はこうした念願から近江学園設立へと起上がったのであります」(p.130)

その近江学園から最初に独立した施設の名は「落穂寮」とつけられた。当初はよい名前だと思ってその寮の名をつけた自分の内面を、のちに糸賀は忸怩たる思いでふりかえる。──そこには、「この子たちを拾い上げてやらねばならない、無自覚な彼らが安心して生涯を遊び暮せるようにすること以外に解決の方法はないと信じ込み」(p.219)、「この子らに」「世の光を」与える場をつくろうとしていたのだと。そうした、恵みを与えるとか温情をかけるという考え方から脱却していきたいのだと、糸賀は「この子らを世の光に」という決意を、この子らと暮らしてきた実感をこめて語ったという。
木村素衞の教育哲学から糸賀は大きな影響をうけている。教育と文化の相互的な関係、人間存在の根源とはなにか。糸賀はこんなことを書きのこしている。

▼「…人間は、絶対的存在でもある。向上的という次元では未完成であっても、その人の存在自身、それぞれの人は他の人と取り替えができないあるがままの姿で存在する。そのことがそのままお互いに肯定されるという存在である。これは絶対愛の原理といえる」
「向上的存在としては、現在というのは、常にいっそう高次のつぎの段階に登るための踏み台であるが、絶対的次元ではその時点で表現されている存在そのものが結晶というか、その時点でのありのままの姿であり、そのままで受け入れあうとういことが人間の姿というものだ」(p.76)
「教育愛は、人間そのものをその真に個性的なる性格の具体性に於て、絶対的肯定的に受け容れるものといわなければならない」(p.111)

子どもは、かけがえのない今を生きる存在で、その実態を愛で抱擁することが教育の本質であるとの主張。

重症心身障害児といわれる子どもらは、一見、反応がつかめない。その存在をどう感じるか、どう見るか。
▼日が経つにつれ、職員はそういう子どもたちと会話を始めた。言葉によって語るのだが、それに対して言葉による返答はない。その子の表情や肢体の変化から読み取るのである。子どもたちのこちらの言葉を理解しているのでなく、なにかを感じているのであることがわかってくる。ひとりよがりのこともあろうが、くりかえすうちに「会話」が成立してくるのである。(p.272)

糸賀は、法的な措置年齢をこえた若ものたちに何らかの保護施設が必要だと考え、「コロニー」構想を深めていった。そこは、20歳を超えた人については「生産単位を構成する積極的な意味のある施設で、教育内容も複雑にして、社会への橋渡しの性格をもたせる。生産的、教育的で、次第に自活度を高めながら、実社会への道がひらかれている施設を」というものとして考えられていた。

信楽青年寮からひとたび民間下宿(地域での生活ホーム)へ移ったものは、どんな事情がおこっても施設へは戻ろうとはしない、という話も印象的だった。そこには、地域の中にとけこんで暮らす魅力があり、自分個人の場があると。そのことを、池田太郎は「庶民の中に消えていくコロニーづくり」と表現した。飼い殺しの思想、排除の思想ではなく、地域社会へひらかれている場を、ということなのだろう。

タイトルの「異質の光」は、こういうことである。
▼「どんなに遅々としていても、その存在そのものから世の光を明るくする光がでるのである。単純に私たちはそう考える。精神薄弱な人びとが放つ光は、まだ世の中を照らしてはいない。世の中にきらめいている目もくらむような文明の光輝のまえに、この人びとの放つ光は、あれどもなきがごとく、押しつぶされている。その光は異質の光なのである」
「人間の本当の平等と自由は、この光を光としてお互いに認めあうところにはじめて成り立つということにも、少しずつ気づきはじめてきた」
「排他的でないところに、この光の照らす世界の特質がある」
(p.286)
「この光は、この人びとから放たれているばかりでなく、この人びとと共に生きようとしている人びとからも放たれているのである」
(p.292)

糸賀さんが1914年、大正3年にうまれたというのを見ると、その2年前にうまれた私の祖母と同世代の人なのだが、性別によってずいぶん生きる道も違っていた時代やなあと思いながら読む。(なので、この本にもしばしば登場する糸賀さんの妻・房さんの生きてきた道はどんなかなあということに興味を引かれた。)

巻末にはかなりたくさんの参考文献があげられていて、そのなかでも、近江学園をともにつくった3人のうち、とくに田村一二さんの本は、なにか読んでみたいなと思った。

(5/11了)
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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