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日常を愛する―「ハーフ・タイム」56・1-58・9(松田道雄)

日常を愛する<br />―「ハーフ・タイム」56・1-58・9日常を愛する
―「ハーフ・タイム」56・1-58・9

(1983/11)
松田 道雄

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荻原魚雷の『本と怠け者』で読んだ松田道雄の「おだやかとまとも」が読んでみたくて、『日常を愛する』を借りてくる。松田が毎日新聞で毎週1000字余り書いていたという「ハーフ・タイム」欄の文章をまとめた本がこれの前に『本の虫』、そして『ハーフ・タイム』上、とあることを読んでいて知る。

この巻におさめられている昭和58年の秋、75歳の松田は「特別どこがわるくなったというのではないが、七十五歳は、としである。おっくうなことがふえた」と言い、17年書いたこの「ハーフ・タイム」欄を退いた。年相応の医者通いも含めて、なにごともおっくうがることの増えた父も75歳を過ぎた。そんな歳なんやなと思う。

「日常を愛する」を本のタイトルとした、その松田のこころが書かれたものの中にある。
▼きのうのように、きょうも体が使え、きのうのように、家族そろって夕食がたべられるということを維持するのは、必ずしも容易でない。日常なるものが、実にこまごましたものからなりたっているのだから、それを変わらないように支えるのには、まめに動かねばならぬ。生きていくのに必要なこまごましたものは、だれにでもつきまとっているものだから、新規でなく、センセーショナルでない。まめに動いているが、人にはめだたない仕事の連続が日常を支える。(p.121)

松田自身、学生のころには「地球全体の体制がかえられるように思い、半生をその考えにとりつかれて生きたものの」、結局は日常に密着して生きねばならなくなった。
▼そこで得た思想は、人間は日常のこまごましたことに深くかかわるのが、いちばん精神の安定にいいということだ。大志をいだくことは青年の日のしげきにはなる。だが、日常そばにいる人間に、この人につくしたいという気持ちになれることのほうが、大志をいだくより骨が折れる。(p.181)
▼長く生きて感じることは、人の役に立つことは、むしろのこらないことだ。
 ふりかえって、あの時はあの人にずいぶんお世話になった、あの時はあの人にたすけてもらったと思うようなことは、どこにも記録されないし、自分よりほかに知る人がない。…
 …むしろどこにものこらないもののほうが、人の役に立っているというほうが正しい。(p.95)

妻を亡くし、妻のやってくれていた衣食住の日々の仕事が「人生」にどんなに重要なことだったかを改めて思い知ったという友人の話も引かれている。日々の暮らしを支えることにはそれなりの時間と手間がいる。そこにあてる時間と仕事やその他のことにあてる時間とのバランスは、自分自身をふりかえってもきわどいところにあるなと思う。

「おだやかとまとも」で、70代となった松田は、自分が書いたものに対する投書とそれへの返事(あまりに見当違いの解釈をされると弁解の返事をしたり)が次第にわずらわしくなって、誤解されそうだと思われるような文章はだんだんかかなくなった、という。

「老化との最後のたたかいを試みているものには、おだやかでないエネルギーこそ必要だ」と書き、それに続けてこう書いている。

▼それにおだやかであることは、そのまま、まともであることにならぬ。まともというのは、大多数にあてはまること、ふざけていないことだ。「戦争反対」「核兵器廃絶」「人間差別の禁止」などは、まともなことだ。だが、まともなことをおだやかにいうことはむずかしい。(p.159)

この「おだやかとまとも」に類することを、松田は他のページでも書いている。たとえば、ある夏の日、ビラを配りカンパを求めにやってきた青年に、軍事大国化、改憲、核武装化に自分も反対はするけれど、君たちのやり方とちがう方法でやりたい、考え方が違うのだからカンパは断ると返したあとに―

▼あとで考えた。軍事大国化、改憲、核武装に反対する別の方法というのは何か。
 一括して野党にまかせていいか。それでおぼつかないと思うときは、どうすればいいか。反対であることをまわりの人に話す人間が、まともに生きることで、その反対がまともな考えであることを知らせるよりなかろう。(p.72)

あるいは、アンケートを送りつけてくる団体に対する苦言とともに。
▼政治にかかわる運動に人が参加するしないは正か邪か、真か偽がだけでない。人間として親しめるかどうかという好みにもよる。
 他人の基本的人権を侵害して、それを侵害と思わないような無神経、思いやりのなさは、おおくの人間から親しまれないだろう。(p.78)

また、ボランティアについて書いたなかで。
▼ボランティア活動の意味は、運動の目的がどれほど偉大かということより、参加者が活動からどれだけ自分の生に養分を吸収するかにある。(p.272)

ある老人ホームが併設するようになった特養ホームによせて、近代化、専門職化と人のケアについても書いてあった。
▼いままでのように老人たちとおなじ屋根の下で寝起きをともにしていた職員でなく、きまった勤務時間をもった近代人である職能者たちが、老人たちとむきあった。
 老人たちの生活集団と、そこではたらく人の職場集団とのあいだに、どうしても食いちがうところがでてくる。寮母さんたちは「社会福祉とは何か」を問いなおしていう。
 「人間が分裂しないで生きていけるような、そういう社会集団を追求しようというのが社会福祉の考え方だと思います」 (p.110)

巻末に"現役の本"として松田の著書が掲出されているなかで、なつかしい『君たちの天分を生かそう』もあげられていた。私が小学校の終わりか中学のときだったかに、親が買い与えてくれた本(熱を出して休んで寝ていた日に、親が買って帰ってきたような気がする)。クリーム色っぽい黄系の表紙に、赤や緑の花がいくつか並んだ装幀だったような記憶がある。

この本は「20年ほどのあいだに50版以上でた本だが、今年ふるくなった部分をすっかり改めた」と松田が書いている。私に与えられたのは改訂版のような気がするので、そうだとしたら中学のときだ。なかみはほとんど全くおぼえてないけど、図書館でなつかしい本を見てみたい気がする。

(1/23了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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