読んだり、書いたり、編んだり 

コロンブスの犬(管啓次郎)

コロンブスの犬コロンブスの犬
(1988/12)
管啓次郎

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文庫で読んだ『コロンブスの犬』は、単行本に一緒に入っていた2篇が抜かれ、港千尋の写真がたくさん入って編みなおされたものだというので、その抜かれた2篇はどんなものだったのかと単行本を図書館で借りてきた。

あとがきで、管はこんなことを書いている。
▼…この本だって、まるで本みたいなみかけをとってすましていても、それはほんとうは完結した〈作品〉なんかになりたくない。ここに並列されたテクストだけでも、つぎつぎに書き換えてゆけばそのプロセスはカタツムリの速度によって無限に続き、文はサンゴのように枝わかれしながらどこまでもゆっくりと成長することになるだろう。…(p.278)

そうして、書き換えられ、枝わかれした「かたち」が、たとえばあの文庫本なんやなと思う。

ラテンアメリカ・シリーズの「コレクション・ブラジル」の一冊として出た単行本の『コロンブスの犬』には、「アラバマのチャイナグローブ」という中編小説と、「対話によるエスノグラフィについて」という口頭発表があわせて収められていた。
▼エスノグラフィの記述は、伝統的に記述者=エスノグラファーの〈私〉の優越によって規定されてきました。…
 エスノグラファーは、時間と空間における媒介者として、対象文化と読者をむすびつける。しかしこうして提示された文化の〈絵〉が、いかに客観性を装おうと高度に人類学者の主観性に染めあげられたものではないという保証はない。それどころか、人類学がまだ文化の描写にたいする客観性の指標を見いだしてはいない以上、描写は人類学者の〈私〉をけっして消すことができないはずだ。(p.243)

▼…フィールドでの言語的事件は、まさに特定の発話状況です。一般化の不可能な、そのときどきに意図や意味をよく考えなくてはならないことば。そのシーンにおいてすでに声は複数のものであるのに、ぼくらがすでに見たような体験の場と記述の場の隔たりとそれぞれの時点での拘束やひろがりをも考えあわせるとき、成立したエスノグラフィがどれほどポリフォニックなものになるかは、想像もつきません。けれども、それらの多くの声は、けっして収拾のつかない、いきあたりばったりのものでもないはずです。人間が意味の織物をおり、それをおりあわせながらほかの人々と意味を共有してゆくとき、そこにはおのずから星座にも似たある種のパターンが生まれているはずだから。その配置、あるいはパターンこそ、人類学が見いだそうと努めてきたそのものにほかならないはずです。声の複数性を問題にしようとするなら、むしろ注意をはらわなくてはならないのはひとつの主体にあらかじめつねに書きこまれている複数性のほうではないでしょうか。…(p.267)

こまかいことは忘れてしまったけど、こんな文章を読んでいると、ギアツとかバフチンとか、むかし読んだときには何を言うてるのかワカランところもあった本に、もしかしたらこんなことが書いてあったんかもなーと思う。

(11/7了)
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第42回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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