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記憶を和解のために― 第二世代に託されたホロコーストの遺産(エヴァ・ホフマン、早川敦子訳)

記憶を和解のために― 第二世代に託されたホロコーストの遺産記憶を和解のために
― 第二世代に託されたホロコーストの遺産

(2011/08/11)
エヴァ・ホフマン
早川敦子訳

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新聞の書評欄でみかけて、図書館へリクエストしていたら、思いのほか早くヨソの図書館から相貸で届く。300ページ近い本を、ぎりぎりまで延長して、行きつ戻りつ読む。日本語版への序で著者のエヴァ・ホフマンが地震と津波、原子力発電所の事故のことに言及していることもあって、この本を読みながら、放射能について自分が見聞きするさまざまな言葉のこともずいぶん考えた。

「集団的な大破局がもたらしたものの意味を考えること…その大破局後の記憶が、個人のそして集団的な人間の次元でどのように変わってきたかを省察したい」(pp.i-ii)という思いで、この本は書かれた。著者のホフマンは、ホロコーストをかろうじて生きのびた両親の娘としてうまれた。

誕生のときからずっと、自分の人生はショアとともにあったとホフマンは書くが、その事実のみに自分の人生は縛られていたわけではない、人生を織りなす糸の中から、初めて意識的にホロコーストの糸を手繰り寄せたのは、自伝にとりかかったときのことだという。

▼私たちの世代は、いまいちどショアから導き出される多くの問いかけに対して、現在とのつながりにおいて考えることができるはずだ。この本は、そのような問いをめぐる一人の人間の思索であり、終わりなき苦難の歴史への長い応答である。(p.7)
父と母は、どのようにして自分たちをたすけてくれる信頼できる非ユダヤ人をみつけたのかを、ホフマンはずっと両親に訊いてみたかったという。どの人間が信頼できるのかを見分ける力、そして他者を信頼できる力が、両親の生存には決定的なものだったから。そして、自分たちがうまれたのだ。

父が遺した手紙の下書きを手がかりに、ホフマンと妹は、両親を匿ってくれた人と村をたずねた。そこで両親を知る人たちに会い、会ったこともなく写真さえ残っていない祖父母や叔父叔母たちが、私たちにもいたのだと実感する。父を記憶し、母を記憶してくれていた人たちによって、自分たちの家族の新たな一面、日常のこまごまとした思い出が、あたたかな親近感でもって立ち現れた。

この村にたどりつき、思い出を語ってくれる人と会ったことで、ホフマンと妹とは、自分たちが失ったものの大きさを知る。そうでなければ、失ったことさえ気づかなかっただろうとホフマンは書く。両親がこの村に住んでいた時間、村で共に暮らしていた人たちを知ったことで、ホフマンにとって、それまで思い描いていた、両親たちにとっての恐怖の時代は、少し違ったものに書き換えられた。

「ここで何が起こったのか、書かれたものは何もないの。」「でも、すべてのことが、私たちの記憶の中にあるのよ…」(p.224) ホフマンと妹のふたりに、かつての両親たちの姿を語ってくれたオルガはこう言った。

記憶と出会い。

カバー絵は、香月泰男の「黄色い太陽」。訳者によると、原著の表紙には、アウシュヴィッツの引き込み線の写真が配されているという。どういう縁で香月の絵がカバーに使われたのかはわからないが、シベリア抑留を体験し、シベリヤシリーズの作品もある香月作品が、ホロコーストの第二世代の著書に配されるのも、出会いなのだろう。

「ホロコーストの経験者」とか「生存者の子どもたち」というふうに、その側面だけで人を閉じこめてほしくないという話も、印象に残った。

▼…人間を「迫害された者」という枠組みに閉じ込めてしまうことは、そしてまた彼らが他者への思いやりや寛容さを持つことが不可能な状態にある人間だと決めつけてしまうことは、また別の意味で生存者たちをごく普通の人間同士の繋がりや信頼関係の輪ではなく、隔離した別のところに追いやってしまうことになる。(pp.108-109)

▼…私はごく普通の人間として、ホロコーストが話題になるときでも、もちろんドイツとユダヤ人の問題に関することも含めて、特別な「立ち位置」や「距離」は一切なく、自由に話のできる人間として扱ってもらいたいと願っている。別の言い方をすれば、「ホロコーストの生存者の子ども」としてではなく、自由な立場でホロコーストを語る人間として見てもらいたいのだ。(p.137)

それぞれの人生を織りなす糸、その中の「生存者」とか「その子ども」という糸を手繰りよせ、その糸をしげしげと見つめる人ばかりではないだろうと思う。思い出したくない人もいるだろう。ホフマンは、そういう糸の撚り具合、糸のなりたち、そのよってきたるところまでたどった人。だからといって、その糸ばかりがホフマンをあらわすわけではない。


※p.289の「聖人君主」は、おそらく「聖人君子」の誤り
※関連文献リストのp.viiにあるKingstonの"The Woman Warrior"には、訳書が併記されていないが、藤本和子訳『チャイナタウンの女武者』(晶文社)があるはず

(10/8了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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