読んだり、書いたり、編んだり 

陰陽師(夢枕獏)

陰陽師陰陽師
(1991/02)
夢枕獏

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これも同居人が電車でのひまつぶしに買った本。岡野玲子のマンガのほうの『陰陽師』はすでに読んでいるが、夢枕獏の原作を読むのは初めて。

夢枕獏が、書きたくて書きたくてたまらなかった平安時代。その頃にはまだ闇は闇として残り、人も鬼ももののけも、同じ暗がりの中に一緒に棲んでいた時代。

この巻では、いくども「呪(しゅ)」の話がかわされる。この世で一番短い呪は「名」であるから、晴明はみだりに名を明かしたりしない。人を使うのも呪によるのだ、という晴明の話がおもしろかった。博雅が、晴明の話を聞いている瞬間はわかった気になるが、話が終わってどうだと問われるとわけがわからなくなる、というのもわかる気がした。

▼「銭で縛るも、呪で縛るも、根本は同じということさ。しかも、名と同じで、その呪の本質は、本人―つまり、呪をかけられる側の方にある…」

 「同じ銭という呪で縛ろうとしても、縛られる者と、縛られぬ者がいる。銭では縛られぬ者も、恋という呪でたやすく縛られてしまう場合もある」 (p.128)
晴明のまわりには式神やら何かの精やらがいて、晴明の屋敷を訪ねたときも博雅はまず「おまえ、本当に晴明か」と尋ねずにはいられない。博雅は、自分が下げてきた鮎が人の気配もないのに焼けたのが不思議だ、その鮎を焼いたのは晴明自身なのか、それとも晴明の使う式神なのかとしつこく訊くが、晴明はどちらでもよいではないかという。

▼「本当に、不思議というのはそういうことではないぞ。命ぜずとも―つまり呪もかけず何もせぬのに鮎が焼けてしまうことがあれば、それを不思議というのだ――」(pp.129-130)

マンガを先に読んでいるせいか、安倍晴明と源博雅が、どうしても岡野玲子の描くあの顔で浮かんでくる(これは先に映画を見て、あとから原作を読む感じに似ている)。安倍晴明と源博雅とのかけあいは、書いていて実に楽しかったと「あとがき」にあるように、読んでいても楽しかった。そして、ふたりの口舌を読みながら、(いまの口語の関西弁みたいなのは、いつごろできてきたんやろ)と思った。

カバー装画は村上豊で、あの青葉学園物語シリーズの装画の人でもあるのだった。

(9/26了)
Genre : 日記 日記
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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