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なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか(想田和弘)

なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのかなぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか
(2011/07/15)
想田和弘

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『精神病とモザイク』の著者の新しい本。新しい映画「Peace」の話を中心に書かれている。結局私はこの人の映画をまだどれも見てないけど、8月末に上映会で見た「中村のイヤギ」のこととか、他の映像表現のことを考えたりしつつ読む。

こないだの「中村のイヤギ」上映後の座談会のなかでは、字幕の話が出た。映画のラストでうたうカン・ムニョルさんの歌に訳をつけないのかという話と、映画全編に(聞こえない/聞こえにくい人用の)日本語字幕をつけないのかという話と、二つあった。カン・ムニョルさんの歌詞の「分からなさ」については、『We』169号でも張さんに話を聞いたように、その分からなさを大切にしたいという思いがあった。

この本で、想田は「映像と言葉」として、「Peace」に出てくる植月さんの話を書いている。
映像としては「植月さんは黄色いヘルメットを被りゲートルを巻いた、寿司を美味しそうに食べるユーモアのセンスのあるおじさんで、歩くときには足を引き摺るようにしていて、言葉はちょっと聞き取るのが難しい」(p.137)という人だ。
▼しかし、彼の状況を説明するために、「知的障害」とか「発話に何らかの障害」とか「足に障害」と表現した瞬間に、植月さんは既成の「障害者」というイメージに押し込められてしまう危険がある。言葉=理解の枠組み=我々の思考回路そのものだからだ。…
 逆に言うと、映像にはそのような言葉の呪縛、つまり固定観念を乗り越えられる可能性がある。…ドキュメンタリー映像は、うまくすれば、現実を理解する枠組みそのものを溶解させ、更新するための契機になり得る。(p.137)

想田は、映像にナレーションやテロップを重ねることで、その映像を見る構え、思考の枠といったものを先に差し出してしまうのではないか、だからそれを避けたいと言っているのだと思う。

「分かる」とは、言語ではっきりと理解することなのか?ということも考える。自分の分かる言語で、自分の分かるように?
想田が自分のインタビュー観を根本から変えられたという、エディ・ホニグマンの「フォーエヴァー」というドキュメンタリー映画は、ショパンやプルーストなどが眠るパリの有名な墓地を訪れる人にホニグマンがカメラを向け、インタビューする作りだという。その中で、プルーストの墓に参るためフランスへやってきた韓国人男性のシーンは、こんなものらしい。

▼彼は英語が苦手らしく、プルーストになぜ自分が魅せられているのか、うまく説明できない。ホニグマンが「韓国語でどうぞ」とうながすと、急に生き生きとして韓国語で語り出す。その内容は字幕で翻訳されないので、韓国語の分かる観客以外にはチンプンカンプンだ。ホニグマンも最後に「あなたの言っていることは私には分からないけど、ありがとう」と礼を言う。しかし、彼の真剣で情熱的な話し振りを観るだけで、「この人はホントにプルーストが好きなんだなあ」ということだけはひしひしと伝わってくる。(p.173)

この話を読みながら、私は聾のOさんと映画の話を思い出す。長門裕之から映画「にあんちゃん」の話になったとき、当時まだ10代だったOさんは聾学校の寄宿舎をぬけだしてよく映画を見にいったというのだった。邦画に日本語字幕などついていない時代、聞こえないOさんは「にあんちゃん」を胸が苦しくなる映画だったと話した。

想田のこの本を読んでいると、聾の人は映画を見るときは洋画(字幕がついているから)というのも、確かにそういう傾向はあるにせよ、私の思考の枠、思い込みの一つかもしれへんと思った。私は思わずOさんに「その頃、字幕ないですよね?」と訊いたのだ。

テーマを先に決めることの「罠」の話も、なんとなく分かるなーと思った。これはテーマにあうかどうか、そのことばかりが気になっていては、おもしろいものをカットしたりすることにもなる。

毎号、毎号、特集タイトルは最後に決まる『We』みたいだ。とはいえ、「Peace」という作品は、"平和と共存"をテーマにという依頼があってそもそもは制作された。だから想田は「テーマを忘れて、この作品を撮り、編集するように」(p.228)したのだという。

この本の1章「撮る者と撮られる者」に、想田の妻・柏木の祖母である"牛窓ばあちゃん"の話が出てくる。広島市で生まれ育ったばあちゃんは、1945年の8月6日には、2人の幼い娘とともに市外に疎開していた。
▼原爆が落とされた日、突然空から預金通帳や書類などが降ってきたので、ばあちゃんは「市内で何か大変なことが起きているのではないか」と直感し、知り合いのおじさんのジープに乗せてもらって、広島市へ入ったという。(p.23)

原爆投下後のキノコ雲を上空から撮影した写真や映像を撮ったのは、原爆を落とした側、投下後に猛スピードで現場を離れた側だった。地上では、広島市外で預金通帳や書類が降ってきたのだと思った。キノコ雲の直下にいた人たちは、熱線に灼かれ、爆風に吹き飛ばされ、死んでいったのだと思った。

(9/13了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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