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原発社会からの離脱―自然エネルギーと共同体自治に向けて(宮台真司、飯田哲也)

原発社会からの離脱―自然エネルギーと共同体自治に向けて原発社会からの離脱
―自然エネルギーと共同体自治に向けて

(2011/06/17)
宮台真司、飯田哲也

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『We』編集長・稲邑さんがオススメだというので図書館で借りてきた。「地域生活支援のあり方を、当事者・行政・事業者・市民で考えるフォーラム」へ出かけるときに持って出て、行き帰りであらかた読んでしまう。

フォーラムでは、登壇者のひとり、役所の障害福祉課長さんが、市の総合福祉計画を「市民みんなが関係者」の話にしていけるように…というようなことを言っていた。障害のある当事者とか、その身内とか、そういう「一部の関係者」の話ではなくて、みんなの問題だという話が印象に残った。

それがあったせいか、この本の最後のところで、「誰もが関心を持てる問題から始まって、そこから道筋をたどっていく」という戦略の話は、参考になるような気がした。この本の切り口は「原発社会からの離脱」だけれど、「誰もがそのひとらしく、そのひとが望む生活ができる街」を切り口にしても、通じるものがあると思った。

著者のふたりは、1959年うまれ。ほぼ同じ頃に「いままでのやり方でいいのか?」と思い、「やってられるか」とぃう感じになったところに共通点がある。

3.11後、「原発をやめられない社会をどうするか」、ふたりが語っている。「今さらやめられない」という空気が漂うこの〈悪い共同体〉の〈悪い心の習慣〉について、その悪さを意識できない限りは、技術的にこれが可能だとか政策的にこうもできるといった「合理性」を議論したところで、稔りがないという。

だから、ふたりは、〈悪い共同体〉の〈悪い心の習慣〉を脱し、これから目指すべきは「共同体自治」、"任せる政治"ではなく”引き受ける政治”への転換だという。
共同体自治の成功を左右するひとつは、共同体の規模。

▼宮台 …顔が見えるからこそ働くインセンティブやモチベーションが、必ずあります。…僕らが大規模なシステムにぶら下がっていれば、依存しようと思わなくても、システムは誰がどうまわしているか分からなくなるから、トータルには依存的になるわけです。分かるものに頼っているのか、分からないものに頼っているのかというのは、やっぱり大きな違いです。(p.139)

そして、「人を固定して、その専門性を尊重した積み重ねを実行していた」という希有な例として、佐藤栄佐久前知事時代の福島県、そして大野輝之環境局長のいる東京都の例があげられている。

▼飯田 …よくある地方自治体の会議は、知事どころか局長、部長も最初の挨拶だけ来て、「このあと部長は所用があります」と席をたって、後は委員だけ残されて、横にいるコンサルの作った筋書きの通り淡々と会議を回すという、ほとんど中身のない審議会が、国の二重写しのような状態でした。
 ところが、福島県は佐藤前知事以下…県の組織トップが全員参加して、…自分の頭で考え、受け止めて質問する。…知事以下局長級とも、日本の地方自治体で生身の受け答えをトップクラスの人とした、これは私の最初で、今のところ最後の経験でした。佐藤前知事は、「充て職」とか「役職」ではなく、中身のある議論をさせるという文化を徹底されていた。(pp.141-142)

この二人のキャラクターによるところが大であったとしても、そんな文化をつくることが可能であったことは特筆すべきことで、こうした福島県の最大の成果は、2002年にまとめられたエネルギー政策検討委員会の中間報告書。「この文書は全国民が読んだほうがいいものです」と飯田は言う。 ↓その報告書
電源立地県 福島からの問いかけ あなたはどう考えますか?~日本のエネルギー政策~(pdf)

▼飯田 …結局、二年に一回異動する官僚たちが、適当な評価で補助金を配り、受ける地方自治体側もやはり二年で異動する「素人」の担当者が、適当な提案書を作る。そこへ、受注して報告書やモノを納めてしまえば「あとは野となれ」というメーカーやコンサルが食い逃げする。「これでいいんじゃないか?」「ちょっと進んだ技術だ」と、無責任のトライアングルで日本中に「ガラクタ」が作られていくわけです。
 …共同体自治をしようとしたら、地域の側にしっかりとした受け皿となる知恵と経験と信用、そうした社会的関係資本を重ねていける「中心」がないといけない。(p.176-177)

これは、”環境の町づくり”に関わるさまざまなレベルの事業の話。でも、他の問題にも通じるなと思う。「もっとちゃんとやってくれ」という要求で、ちゃんとやることを任せているあいだは、結局は似たような別の誰かがよばれてくるだけ。

誰かに任せる政治から、自分らで引き受ける政治へ。市民としてできることは何か?

▼宮台 いきなり環境問題から入ると何も動かなくなるので、…まず自治を取りもどす。共同体自治の形を作ってから、環境の問題をそこに実装させていこうという戦略だと思う。…エネルギーを変えることから自治を再生するという方向と、自治を再生することでエネルギーを変えることの政策的な現実性を上げていく。両方の方向性があると思います。
 …ある種の特殊な人が関心を持つ問題ではなく、誰もが関心を持てる問題から始まって、その問題に関心を持った以上は、次の問題に関心を持たないのは不自然でしょう、というふうに道筋をたどっていくようにしよう、という戦略です。
 いきなり環境問題というと、それは環境オタクの話でしょう、と無関連化されてしまう。誰もが関心を持つ問題ならそうはならない。(p.179)

たとえばどんな問題から入ったら、「自分にも関わる問題」につながるだろう? 市の総合福祉計画を「市民みんなが関係者」の話にしていくには、どんな切り口がありうるだろう?そんなことを思いながら読み終える。

この本でどうしても気になったのは「〈悪い共同体〉の〈悪い心の習慣〉の逆機能は、盲目的依存に集約される。…総じて「〈システム〉への盲目的依存」と呼べるだろう」(p.4)というところ。盲判などと同じで、ものの喩えとしての表現だとしても、具体的な盲の人を思い浮かべると、ろくに吟味もせずにとか、感情にひきずられてといった意味合いがこめられているこの言葉には、やはり引っかかる。冒頭に「盲目的」がじゃんじゃん出てくるせいで、読みはじめたときのこの本の印象はかなり悪かった。

(9/11了)
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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