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チェルノブイリの祈り―未来の物語(スベトラーナ・アレクシエービッチ)

チェルノブイリの祈り―未来の物語チェルノブイリの祈り―未来の物語
(1998/12/18)
スベトラーナ・アレクシエービッチ

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同僚・中村さんが「これ読んでみたい」と言ってたのを、借りてきて読んでみる。岩波の現代文庫版が最近出たようだが、私が図書館で借りたのは1998年に出た親本。

「この本はチェルノブイリについての本じゃありません。チェルノブイリを取りまく世界のこと、私たちが知らなかったこと、ほとんど知らなかったことについての本です。」(p.24)

原著が出たのは1997年、チェルノブイリの原発爆発から11年後。
事故処理作業にあたった消防士の妻、チェルノブイリ汚染地からの移住者、子どもたち、年寄りたち、サマショール[強制疎開の対象となった村に自分の一存で帰ってきて住んでいる人]、ジャーナリスト、歴史家、母親、父親、医師、カメラマン、兵士たち、名を明かさなかった人たち―これは、チェルノブイリで被災した人々、あるいはあの地に住んできた人々、その後あの地に生まれた子どもたちの声を集めたインタビュー集。

「この未知なるもの、謎にふれた人々がどんな気持ちでいたか、何を感じていたか。…この本は人々の気持ちを再現したものです。事故の再現ではありません。」(p.24)

インタビューをまとめたアレクシエービッチの自分自身へのインタビュー「見落とされた歴史について」の中に、こんな箇所がある。
▼取材をした人々から同じ告白を聞くことがたびたびありました。「私が見たことや体験したことを伝える言葉がみつからない」「こんなことはどんな本でも読んだことがない、映画でも見たことがない」「こんなことは前にだれからも聞いたことがない」。同じ告白がくりかえされますが、私は意識的にこれらを本から削除しませんでした。…削除せずに残したのは、たんに信憑性を期すためだけでなく、〈手の加えられていない真実〉のほうが起こりつつあることの異常さをよく映しだすように思えたからです。…(p.25)

肥田舜太郎さんの本のなかで、似た言葉を読んだ。被ばくという経験はどんな意味をもつのかと問われた肥田さんは、「自分が体験したことは何だったのか、それを他人に伝えることができない体験である」という。

そうした言葉を、一つひとつ読む。
ある父親は、こう語っている。
▼最初の数日に感じたことは、ぼくらが失ったのは町じゃない、全人生なんだということ。(p.38)

この父親は、ぼくらのお守り、家族の大事な宝物、ぼくらの全人生が記されているという「家のドア」を、汚染地泥棒に間違えられ、警官に追いかけられながら持ち出した。「ここじゃ、亡くなった人は家のドアに寝かせなくちゃならない」という母の教えのとおり、この人はかつて父を亡くしたときには一晩中ドアに横たえた父のそばで過ごした。その持ち出したドアに最初に横たえることになったのは、彼の6歳の娘だった。

「一人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢の人によって語られることはすでに歴史です。」(p.26)

(8/31了)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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