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我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人(小川善照)

我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人我思うゆえに我あり
死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人

(2009/10/16)
小川善照

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『死刑でいいです』を読んだのは、一昨年の秋。その夏のWeフォーラムで「赦す権利~被害者救済と修復的司法の可能性」の分科会に来ていただいた原田正治さんのお話を、『We』163号にまとめていた頃だった。

編集長から読んで紹介を書いてと送られてきたのが、『死刑でいいです』で、原田さんのお話をまとめたあとに2ページをもらって、原田さんの本『弟を殺した彼と、僕』のことと、この『死刑でいいです』のことを書いた。

原田さんは弟さんを保険金殺人で亡くし、加害者の長谷川君のことを、裁判当初は「極刑以外ない」と話していた。事件から二十数年の間を経て、原田さんは「死刑制度に反対です」というようになり、被害者と加害者の対話の機会を求めようとしてきた。

原田さんは「対話」を求めてきたけれど、『死刑でいいです』で書かれる山地悠紀夫のような加害者の場合、「対話」は難しいかもしれないと編集長はいうのだった。

その山地悠紀夫を書いた別の本が、同じ一昨年の秋に出ていたのだが、私はたまたま最近図書館で見かけるまでこの本の存在を知らなかった。著者は、週刊ポストの記者として取材をしてきた人だという(そして私と同い年の人だった)。
山地悠紀夫は死刑判決をうけたあと控訴することなく、弁護人が職権でおこなった控訴を、山地みずからが取り下げて死刑を確定させ、確定からわずか2年で執行された。

被害者に対しては「何もありません」と言い、「死刑でいいです」という態度で山地は執行された。死刑は「応報」だといわれ「犯罪抑止」に効果があるともいわれるが、この刑罰は山地に何をもたらしたのか。

この本のタイトルにある「我思うゆえに我あり」というデカルトの言葉を、山地は自分はそうやって生きてきたのだと同級生に語っていた。自分が思っていることで自分が成り立っている、今までの人生、自分が考えてきたことで成り立っているんだから、全部自分が責任を負うんよ、と山地は満足げに同級生に説明したという。

『死刑でいいです』も読んでいたので、山地の生育歴や犯した事件のことはおおよそ知っていたけれど、本の内容としては、『死刑でいいです』が、再犯防止のヒントを見つけたいという思い、そして他人に共感しづらく「反省」の気持ちを理解するのが難しい人の孤立を防ぐにはどうしたらいいかを考えたいという思いで書かれていたのに対して、この本は山地の「殺人の動機」に大きな関心があるようだ(その意味では、『福田君を殺して何になる』にむしろ似ている気がした。もっとも筆力はこの『我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人』のほうがかなり上だと思った)。

巻末のあとがきには「ノンフィクション・ノベルの体裁をとった」とある。「ノンフィクション」と「ノベル」という言葉がくっつくのはどうもなじまないが、広瀬隆の『チェルノブイリの少年たち』が「ドキュメント・ノベル」というのと似たようなものかなと思った。とはいえ、「推論で書いた部分がある」と断りがあり、それはこの本が追求しようとした「動機」につながるところだけに、これはありなんかなーどうなんかなーと思えた。

(7/23了)
 
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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