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飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ(井村和清)

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記 飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記

むすびのMさんより借りた本。若くして逝った井村和清さんが、娘の飛鳥さんへ、そしてまだ妻のお腹にいた"まだ見ぬ子"へあてて遺した手記『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』はベストセラーになり、映画になり、数年前にテレビドラマにもなったという。映画のこともテレビドラマのことも知らないが、本の存在は私もずっと前から知っていた。

5月に借りてすぐ読んで、一緒に借りた妻の井村倫子さんのを9月に入って読んで、Mさんに返したあと、図書館に新装版があったので借りてみたら、"まだ見ぬ子"だった清子さんが結婚するのを機に再版の話があって、倫子さんの文章がすこし加わり、大人になった飛鳥さんや清子さんの写真も載り、新たな本になっていた。

31歳で亡くなった和清さんが「ふたりの子供たちへ」としたためた原稿用紙の1枚目も、新装版では掲載されている。
▼心の優しい、思いやりのある子に育ちますように。
 悲しいことに、私はおまえたちが大きくなるまで待っていられない。…もうあとどれだけも、私はおまえたちの傍にいてやれない。こんな小さなおまえたちを残していかねばならぬのかと思うと胸が砕けそうだ。
 (中略)
 私はもう、いくらもおまえたちの傍にいてやれない。おまえたちが倒れても、手を貸してやることもできない。だから、倒れても倒れても自分の力で起きあがりなさい。
 さようなら。
 おまえたちがいつまでも、いつまでも幸せでありますように。(新装版、pp.14-17)
医師であった和清さんは、右膝にできた悪性腫瘍のために右脚を切断、リハビリを経て職場復帰するが、まもなく肺への転移がみつかる。自らの余命を6ヶ月と診断、医師としてその後4ヶ月をつとめ、ついに職場を辞してから1ヶ月あまり後に亡くなった。

医師をめざした学生時代に大病を患って入退院をくりかえす2年を経験し、患者からの信頼あつかったという井村先生は、右脚の切断の後には"せっかく身障者になったのだから"と、健康な人間には決して造ることのできない病院づくりをしたい、まだ死にたくないと書き綴った。

先に逝く者が書き遺した文章は、読んでいて涙してしまうところがあった。ラーゲリの仲間たちが記憶によってご遺族に伝えたという山本幡男さんの遺書のことを書いた『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』や、昭和の遺書シリーズの『妻よ、子どもたちよ、最後の祈り』を思い出させるものがあった。

腫瘍、そして脚の切断という事態は、10年前の同居人の入院と手術を思い出す。人工関節に置き換える手術をうけた同居人は、10年前なら脚を落としていた手術ですと言われ、術後は腫瘍が散って肺へ飛ぶことをおそれられた。あのとき、人間だれしも死んでいくけれど、遠からず死ぬかもしれないのかと思った日もあった。

自分が死ぬまでの時間を、医師として自ら診断することができた井村さんは、だからこそ、これだけ濃やかな手記を遺せたのかもしれない。それは30年あまり経っても心を打つ。けれど、井村さんは、もうひとりの子の顔を見て、せめて子供たちが自分を記憶してくれる頃まで、どれほど生きたかっただろうと思う。

(5/25一読、9/19新装版を再読)
 
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Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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